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コトダマ

物心ついたときから字や絵を書くことが好きでした。
たくさんの習い事で続いたのは書道だけ。
大好きなお友達と通っていたからかも。
とにかく、幼い頃から文字や言葉についてひとり考えたりするのが好きな子でした。

現代では言葉というのは自分の氣持ちや考えを表現するツールのようなもので、また悪気なく発せられた一言がハラスメント問題につながるような、非常に取り扱いの難しいものでもあります。

たとえば「カタカムナ」
これは古代文字で、
カタ=目に見えるもの(肉体や物質)
カム=目に見えないもの(エネルギー)
 ナ=それらが命を支えている
という意味で、48音で構成されており、ひとつひとつに意味を持ちます。
この発祥は今から数万年の日本で縄文時代くらいではないかと言われており、
自然の摂理や宇宙の法則をうたい、人が生きていく上で大切なことをうたに乗せ共有していたのです。
この時代は争いなく平和だったと言われており、想像するだけで美しい世界です。

人々が争うようになったのは稲作が始まった弥生時代くらいからで、場所による収穫量の違いから起こる貧富の差、稲作に適した土地・水を求めるようになったからだとも言われています。

私には幼少期ほんの数日、突然言葉を失った経験があります。
詳細は割愛させて頂きますが、小学校低学年の頃母親に病院に連れて行かれて、喋りたいけど声が出ず、吐息だけを一生懸命出す私に中年の男性医師が
「おかしいねぇ、喉も腫れてないのになんで声が出ないんだろうねぇ」
と優しく笑いかけてもらった事を今も鮮明に覚えています。

大人になって考えてみたら大体見当はつくんだけど、多分精神的なものでした。

否定的な、呪いのような言葉を発せられると人は腐ってゆくんだなと。

そう考えると現代で使われている言葉にもパワーはあり言霊となって人を癒したり傷つけたりしているのかなぁとも感じます。

何というか、現代ではものすごく苦しい言葉の使い方をしているような氣がしてから色々調べ始めると、たくさん面白い発見があったのでこれからそういった事をまとめていけたらと思います。

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