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お茶の道は一生

最近、どういうわけか立て続けに新人が仲間入りしています。
しかも中学生、そして小学生も。
みんな、自分の意志でお茶を習いたいと門を叩いてやってきました。
社中が一気に若返りました。

彼らは好奇心が旺盛なうえに学びの吸収がとても早いです。
ひとりは宇宙に行くこと、ひとりは落語家になることが夢だそうで、
将来が楽しみです。

私自身もつい最近、茶名をいただきました。
今度は准教授、教授という肩書があるからね~とはっぱをかけられていますが、珍しく?もっと上を目指したいという気分になりません、なぜならお茶名をもらうほどの力を持っていないことを自分で分かっているからです。

また、私自身がスキルアップを目指すことよりも、もっとみんながお茶を好きになって平和な社会が実現することに力を入れていきたい、そんな風に感じるこのごろです。
もしかしたらこれをおばちゃん化というのか。


そして週末は、隣町の地域のお祭りがありました。

お茶の先生が出店し、私たち社中もほぼ強制参加。
お客さんたちにお茶をふるまいました。

今回は子どもたちには、お茶碗とお棗、茶筅を使い、
お茶のたて方をレクチャーしました。

学ぶことと教えることはこうも違うものかと改めて実感しました。

平和な社会・・・・・・なんていいながら、
お茶会に出ること自体面倒がる私のどうしようもなさよ。

そういえば、うちの先生はどんな人にも、市長さんにも子どもたちにも公平な態度で接しています。

厳密にいうと、市長さんや議員さんには「ただで飲めると思ってるんじゃないわよ」とセリフを吐きながらしっかりお茶代を請求し(市長びっくり)、子どもたちにはただで笑顔でお茶をレクチャー。

お茶の道を歩む上には自分自身がしっかりしなければ。
お茶のお稽古の世界でも立場が変わりつつあるなか、改めてそんなことを感じました。


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