他人のpiece of resistanceに敏感でありたい

森絵都さんの「できない相談」という短編集を読みました。
最近は、何かちょっとしたことがあるとネットで総叩きになったり、あるいはワイドショーでも、何かと批判的な態度が目立つ印象があります。もちろん当事者にとっては許せない出来事もあるとは思いますが、第三者はそこまで怒らなくても良いのではと感じます。
こうやって書くこと自体がおじさんっぽいですね(苦笑)。実は私が会社に入ったころも、飲み会の話題といえば、会社や上司の批判だったり、応援している野球チームの選手や采配を批判することが多かった感じがするので、他人のことは言えません。
ただ、自分としては、もう少し世の中や他人に対して寛容でありたいと思っているわけです。そんなときに、この「できない相談」という本を読みました。
ここに出てくる主人公はどちらかというと真面目で良い人が多いです。そんな人たちの些細な抵抗が書かれていて、どれもクスッと笑ってしまいます。
鷺沢萠さんの「私はそれを我慢できない」を小説にしたような感じであっという間に読み終えることができました。
我慢できないことは、他人のちょっとした一言だったり、夫婦の間のちょっとしたルールだったりします。
側からみると、そんなこと、どっちでも良いじゃんと、つい言いたくなってしまうことなのですが、本人からするとそれは譲れないことなんだろうと思います。
そのようなことは自分においてもある気がしています。
例えば、私自身がせっかちなところがあるせいか、悩む前にやっちゃえばいいじゃんとか失敗したらやり直せば良いんだからと思うことがよくあります。ところが、同僚や後輩にとっては、そうでないようで、そんなときに「どっちでも良いじゃん」なんて言ってしまうと、カチンと来るのではと思います。要するに個人のこだわりや主義に対して私が寛容になれていないんでしょうね。
こうやって考えると、こだわりに関しては4つのパターンがありますね。
・自分にも相手にもこだわりがないこと ・・・どういう決定でも問題ないし、自分も相手もイライラしません
・自分にも相手にもこだわりがあること ・・・好み・こだわりが異なると衝突しますが、自分も主張するわけですから、仮にイライラしたとしても原因は明らかです。
・自分にこだわりはあるが、相手にこだわりがないこと ・・・この短編集の主人公のように、自分はイライラするのですが、そのイライラは相手に伝わらないですね。
・自分のこだわりがないが、他人にとってはこだわりがあること ・・・この短編集では相手役にあたるところです。私は気づいていないですが、ここになっていることが多いのかもしれません。不用意な一言で相手を傷つけたり、イライラさせてしまっているのかもしれません。
そうすると、私はもっと気遣いをしないといけないのかもしれません。
例えば、指示するときにも、「これやっていただけますか?」と一見丁寧に依頼しているようで、「これくらいできるよね、問題ないよね」みたいなニュアンスが入っていることがあるかもしれません。つまり「ノー」と言えない依頼を押し付けているのかもしれません。
「大丈夫?」とか「不安とかやりにくそうなところとかない?」とか、「希望ある?」みたいなことも聞いてあげることが必要なのかもしれません。
その前に日頃から、1人ひとりのこだわりや好みをもっと知る努力が必要なのかもしれません。どうでも良いじゃんなどと思わず、細かなこたわりを尊重し、相手のことを好きになれるようになれるといいなぁと思いました。
自分が寛容という言葉に変な心地よさを感じ、細かなことにこだわらないように心がけるのを他人にも求めてしまうことが、寛容でないことを認識いたしました。。。。

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