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子育て失敗論。経験を通して。

子育て論で偉そうなことは言えない。
なんせ自分がいい親だったとはいえないと思うからだ。「子育て論」に関しては色々思うところがあるが、どうも自分を振り返ってみて自分自身が大した親ではなかったのに、話す前から説得力がないじゃないかと自身で思ってしまうわけだ。

これは何も「子育て論」に限らないと思うが、子育てに関しては成長した子どもがいる親にしたら、申し訳なく思ってしまうか、それともトンデモナイ毒親の可能性か、語るとしてもスーパー客観論でしかないだろう。
そこで一旦自分のことは棚に置かせて頂いてスーパー客観的一般論として子育ての問題について語ってみたい。
とは言え、多少の経験と学習と見聞きした見識を盛り込んでだ。

記事の中心的な話は「心を育てる」こととある。良いと思う。
最近は、勉強も学校任せ、塾任せ。子どもの余暇の時間のほとんどが習い事で埋まる事なんてざらだ。たまの休暇は、ディズニーだったり、映画だったり、出来上がりのイベントごと。つまり、お金はかけるが親自身の手間はかけない。或いはかけられない。ディズニーや映画が全くダメというわけではない。人任せのイベントごとだけで終わってしまっていることにどうだろうという問題提起だ。
親が率先して何かを見せる機会を作る。それに意識付けさせることで親が習慣的に、意識的に何かを行っているのだと気づかせることで、子ども自身が一つのことに習慣化できるようになるのではないだろうか。
「良い習慣」は親が付けるものだと記事ではあるが、まさに一緒に暮らす親でしかできない教育である。そこに教師は介入できないものなのだ。

イベントごとも受け身のものが多い。自身で企画するモノならいいが、先ほど例に挙げたようなお金を払えば誰でも体験できるようなイベントごとでは、確かにその瞬間は子どもは楽しいが、「良い習慣」やそこから生まれる「心を育てる」という過程には中々結びつかないものだ。

親も親で子どもの前で失敗することを怖がっているかと思うが、大人も失敗することがあるという姿はむしろ見せた方がいいし、失敗してもそこからどう頑張るか、どう気持ちを切り替えるか、どう次のチャンスへと持ち越すかを見せた方がいいだろう。

そして、結果を急がない方がいいだろう。
そもそも「結果」を求めるのか?
子どもが有名大学に行って、一流会社に入ればOK?(昭和か!)
20代で結果?
30代で?
我が子が亡くなる時?
考えればキリがない。


ボクの場合…

もうこうなったら、我が子が成人になった段階でこちら側で一旦自己成績を付けて後は自由にしていただこう、というのがボクの今のポジション。
で、結果はというと…。
ゴメンナサイ!
だった。

開き直りかもしれませんが、もう過ぎてしまったものは取り返せません。成人となった彼らには彼ら自身で頑張っていただくしかありません。ただしフォローはさせて頂きます!

っていうのが今のスタンス。
「失敗論」というのはあくまでボク側のスタンス。彼ら側ではない。くれぐれも。ダメ親の下でよく頑張ってくれたと思う。
そして、彼らの人生はまだ始まったばかり。まだまだだ。頑張ってくれ~。

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