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叔父と私の生活⑦

こんな事を書くべきではありませんが
私が初めて包丁を持ってもうこのままだと皆んなが
幸せになれない。これ以上こいつは生きててはならないと思ったのが叔父。
あの時はこいつがいる限り、皆振り回されて不幸になるもう生きる価値もないと怒り虚しさ苦しみ憎悪しかありませんでした。

叔父に「もう消えて。皆不幸になる。あんたは悪魔や。人を不幸にするしか出来ん人間や」と叫びながら叔父の背中に向かって包丁をゆっくりと背中に刺そうとした寸前
「桜子やめろ」と呼ぶ声に我にかえりました。
その時私の相談をのってくれてた男友達。
後に付き合う事になりましたが。
私は包丁を持ったまま泣き崩れました。
勢いで自分の手に刺さり血だらけ。
男友達が叔父に何か言ってるけど聞こえない。
私はその時何を思ったのかわからない。
ただこの人が死ねば皆楽になると本気で思った。
その時の叔父の横顔は今も鮮明に覚えてる。
色眼鏡の中から見える死んだ魚のような目。
そして少し悲しげな横顔だった。
その後気を失って目が覚めたら病院だった。
興奮を抑える鎮静剤を点滴。両手は包帯。
学校の精神論を教えてくれる先生の病院だった。
男友達と仲良い友達がいた。先生もいた。
「お前があの人を殺して誰が幸せになるん。婆ちゃん、お母さんが余計に悲しみ苦しむ事もわからんか?お前が人殺しとして生きて行くんぞ。しっかり考えんか」と授業でも聞いた事がないくらいの声で先生が怒った。
結局私も親父と同じで頭がプツンとキレると何もわからないのか?私がやるしかない?後先考えずになんて事をしてしまったんだろう。
でも1人で耐えられなかった。
子供の頃も貧乏だったけど、叔父と二人暮しは耐えられない。闇金、仕事はしない、裏切り、逃げる
金を使い込む、妹が死にかけても何とも思わない
電気ガスは停められ、姪の私の小遣い生活費をあてにする。
18歳の私には耐えられなかった。
その日の夜はナースステーションの中で1晩過ごした。1人が怖かった。自分が怖かった。悪魔なのか?
人をこんなに憎んで殺そうとした。それすら分からなかった自分が怖くて。
それから少し入院した。面会謝絶。声が出ない。気力もない。廃人のようになってしまった。
ただ窓から空を見てるだけ。雲の動き、風が揺れる自然だけが癒しだった。
その頃の記憶は覚えてないが叔父の横顔だけは忘れない。
その後は友達家族が私を迎えてくれて、数日お世話になった。鬱だった。薬を飲みながら学校にも通った。婆ちゃんが退院する日。私は車の免許もまだ取ってないので友達が一緒に乗せてくれて無事退院。
叔父は知らない。婆ちゃんは私の顔を見るなり泣いている。「桜ちゃん。悪かったな辛い思いさせてごめんやで。」婆ちゃんは何もかもお見通しなのか
「これからは婆ちゃんがしっかりするけん。あんちゃん(叔父)の事許してやってな」と。婆ちゃん
優しすぎるよ。でもあんなんでも息子やもんな。
その日婆ちゃんとダブルのお客様用の布団で寝た
変わらず18歳の私に昔話をしてくれる。
泣きながら聞く私を婆ちゃんが頭を撫でてくれる。
婆ちゃんごめんな。悪い子で。鬼がとりついとる悪い子でと婆ちゃんに言うと、そんな事ないよ。桜ちゃんはええ子やでと。
18歳で心底人を恨み憎しみ憎悪しかなくそして叔父を刺そうとした自分が怖かった。
今でも生きてきた中でこの人だけは許せない。
こんな事があったけど、叔父は変わらない。
それから私も専門2年生になり実習が始まり忙しくなる。婆ちゃんにはほぼ寝てもらい、学校と婆ちゃんの介護がはじまる。
そんなに時、2年生の5月に叔父がまたとんでもない事を起こす。
これも真実です。それでも私は素直に書きたかった。気分不快になったら申し訳ありません。



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