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体を整える

「イタイーーッ!!!」

「ヴァ―――――――――――!!!」


金曜日の夜10時。
少し前まで凛とした空気が漂い、シューシューとお釜からお湯が湧き上がる音しか聞こえなかったお茶室から、ドンッ、ドンッという、誰かが何かを叩く大きな音ともに、動物の雄たけびのような、怒涛の悲鳴が鳴り響く。

その悲鳴はどれくらい続いたことだろう。
水屋で稽古の後片づけを始めた生徒たちは、怪訝な様子で顔を見合わせる。

しばらくして、お茶の先生から叱咤の声が聞こえてきた。

「あんた!こんなに硬くちゃダメでしょう!!」

どうやらお茶室で、ある生徒が先生から何か「硬い」ことに対するしかりを受けているようだ。

しかししばらくするうちに、雄叫びはピタッと止んだ。
今度はどうやらキャッキャと談笑が聞こえてくる。

「先生、柔らかーい♡」
「でしょー♡毎日揉んでいるんだから」

水屋の生徒たちは、さらに眉をひそめあうのであった。

お茶室での雄叫びを上げたのは、何を隠そう、この私である。
実は先生に、私の凝りに凝りかたまってしまった足裏の「ツボ」をグイグイ押されていたのだ。

先生の圧力は、容赦なかった。
私は我慢ならず、畳の上でもがいていたのだ。

意外なことかもしれないが、茶の湯では、結構体力を使う。

「利休百首」という歌がある。これは百人一首ではなく、利休さんが唱えた稽古のわきまえを和歌でまとめたものだ。その中のひとつに、こんな歌がある。

点前には 重きを軽く、軽きをば 重く扱ふ味ひをしれ

利休百首

「重いものは軽そうに、軽いものは重そうに持つべし」という意味だ。これって、やってみるとわかるのだが、腹筋が弱いとなかなか難しいことだ。

また、畳の上を歩くときは、すっすっと摺り足で歩く。お茶を点てる側であれ、お茶を飲む側であれ、正座が基本の姿勢だし、時に正座のまま、にじって(膝を少しずつ動かして)移動することもあるのだが、これもお腹に力がないと困難だ。畳の上で過ごす機会が減った今、日常で使わない筋肉を使うことになるからだ。着物を着るにしても、背中に手を回す柔軟性がなければうまく着こなせないだろう。

女性にありがちな冷えやむくみも、お茶を愉しむことを妨げる大きな要素だ。金曜のこの夜、1日中働いた後の足は、むくみきっていた。また、私の職場は暖房が大して効かないため、手足が冷え切っていた。おまけに、最近は調子に乗ってジョギングをしているため、疲労物質もがたまっていたようだ。

最初の雄叫びは恥ずかしながら、お稽古中に何度もしびれ、歩き方もぎこちない様子を見かねた先生が、私に不意打ちしたことから生じたのだ。

身のこなしをエレガントにこなすには、技術や知識、経験、だけでは十分ではない。何よりも、健康な体があってこそ。

夜の11時30分。
帰るころには足が非常に軽く感じた。また、普段回すと痛みすら感じる足首は、思いのままくるくると回すことができた。いずれも久しぶりの感覚だ。

それにしても、師匠に自分の汚い足を揉ませる私も私だ。
せめて自分のケアくらいは、自分で管理しないと。

この週末は、マッサージクリームを買ってこよう。
ちゃんと手足をマッサージして、老廃物を流し、冷えやむくみを撃退するのだ。

おばあちゃんになっても、楽しくお茶を続けていたいから。


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