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待合

待合室には僕以外に2人居た。
静かで当たり障りのない音楽と、空気清浄機と換気扇の音。それに加えて、僕以外の2人のひとりごと。一人はかなりはっきり喋っていたので言葉は聞きとれたが、おそらくその意味は本人にしか繋がっていないのだろうと思った。さっぱり分からなかったからだ。

「押さえつけてから、ゆっくりとフラットに、そう。息をして。触るんだ。それから押さえつけて、触るまで、またやるんだね。あ、でも、、、うん。そうそう。ゆっくりと。」

下ネタ喋っとんのかお前、と思ったが言わないことにした。

先生に時々「今、僕どうなってますか?」と聞く。
「やわらかくなったと思います」と今日は言われた。前は固かったのかと思った。先生は珍しく目を見開いて顔を覗き込み、「ここ数か月はあまり変わりがないですね」と言った。

うつ病だと診断されて2年経った。
帰りの駅のホームからは大きな通りが見える。真ん中に植え込みがあり、立派な木が並んでいる。季節が変わって、きれいな緑がつくようになった。この緑を見るのも3回目になった。1回目は、体をひきずって通っていた時。2回目は、1年経って薬で頭がはっきりしない中で見た。3回目は、今日。

聴覚過敏になって、街の音や人の声があまりにも大きいと、それは神経に触れてくるような気持がする。音楽の中に居れば平気だと分かったのはその後だ。
「夜の箱庭」のマスタリングを始めたのはその時期で、「困った」という記憶しかない。音楽の中に居れば平気だが、バランスを取れるコンディションでは全くないからだ。終盤は音を流さず、izotopeのinsightの数値とメーターしか見ていない。

そして母が亡くなった。別に自分がうつ病になっていなくても、ここで何らかの変調は起こしていただろうし、ぐずぐずに悲しむ時間があって良かったと今になると思う。

それからまた1年弱が経った。友達に会ったのは声をかけてもらったからだし、「会えるようになっている」と思ったからだ。「友達っていいなぁ」とくだらないポップスの歌詞みたいなことを本気で思った。

最近は楽しいことも増えてきて、体も動くようになってきた。外は暖かくなって、花も緑もきれいな季節になった。みんなスマホを向けて写真を撮っている。霞みながらも突き抜けるように晴れた空が上空にはあって、気分はちっとも悪くない。

待合室で「押さえつけてから、ゆっくりとフラットに、、、」の独り言を聴いていると名前を呼ばれた。
対面すると先生はいつも「どうですか」と言う。今までのことが駆け巡って、久しぶりに数十秒黙ってしまった。「どうしましたか」と聞かれたので正直に答えた。「今、何を言えばいいか分かりません」。


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