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これゾ映画だ「ルナ・パパ」

いや、映画として作られたものはどれもが映画だけれど。
とはいえ、…。
以下ネタバレあり。

中央アジア・タジキスタンが生んだ早世の天才フドイナザーロフ監督。ソ連解体後、母国タジキスタンが独立したその年に、弱冠26歳でデビュー。のちに勃発した内戦中も映画を撮り続け、6本の長編映画を遺し49歳の若さで急逝。
もう、監督の人生そのものだけで物語が始まっているじゃないか。
そう、彼の映画は「物語」なのだ。

喜悲劇こもごもユーモアや批判を交え、夢、ファンタジーから、辛さ、痛さ、映画では伝わりにくい匂いを煙などに置き換えて多用したり、といった日常の共感しやすい事柄まで、そして音楽での高揚感や、同じ感情の時に同じ曲を使うことでの分かりやすさの演出。
人は決して同じような性質のままあるのではなく変化もあることも示唆していることの懐の深さ。
物語を語る上での大事な要素を映画に十分に盛り込んでいる。

映画を観ながらエミール・クストリッツァ監督作品を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。物語の進め方、辛くともユーモアをもった眼差しで人生をみる達観した人生観のようなもの、音楽に対するユーモアのようなのセンスは二人にとても類似しているように感じた。

この映画で取り上げられているテーマで村的差別の在り方は、日本でも全く同じようにあっただろうし、この映画、この監督作品がもっともっと日本で普及されてもいいんじゃないだろうかと思う次第。

映画の内容でとても感心したのが、受胎の場面。
これは秀逸である。
むしろ、このシーンを思いついてからこの映画を作ったのではないかと疑えるほど素晴らしい。
憧れと自然の美しさと命の危険と快感からの生命の誕生。

完璧

しかし現実は「美しさ」に対して厳しかった。
訳のわからないもの、ルールから逸脱したもの、美しいもの、に対しては社会は厳しいのだ。

一時的に彼女は光を見たかに思えたが、すぐに暗黒がやってくる。
その後には、ファンタジー的なエンディング。
これもエミール・クストリッツァ監督で見た気がする。形式は多少違うが。

この映画は人に教訓を与えるものではないと思う。
でも、ボクはこの映画を観て思わずにいられない。
「やっぱり、走り続けよう」と。
急に話が自分の話になってしまった。w

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