ビギナーズラック
文章を書くこと
遠い記憶を引っ張り出して並べてみると、
文章を書くことが「好きではないけど、苦ではない」子どもだった。
それは ちょっとした国語の記述式問題に始まり、読書感想文まで。
ただ頭に浮かぶことを整理しながらつらつら書いていた。
思いがけず賞をもらったこともあった。
誰かに響いたことが嬉しかったからか、はたまた更に賞が欲しかったからか
大人の目を気にし過ぎて、何も書けなくなったりした。
一丁前に、作家先生のスランプみたいだった。
そんなこんなを思い出し、noteという「評価」が見えにくいところで
「自分の気の向くままに文章を書いて、たまに誰かが気まぐれに覗いてくれたらラッキー&ハッピー」のスタンスで始めたいと思った。
続けたいな、続くといいな。とワクワクしている。
ADHD
私は中程度~のADHD特性を持っている。
(子どもの頃は優等生タイプ、大人になってからは優秀でありたいけれどポンコツタイプだった。失敗トラブル続きで別件受診し、発覚した次第。)
診断を受けたのはかなり最近で、
あまり衝撃はなく「腑に落ちた」感覚だった。
というのも、
昔から 文章では自分の感じたことを表現できるのに
口に出す=瞬発的な判断が必要な場面 でたくさん失敗してきたから。
アレはADHDの「衝動性の強さ」からきていたのかも、とアハ体験した。
最近は薬を飲むことで、
ちょっとおっちょこちょいな人 ぐらいをキープしている。
上手く付き合っていきたい。
noteである理由
たまに聞いているラジオパーソナリティが
noteへ その日話しきれなかったことを
つらつらと書き綴っているのを読むのがとても好きだった。
もやっとした部分を明快に言語化してくれる爽快感があった。
本当に最初はそれだけがきっかけだったけれど、
ブログとは違うなぁという印象を受けたのも理由としてひとつある。
感覚的な話になるが、営利=お金 の匂いが漂ってこないので
「書いてあること」に集中できるのだ。
ネットの海で 本やエッセイを読むことに近い体験ができるのは
単純にとても嬉しい。
今では更新を楽しみにしているnoteがたくさんある。
それは、好きな作家のエッセイ最新作を待つに近い感情だ。
それがnoteを選んだ理由。
変わらないでほしい部分でもある。
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