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某○○にて

■某カラオケにて

カラオケという場所は、好きな人と嫌いな人が二極化する。ちなみに俺は大好きだ。だけど、カラオケの記憶が全て良い思い出であるわけではない。少し嫌な思い出も、当然ながらある。

男子なら誰もが一度は通る、宇宙人のような声でしか歌を歌えない地獄のような時期。変声期。俺はこの時期に父親とカラオケに行ったのだが、苦悩の末に選んだのが米津玄師の『Lemon』だった。だけど、米津玄師の曲は基本的にリズムが難しいため、俺はこの曲に叩きのめされることになった。特にピッチが安定していない変声期の喉で、あの独特な音程が地声や裏声を行き来するサビは、鬼畜そのものだった。俺のガタガタの段差のような歌声を、父親はビデオに収めていた。

ひたすらに恥ずかしくて、その動画を見せられてからは当分、カラオケから足が遠のいた。だが、変声期が終わり、自分の声を愛せるようになってからは、その過去の自分を恥ずかしいとは思わなくなった。高校生になって軽音楽部に入ると、バンドのボーカルをやることになった。その練習で一人カラオケに行ったり、友人と遊びでカラオケに行ったりするが、その度に「お前がいてくれたお陰で今の俺がいて、そして気持ちよく歌えてるんだぜ」とかつての自分に声を掛けている。俺は恥や自信を来る度に大きく吸い込んで、全てを歌声に変えて吐き出す。俺はカラオケが大好きだ。

■某テニススクールにて

小学生の頃、テニススクールに通っていた。
理由は、運動ができるようになりたかったからだ。
それなのに、年下のくせに俺よりもテニス歴が長いからと先輩面をする奴がいた。そいつは、俺を何かにつけて批判した。今思い返せば、あれは揚げ足取りの部類だったと言っても良い。けれども当時の僕は、彼のことが怖くて怖くて仕方がなかった。それは批判の域を出て、いわれのない暴言に近いものだったからだ。

「下手くそ」
「やめちまえ」
「うぜぇな」
「こっち見んな」

そんな言葉を毎週のように浴びせられ続けるのだ。
俺は、心を次第に病んでいった。
けれど、それを親に言うことはできなかった。
自分がやりたいと言い出し、お金も親から出してもらっていたからだ。テニスラケットだって買ってもらった。中学生になったら、テニス部に入ろうと思っていた。
でも、そんな事があったからテニスに良いイメージは無くなってしまった。テニススクールに向かう道中、親が運転する車の中で、俺は毎回泣きそうになっていた。
家に戻りたいとは思うのだけれど、それを言い出せなかった。だから、俺は決意した。そいつに試合(ゲーム)で勝った日に、その習い事をやめると。そう決めてからは一層練習に打ち込んだ。『キモいキモい』と言われながら。

俺は練習に打ち込む一方で、そいつを自分から遠ざける方法を思案していた。そして、最終的に行き着いたのは、念仏のように「ごめんなさい」を唱え続けることだった。事務的な挨拶をされたら、それと同等の声の大きさで「ごめんなさい!」と返す。ペアを組むことになったら、「ごめんなさい」と返す。返事の全てを「ごめんなさい」に置き換える。いつしか俺はそのテニススクールで、「ごめんなさい」botになっていた。そいつには取り巻きがいたから、俺は3人くらいに「ごめんなさい」と言いまくっていた。彼らが明らかに困惑したり、引いているのが分かった。そうだ、それでいい。そのまま嫌いになってくれ。俺は最初の方はそう思っていたけれど、途中から違うなと思った。なんで俺がこんな馬鹿みたいに謙虚にならなければいけないのに、彼らは胡座をかいたままでいて良いのだろう。俺はあくまで謙虚な姿勢は保ちながら、彼らに嫌がらせをし始めた。

そのテニススクールには「振り返りノート」と言うものがあって、毎週習い事が終わった後に試合の記録をしたり、手応えを書いて提出するのだ。俺は彼らの振り返りノートの表紙にびっしり、

※イメージ

とマジックで書き殴ったのだ。「ごめんなさい」に塗れたノートに気付いたコーチは、彼らを呼び出し、叱った。俺はそれを見ながら大爆笑した。いい気味だ。

俺はその日、試合で彼らに優勝した。
猿みたいに発狂した。
それがどの程度かは覚えていないが、恐らく注意をされるくらい派手にやったと思う。そして俺は、叫んだ。
「俺に嫌がらせをするAくん、Bくん、Cくんは絶対に『ごめんなさい』が発音できないだろうと思って、何回も練習できるように俺がお手本を書いておきました! 今までテニスのフォームなど基礎的な部分から、こんな奴にはならないようにと背中で最低最悪な人間を体現しながら教えていただき有難うございました! 一生忘れられない6文字を背負いながら、これからの人生を歩んでください。本当にここには感謝しかありません。本日付けで辞めさせていただきます!」
彼らの表情が凍り、数十秒間の沈黙が流れた。
俺はおかしくなって、一人で笑い出した。習い事の時間が終わるまで、ずっと笑っていたと思う。
時間が終わって、俺がトイレに入ると、外からトイレの扉を叩かれた。それも割と、壊れそうな勢いだった。

『おい! ふざけんじゃねぇぞお前!』

そんなことを言われた気がする。俺は声を低くして、
「ふざけてるわけないし、こっちは至って本気なんだけどなぁ。あのさ、この期に及んでも『ごめんなさい』ってたった6文字言えないわけ? お前らさ、はっきり言ってヤバいよ。マジでダサい。謝罪すらできねぇ臆病者が、普通の顔で日本語喋ってんじゃねぇよ」
そんなことを言った。ドアを一回蹴った後、彼らが遠ざかっていく足音が聞こえた。俺はトイレの中で奴らがバスの時間になって帰るのを待ち、それから暫くしてから出た。
「色々とご迷惑をお掛けしました。あいつらみたいな嫌な奴もいたけど、なんだかんだ楽しかったです。もう来ることは無いけれど、ここでの日々はきっと忘れません。今までありがとうございました」
俺はコーチにそう言った。コーチは涙目で、窓の外にはブルーベリージャムのような色の夜空が広がっていた。

俺はこんな記憶を早く捨ててしまいたい。でもまぁ一つだけ願うのは、あいつらが俺の去った後に別の誰かを傷つけていないことや、傷つけたとしてもそれに対して素直に『ごめんなさい』が言えていることだ。

■某トイレにて

小学5年生くらいの頃、いじめに近いものを受けていた時期があった。俺が少し上手いことを言おうとする所が気に食わなかったのか、或いは遊びや計画を先導するのがいつも俺だったから、それがリーダー気取りにでも見えたのか。そういえば学級委員もやっていたから、何かしら僻まれる要素や疎まれる要素があったのかもしれない。俺が澄ました顔で江戸川乱歩を読んでいたことに対して思うところがあったのかもしれない。
いや、原因なんてどうでもいいのだ。
問題はどんなことをされていたか、なのである。

途中まで俺が友達だと思っていたDくんとEくん。
そいつらが、ある日妙な顔をしながらトイレについてくるのだ。奴らは小便を足そうとする俺をまじまじと眺めながら、気色悪い笑みを浮かべるのだ。
その日の前後はあまり覚えていないけど、少なくとも俺は彼らを馬鹿にしたり、笑いの対象にしたことは無い。それなのに。
その日からは、ついてくるだけに留まらず、トイレで待ち伏せをされていたりもした。だから、俺は小便だけでも個室に入るようになった。これで一安心。そう思っていたら。
〈ガタン!〉
物音がしたのは隣の個室からで、その後上から視線を感じた。俺は恐る恐る個室の上方を見上げた。
そこに悪魔のような笑いを浮かべた、DとEがいた。俺はパンツとズボンを上げかけていたのに、驚きのあまり残尿を漏らしてしまった。
その瞬間はバレてはいないようだったけれど、俺はその見えない染みの湿り気を素肌で感じ、顔をしかめながらトイレを出た。
「うひゃひゃうひゃひゃ」と猿みたいに笑う声が逃げるように遠ざかっていき、消えていた。
教室に戻っても、奴らはそこで待ち構えているだろう。
俺は早退で帰ろうと思ったが、保健室に行っている間、私物に何をされるか分からない恐ろしさがあったため、結局は教室に戻った。俺はその日の夜、担任の先生に提出することになっている日記に、彼らの悪行を全て書き込んで提出した。正直日記にその事を書くかどうかさえ幾度となく迷って、日記帳を開いては閉じてを繰り返した。
けれど、書かなければ現状は変わらないと思ったから、全てを打ち明けることにした。担任は、「それはいけないことだよ。解決しよう」と赤ペンで返事をくれた。だけど、俺は「何もしなくて良いです」とその横に書き加え、また提出した。その事実を知っている人が、自分以外にいるだけで良かった。けれど、起こるべくして事件は起こった。ここら辺は少し記憶が曖昧なのだが、俺の給食袋がどこかに隠されていて、それを見つけるために昼休みを丸々潰されたのだ。しかも、確か見つかったのは埃にまみれたロッカーの上だった気がする。俺はそれに堪忍袋の緒が切れてしまい、彼らに詰め寄った。彼らはその時期、共に行動することが無くなっていた。担任に何か忠告を受けたことも考えられた。俺は、片割れずつ話を聞いて行った。ただ、どちらとも口を揃えて言うのは、『俺はやってない、知らない』だった。怒りが限界に達した俺は、ついに怒鳴り声をあげた。

「お前がやったんやろ!!」

いじめっ子のEは、絵に書いたような巨漢で、俺はジャイアンを前にしたのび太だった。
『やってねぇっつってんだろ!』と言いながら、立ち上がったそいつに俺は怯むような理性すら残っておらず、「このクソ豚野郎!」と叫んだ。クラス全員が見ていて、その視線が痛かった。殴り合いの喧嘩に発展しそうな数秒前、担任が教室に入ってきて、
『何やってんだ!』と俺らより通る声で怒鳴った。
俺らの元に近付いてくる女性担任の顔色に怯えのようなものは一切見受けられず、私がなんとしてでもこの事態を解決するのだという熱を感じた。
俺らは、別室に連行され、そこで小一時間話し合うように言われた。その間の会話も今となってはま全く思い出せないが、なぜか相手、つまり加害者のEも泣いた気がする。俺は虐められる方の気持ちを、感情的になりすぎないように心掛けながら、優しく説くよう努めた。彼は『俺はあいつに巻き込まれただけなんだよ』とそんな都合のいい言い訳をしていたと思う。でも確実に覚えているのは、一時間が終わろうとする時、Eは『もうしない。ごめん』と言ってしっかり腰を曲げて俺に謝罪したことだ。俺は少しだけ、憐憫の情をかけてやってもいいと思った。
問題は、話にも上がったDだ。
あいつは、俺と巨漢のEが喧嘩しているのを安全地帯から眺めながら、薄汚い笑みを浮かべていた。
担任が入ってきた途端にサッと笑みを引っ込め、深刻そうな他人の表情を顔面に貼り付けたそいつが、ひどく不気味に見えた。まるでそれは、ピエロだった。

教室に戻ると、まだそいつは笑っていた。
俺はそいつを睨もうとするけど、その瞬間に目を逸らされた。チャイムが鳴ると十分休憩が始まり、俺と巨漢は仲直りをしたかどうかなどを担任に尋ねられた。
俺は頷いた。しかし同時に、奴の方に視線を向けた。
『あいつか』
担任の先生は言った。

結局小学校を卒業するまで、そいつは俺に一度たりとも謝らなかった。それから中学は同じ県立の学校に進学したが、ほとんど口を聞くこともなかった。俺は中学三年間、曲がりなりにも卓球を部活でやっていたけれど、そいつは皆が口を揃えて「雑用」「陰キャが入る」なんて言う部活に入っていた。

中学では、本当は賢いのに一緒にバカをやってくれる友人なんかができて、卒業まであっという間だった。卒業を迎えるにあたり、俺は部屋の整理に取り掛かった。そこで、かつていじめの被害を告白した日記帳を見つけた。

俺の記憶は、その『告白』の日のページで途切れていた。だから、その日記帳に自分ですら把握していなかった本性が現れた瞬間は、当人の俺でさえゾッとした。

10ページほどにわたって、罪人Dが社会で虐げられる妄想や、そいつが冤罪などで投獄される理想を小説として書いていたのだ。そしてその文体は、ノンフィクションのような体裁を取っていたから、俺はますます恐ろしくなった。

ページの隅の方に赤ペンの点が小さく最後のページまで打たれていたので、先生はこのおぞましい小説に目を通したのだろうと想像できた。返事は無かった。

奴は俺が行った高校よりも偏差値の低い高校に行ったらしかった。生粋の馬鹿なんだなと俺は笑いながら、そいつのLINEをブロ削した。その数ヶ月後、道で偶然すれ違ったDの友人から、『○○がなんでLINE消したねんって言ってたよ』と言われた。
「だからどうしたって言っとけ」
そう言い残して、その場を去った。
俺は平然を装いながらも、奴の異常さに鳥肌が立っていた。俺がどうしてLINEを消したのか。お前が一番分かってるはずだ。会いたくないからだよ。お前の顔見ると吐き気を催すんだよ。馬鹿のくせに陰キャのくせに、一丁前に人虐めるのだけは上手いのな。その才能を他で活かせ。この連載をDが読んでることは絶対に無いだろうし、だからこそ奴に向かって「お前」なんて偉そうな呼び方で文章を書いているが、俺が「お前」と呼びたいような人間のクズ、つまり平気な顔で誰かを虐めるような奴はこの社会に一定数いるのだ。

どうかここまで俺の文章を読んでくださったあなたは、それを忘れることなく、周囲にもそれを思い出させてあげてください。誰かがいじめを先導しているなら、それを止めてあげてください。取り返しがつかなくなる前に。そして、あなた自身がいじめられているのなら、あなたには声を上げる権利があります。誰か一人頼れる大人に相談してみてください。きっと力になってもらえるはずです。

時が流れるのは早く、俺は既に成人していて、社会人の仲間入りをしつつある。けれど、同年代にああいういじめを先導するような奴がいると思うと、未だに寒気がする。そういう奴が性善説で成り立っている日本社会に紛れ込んでいると思うと、夜も眠れないような恐怖に襲われる。しかしまぁ、心配はいらないだろう。そいつは絶対に、その時のしっぺ返しを受けることになる。そして、そういう人の尊厳を平気で奪える奴は、平気な顔で神様に、この世から抹消されるだろうから。

■某動物園にて

人間関係に悩んでいた高三の冬、部活の付き合いで動物園に行った。俺はその日ずっとイライラしていた。まず、どうして高校生にもなって動物園に行かなければならないのか。後輩のバンドに、俺のバンドが付き添う、というか後をついていく感じだった。バンドメンバーは案外楽しそうだったから、それにも少し困惑した。

昔よりかは、動物園の面白さを自分なりに見つけられるようになったとは思う。けれど、俺はひねくれているから、どうして野生に生息しておくべき動物を人間が捕獲して檻に閉じ込めただけの場所がビジネスとして成功しているんだろうとか、そんなことを頭の隅で考えていたりもするのだ。

最初はゾウを見た。
ゾウはもっと鳴く生き物だと思っていたが、そうでもなかった。全然面白くない。口には出さなかった。

それから猿山や、白熊や、ペリカンや、ハシビロコウや、アルパカや、馬を見た。
けれども別に、何の感動も無かった。

動物園という場所は、『動物』がいることによって話題が尽きないから、家族の気軽なお出かけや、付き合いたてのカップルのデートに選ばれるのだろう。

昼ごはんを食べようということになって、売店に寄った。売店には見た目だけを重視したメニューばかりが並んでいて、食欲は全くそそられなかった。
けれどもその中から選ぶ以外の選択肢もなかったため、俺は「~弁当」というようなものを選んだ。見た目は動物を模していた。まず、席に着いてそれを包む紙のようなものを解いた時、その薄っぺらさに驚いた。なんの中身もない小説みたいだと思った。俺はそれを口に運んで、残念な気持ちになる。

昼ごはんを食べ終えた俺は、午前よりも不機嫌になりながら、園内を練り歩く。俺がこの日、ここまで機嫌が悪いのは理由があった。午後に、バイトが控えているからだった。その日が何も無い日だったら、もっと楽しもうと思える。だけど、バイトがある日というだけで、憂鬱はどこまでも憑いてくるのだ。俺は不機嫌なまま、鬱憤を吐き出すように言った。

「みんなさ、ここが動物が可愛いとか面白いとか言うけどさ、一番面白ぇ動物はさ、人間なんだよ。動物を見るだけなのにさ、いちいち行動の一つ一つカッコつけてる奴とか、絶対彼女の横顔しか見てないよ。てか今日多分、告るんやろな。本人はずっと油断とか見せずに立ち振る舞ってるつもりなんだろうけど、緊張してんのかアイスクリーム持つ手がブルブル震えてるもん。寒いからだろって? それならアイスクリームなんか食わないだろ普通。あとさ、自分優先で明らかに待ち列できてるって分かんのに平気で割り込むじじい。あいつらさ、人混みがすごいからってそういうことやってもバレないって思ってんのかな。マジで迷惑だから出禁にした方がいいよ。あーちょっと悪口言い過ぎたかもな、ごめん。何が言いたいかってさ、動物側からしたら檻の外にのこのこやってきて、一言二言しょうもねぇこと言って笑って去っていく俺らの方がよっぽど変で、面白ぇんだよ。要するにここは、見方を変えれば『人間園』。お互いが恥部を握り合う構図になってると思うと、あんな馬鹿みてぇに笑えねぇよ」

そんなことを本気でまくし立てる俺に、バンドメンバーは吹き出した。人間園って表現面白いね、と。
どこかから声が聞こえた。
そういうお前はどうなんだと。

「俺? 見世物だよ。恥だよ。ネガティブ陰キャ、黄昏野郎、体たらくナルシストだよ。そう、俺は一番つまんねぇ奴で、誰よりも暗くて、一番恥ずかしい奴で……」

ふと気を抜いたら、泣き出してしまいそうだった。動物園で一番金や時間を無駄にしているのは俺だった。どこかから聞こえた声は動物のものだったかもしれないけれど、俺は普通にそれに答えていた。

風が冷たくなってきて、帰ろうかという話になった。
バイトの時間も近付いてきていた。

恥の多い人生の一端を、動物たちに見せてしまった。
俺は駅前でバンドメンバーと別れた。
多分俺が囚われているのは自意識の檻で、中々そこからは出られそうにないから、当分の間は両親に飼育を続けてもらいたい。お天道様が、俺をずっと鑑賞している。

■某温泉にて

去年の約一年間、温泉の中のレストランで働いていた。温泉のレストランのバイトは緩そうなイメージがあったのだが、意外とそうでもなかった。ゴールデンタイムが大体7時から9時過ぎくらいまで続くのだ。仕事の内容は多岐にわたり、メインはフライヤーで揚げ物をすることなのだが、それ以外にも蕎麦を作ったり、うどんを茹でたり、カレーを温めたり、サラダを盛ったり、とにかくやることは尽きなかった。ラッシュが運良く過ぎ去ると、俺は厨房内の空調に当たって休む。でもそれは、こまめにパトロールに来る店長に咎められる。
『これ何タイム? え?』
そういうウザい言葉選びをする店長だった。
俺は渋々、〝ポーション〟という食材を小分けする作業に取り掛かる。それが終わると、油を運ばされたり、ゴミ捨てをさせられる。時給に釣り合わない重労働だなと思うのだが、俺にはその後の楽しみがあった。

温泉が待っているのだ。
レストランの従業員は、出勤の後、温泉に無料で入れるのだ。ボディタオルとバスタオルも無料で支給してもらえる。俺はたくさんの料理の匂いが染み付いた洋服を脱ぎ、裸になる。裸になった俺は、リュックサックから入浴セットを取り出す。

「俺の疲労を湯掻いてくれ」

俺は体重計に乗り、「自分」というものを把握する。
そしてその流れで、給水器の水を飲む。
一番大きな浴槽に浸かると、疲れが徐々に溶けていく。
俺はある程度温まると、浴槽から出て身体の水滴をボディタオルで拭う。ととのう準備ができた。
サウナに入る。熱い蒸気が俺を抱きしめてくれる。
俺はサウナ内のテレビでやっているランキングが気になってしまい、ギリギリまで耐える。一位になった人を見たら、すぐにサウナから脱出する。

サウナから出て汗をあらかた流したら、水風呂に潜る。
この瞬間、俺は束の間の心地良さに溺れていく。
息を吸うのでさえ、気持ちいい。
ただ少しづつ、冷たさが身体を侵食していこうとするので、その一歩手前で水風呂を出る。
そのまま外に出て、夜風を全身で浴びる。
寒さは感じない。
俺は横になれるスペースに移動して、
夜空に浮かんだ三日月を仰ぐ。

ぼんやりとした頭で夜風が木の葉を揺らす音を聞いていたら、その音の中に不意に言葉が混じってきた。俺はその言葉に心が冷やされていくのを感じ、またそそくさと浴槽に浸かった。また温かさが戻ってくる。

浴槽の中で手の平を見たら、たくさんの皺が入っていて驚いた。急に歳を取ってしまったのか。
シャンプーをしようと思い、シャワーのスペースに移動すると、鏡に映った自分は一気に白髪になっており、全身がガリガリになっている。俺は恐怖のあまり、失神してしまいそうになる。

倒れそうになるところを誰かに支えられ、鏡の中に映ったものは全て俺の見間違えだったと気付いた。
そんなことが温泉の中ではよくあって、俺はその度に自分の疲れを自覚することになった。
自分が疲れの限界で見る老いぼれた自分は、未来からの警告なのか、或いはただの妄想なのか。
考えても仕方ないことはお湯に流すことにしているから、この日も俺はせっせと身体を洗い始めた。

【完】

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