見出し画像

照見五蘊皆空度一切苦厄~タントラマンへの道(第110話)

蘭:NLPより効果的? なにそれ? どんなところが効果的なの?

TM:お釈迦様って知ってるよね?

蘭:うん。仏教の元になった教えを広めた人でしょう?
パンチパーマあててるんだよね。
それから、悟りを開いたっていう噂もあるわね。

TM:あ、そうか! パンチパーマと悟り、もしかしたら因果関係があるのかもな!
そうだとしたら、僕もパンチパーマだった時期があるから、悟りを開ける可能性は高そうだな。

まぁ、それは良いとして、どんな悟りを開いたんだっけ?

蘭:あぁ~、わたしが何もしらないと思ってるでしょう? 馬鹿にしないで!
え~っとぉ、
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄・・・」
だから~、
要するに、
「わたしたちがこの世に存在していると思っている何もかもは、本当は『空』だっていうことをはっきりと分かった。そして、それが分かった途端に、この世のあらゆる苦しみから解放されたってこと」、みたいね。
で、この『空』っていうのが曲者なんだけど、一言で言っちゃうと、
「実体が無い」っていうことらしいの。
でも、実体が無いって言われてもな~。あるとしか思えないんだよね~。

TM:なぁ~~んだ。知ってたのか。それくらい知ってればまずは十分だよ。

蘭:でしょう? ねぇねぇ、細かいことかもしれないけどさ、
お釈迦様と観自在菩薩は同じ人なの?

TM:どうでもいいんじゃない? そういえば、孫悟空が飛び跳ねてた掌の持ち主って、僕はお釈迦様だと思い込んでたけど、話のバージョンによっては、観音様って書いてあるのもあったりするよ。
だから、あまり深くは考えないで、「悟りを開いた凄い人とその象徴をひっくるめたもの」くらいの認識でいいんじゃない?

蘭:そっか。じゃあ、わたしはお釈迦様で統一しておくことにするわ。

TM:で、NLPより効果的だったものについての話に戻るんだけどね。
釈迦が悟りを開くにあたって採用していたとされる瞑想法があってね、
ヴィパッサナー瞑想っていうんだけど、もし、これを先に学んでいたら、NLPは要らなかったかもしれないなって思えるくらいの優れものだったんだ。

蘭:へぇ~、そうなんだ。 TMさんのことだから、NLPにもいっぱい無駄にお金使ってそうだもんね!(笑)

TM:ホンマ、ホンマ。どのくらい使ったかなぁ。その後、某所に土地を買って家を新築したんだけど、それと同じくらいじゃないかな。
その割にはあまり身についたとは思えなかった、と言うか、全然元を取れてないからもったいなかったのは確かでね。

蘭:やっぱり!(笑)
じゃあ、ヴィパッサナー瞑想にもたくさんお金を使ったの?

TM:No. 合宿や書籍などの教材等、全部合わせたとしても数万円ってところじゃないかな。
だから余計にNLPやそれと関連したセミナー等につぎ込んだ金額が大きく感じられてしまうわけ。

まぁ、それも必要必然だったと思うことにして。
ヴィパッサナー瞑想を実践していくとね、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」
がなんとなく体感できるような感じになってくるんだよ。

なぜそれがそんなに凄いと感じられたのかと言うとね。
例えば、NLPでは、何か解決したい問題があったとすると、その問題を解決するためにひとつ以上のワークやセッションを行うのが普通なんだ。なので問題が複数あるときは、それぞれ別個に解決していくことになる。
少なくとも、僕が知っている範囲ではってことなので、今はもっと優れた手っ取り早い方法もあるのかもしれないし、個別対応方式でも、似たような問題なら連鎖して解決してしまうこともあるかもしれないんだけどね。

それに対して、ヴィパッサナー瞑想では、さっき蘭ちゃんが言ってくれたように、
「わたしたちがこの世に存在していると思っている何もかもは、本当は『空』だっていうことをはっきりと分かった。そして、それが分かった途端に、この世のあらゆる苦しみから解放された」
っていうことをなんとなくでも体験できてしまうわけよ。

これって、凄くない? だって、あると信じていたあらゆる問題や苦悩が、
本当は何も無いっていうことが分かってしまうんだから。
そもそも問題なんてものは無いんだから、それについて悩んだり苦しんだりする必要もないし、解決する必要も無いんだからね。

蘭:じゃあ、TMさんは悟りを開いたの?

TM:もちろん! だって、パンチパーマあててたことあるし!
・・・と言いたいところだけど、まだほんの入り口に立ってみただけの程度だよ。
10日間の沈黙の行を行う合宿に2回参加しただけだし、
日常生活の中に瞑想を取り入れているとは言えない状態だからね。
それでも、ヴィパッサナー瞑想が役に立ったと実感できるシチュエーションには遭遇したことがあるんだ。
例えば、大腿骨を骨折した時。その時は事情があって、骨折した時から病院に行くまで丸二日間放置していたんだけど、その間の激痛に耐えるのに使ったんだ。要は、痛みの感覚に集中して痛みそのものを観察し続けるんだ。そうするとなぜだかわからないけど、痛みに耐えることができるの。
痛みを感じなくなるって言うわけではないんだけどね。

もう一つは、心臓の手術をすることになった時。その時は別に何かに集中したわけでは無いんだけど、最初から「俎板の鯉」に徹することが出来て、不安や心配とは無縁でいられたんだ。死んだら死んだで仕方ないなって思えたというのかな。とにかく恐怖は感じなかったんだ。

蘭:ねぇ、それでそのヴィパッサナー瞑想っていうのは具体的にどうやるの?

TM:実は、さっき、蘭ちゃんもやったんだよ!(笑)

蘭:えっ!?

TM:ほら、さっき、ムズムズしてきた時にさ、ムズムズする感覚に集中するように誘導したでしょう?
ヴィパッサナーの基本は、感覚に集中するところから始めるんだ。
例えば、一番初めは、自然に呼吸している場合に、鼻の穴から出た空気が鼻と唇の上の皮膚に当る感覚に集中し続けるんだ。

蘭:集中し続けているとどうなるの?

TM:そうだなぁ、僕の個人的な体験という限定なんだけど、
刺激と反応が分離して感じられるような感覚になってくるんだよ。
で、それが当たり前の感覚になってくるとどうなると思う?

蘭:刺激と反応? クリちゃんを刺激されると気持ち良くなるみたいなことかしら?(笑)

TM:まぁ、それもそうだな!(笑)
でもさ、クリちゃんに実際に触れられてはいないのに、「触られてる!」って想像しただけでも気持ち良くなることってあるだろう?

蘭:うん。ホントにそうなる。さっきのは、TMさんが氣を送ってくれたからっていうこともあるかもしれないけど、別に氣を送ってもらってなかったとしても、空想しただけで濡れて来ちゃうこともあるからなぁ。

TM:それって、過去に体験した気持ち良かった時のことが空想がきっかけになって呼び起こされて、それに身体が過去の時と同様に反応したってことなんだけど、それは分かる?

蘭:うん。なんていうか、条件反射って言うやつかしら?
わたしが空想しただけでも溢れて来ちゃう愛液は、パブロフの犬のよだれと同じってことなのね!?

TM:まぁ、そう考えてもらっても良いかな(笑)
でさぁ、実は、我々はほとんどの場合、その条件反射だけで日常生活を送っているんだよ。
つまり、「刺激と反応」がセットになってしまっているんだ。
セットになってしまっているのが悪いっていうことではないよ。
例えば、熱いものに触った時に、「熱い!」と感じて手を放すみたいに、
生命に危険をもたらすような場合には必要な仕組みなんだ。
でも、そうではない場合、例えば、トラウマとか好き嫌いのような場合、
それらを最初に体験した時の状況と反応が強く結びついてしまっている場合が多いんだな。
本来なら、その時の状況に対する反応はひとつとは限らないのに、その時選択された反応がその後もずっと、その刺激とセットになって自動的に現れてしまうんだ。

蘭:なるほど。だから、昔、嫌なことをされた男の人に似た人を見たら、その人は本当は良い人なのに、なんだか嫌な感じがしてしまうのね。

TM:そうそう。で、NLPではそのような刺激と反応を形成している脳内のプログラムをプログラムし直すことによって、トラウマや好き嫌いのようなことを消滅させてしまいましょう、ってなことをするわけ。

それに対して、ヴィパッサナーは、全ては『空』、で解決!(笑)

蘭ちゃんは、どっちが良い?

蘭:もちろん、全ては『空』の方よ!
あ、でも、あんなに気持ちのいいことまで『空』だなんて、
やっぱり信じられないわ。
ねぇ、あれも『空』だとしたら、どうしたらいいの?




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?