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これができれば天才ギタリスト

天才という言葉を軽く使ってしまったが、
多くの人が描いてる 天才的なプレイヤーの条件が
2020年ごろ ハッキリした。

私は人間の先天的な能力については、
通常問題なく生まれつけば、
固体差は微々たるもので、
上限と下限の差はそんなにないのではないかと
考えていた。

もちろんコンマ1秒を争うような競技や
その少ない個体差が大きな勝敗をわける
性質の場面では、差は存在するが、
こと音楽を生業にできるか否かは
生まれ持った才能は微々たるものであり
訓練次第で能力的に下の者が
能力的に上の者を超える事例は確認できてないが
かなり肉薄できるのではないかと考えている。

結果だけを言えば
オリンピック金メダルを取れるか否かは
生まれ持った才能的なアドバンテージも
可否を問う重要なファクターだが、
プロミュージシャンになれるかの可否は
例え音楽的才能に恵まれなくても
訓練次第でプロミュージシャンにはなれる
気がしている。

世界一の売り上げを誇る音楽家ではなく。
自活できるだけの収入を音楽的な仕事で
得るのには才能が影響する部分はゼロではないが、
訓練次第で追いつくチャンスは、想定よりある
そんな気がする。

そして 訓練次第の部分だが
訓練の内容は今回は度外視して
訓練に割く時間に着目したい。

そして私もこの理由で今後 大成はできないであろう。


これができれば 天才ギタリスト



それは・・・・


「練習を練習と思わない感覚をもてること」


もう暇さえあれば
楽器弾きたくてしょうがない
下手すると寝食さえも忘れかねない
この感覚があればなれる。

私は子供の時から
ゲームが好きで、
今でもゲームはしている。
もちろんプロ志向ではないが、
ちょっと隙間の5分や
電車の待ち時間
お店での待ち時間
寸暇を惜しまずやりたい
そして 時には
まったく収入等には結びつかない
ゲームを上手くやるコツを
誰にも頼まれていないのに
考えたり、調べたりしている。
大人になったので世間体が悪いという考えから
時に家族の目を盗んでまでゲームしている。

ゲームの方が私は向いているのかもしれない
ゲームの方が才能の量があるのかもしれない

ギターに関しては好きであることに
嘘偽りはない。
しかしある時 今日は2時間くらい弾いたから
ゲームしようと思ってしまったときがある。
これではなれない。

昔 別の日に
今日は3時間はゲームやってるから
今日は満足してやろうと考えたことがある。
しかし その日は試したいことやりたいことが生まれ
たしか またゲームした。

認めたくないが、1番はゲームで
サブで音楽 ギターなのかもしれない。
ゲームプレイを努力だと思ったことはない。
むしろ努力より好きなことやってる
休憩 怠惰 ダラダラ 休んでる
というイメージをもってる。

ギターの練習を努力だとか
修練だと思っていると
どうしても結果のための
努力になりやすく、
少しでも弾いていたい人が
寸暇を惜しんでやる修練に
時間的な量も質も敵わない。
そんな気がします。

しかし 時々
ギター弾いていると
バラバラだった知識が
一本の線の様に繋がり
心地よい納得と
以前はできなかったプレイが
出来たような感覚になる時が
ごくまれにある。
そんな時は30分しか弾いてられないのに
あと少し弾いてたいし
ここまでも時間の経過を感じない
というときがあるが、
この状態を意図して作れれば、
どんな人でも上手くなるのかもしれない。




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