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なぜ勉強をするのか?考察してみた

多くの学生が数学を学ぶときこう思うのではないだろうか、
『なぜ使いもしない数学なんかを勉強しなければいけないんだ』と、
僕は数学が比較的得意なのであんまり思わないのだが
たしかになぁと考えるときもある
そんなわけで現役高校生なりに考察しようと思い立った

実際に使うのか?という話

よく言われるのは『身近なものは学問があるからこそ成り立っているのだ』
という話。例として挙げると「トイレ掃除」だ
トイレに汚れとして付着する「アンモニア」はアルカリ性なので
酸性洗剤で中和して汚れを落とすことができる
こんな話をすることで「勉強は役に立つ」という気にさせる
要は退屈している学生の気を紛らわすのだ
これはよく考えてみれば何の理由にもなっていない
ただ理由がわかっただけである
他にもいろいろな勉強しようぜ話があるだろう

役に立つ領域とは

「何を学べば役に立つのか」これは学生にとって切実な問いである
役に立つ学問というのは大抵、専門性が高い
つまり難しいのだ
そのレベルを高等教育で会得できるのか いやできない
所詮はカリキュラムに従っているのだ 全国の高校生が学ぶことを
想定している時点で基礎しかやらない

基礎は大事

基礎がなければ応用を学ぶことができない
という主張は真っ当である しかしここで言いたいのは
将来的に発展的な内容を学習をする気がない人も混じっているということだ
差別的な発言をしたいわけではないが、
学んだことを使わない人だっている
化学だけを極めたい人は国語なんて学ぶ必要ないだろう
だから「全ての人が学ぶ必要はない」という勉強したくない論が
出てくるのである

国民皆教育

できない人は学ばなくていい できる人だけでやろう
というのは結構危険な考え方だ 
なぜならこれは格差社会を生み出すからだ
これを生み出さないために義務教育というのがある
高校までは義務教育ではないがもうほぼ義務みたいなもんである
全員に平等に学ぶ機会を与えることで格差をなくすという試みだ
これにはもう一つの面白い効果がある

勉強はギャンブルだ

国民に平等に教育の機会を与えることは下手な鉄砲も数撃てば当たる
を表している
得意な分野でそれぞれが能力を伸ばしてくれるのだ
これなら5教科もやる理由を理解はできる

最後に

結局のところ勉強しなきゃいけないなんてないのかもしれない
学校という社会的なシステムに学問が組み込まれている以上
人間はそれに逆らう事ができない
上記のことはあくまでも気休めとして受け取ってほしい

以上
読んでくれてありがとう‼


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