すばらしいこの世界

 ひとのを借りて、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』(ハヤカワ文庫、大森望訳)を読んだ。
 最近はすこし肉体的・精神的(おなじ意味だ)余裕ができて、またちゃんと本を読む時間をとることができるようになったから、純粋にうれしい。雪が積もって、労働がなくなって、しんとした窓辺でずっと本を読めたらなおのことよかったけど、そううまくはいかない。それでも悪くはなかった。あまり贅沢を言うものではないし。

 僕はカーキや黒い服の世界から、ちょっとしたバグとして生まれてきてしまったんじゃないかと、思春期のような妄想を晒すのなら、感じなくもない。「小説は社会を映す鏡だ」と近代フランスの小説家が言っていたけど、読むひとにとってはまた、そのひとの生きようを映す、あるいは反省を促す(どちらもおなじ英単語だ)ものでもある。現代は「新世界」であり、「新世界」ではなく、僕はバーナードであり、バーナードではない。

 故郷の田舎で暮らすにはあまりに孤独だし、都会で暮らすにはあまりに田舎者だ。どちらに帰属意識をもって、何を為すべきか、なんて、はっきりと決める必要のあることではないけど、どちらも、なんて虫がよすぎる。

 このすばらしい世界との適切な距離感がいまだによくわからない。よくわからないまま終わってしまいそうな予感もする。それならせめて、書き留めておいたほうがよい気がした。狭間で漂うひとつの観測地点から、信号さえ途絶えてしまうなら、それは存在しなかったのとおなじで、それはちょっとくやしい。くやしいと感じるのは僕だけで、それが潰えてしまえば結局は意味などないのだけど。せっかく余裕ができたし、しばらくはこの、無意味な作業を続けたいと思う。

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