Note 46: リチャード・ストールマンの引退
2019年9月17日、コンピューター業界に激震が起こった。
天才プログラマーにして、フリーソフトウェア運動の開祖、リチャード・ストールマンが、マサチューセッツ工科大学(MIT)での役職、および、フリーソフトウェア財団(FSF)の代表を退いたのだ。
ぼくも激しい衝撃を受けた。
赤の他人とは言え、愛用しているソフトウェアの作者であり、大恩人だ。
たぶんTOKIOのツアーを見に日本中を追っかけているファンの人が、山口くんの引退で感じたのと同じぐらい衝撃を受けたと思う。
だけどわざわざ引き合いに出す必要はなかったかもしれないし、適切なたとえではないかもしれないとも思う。
あっそうそう、元モーニング娘。安倍なつみさんが、ポエムの盗作問題で一時活動休止したとき、ぼくはモーニング娘。のコンサートに足繁く行っていたが、そのときも衝撃を受けた。
そういうことで、好きな人の不祥事は辛い。
彼の名前をこの事件で知った人が、そういう人、それだけの人だったのかと思うのはもったいないので、彼の偉大な業績と、事件について、そして最近の世相について、思うことを書く。
あまり利口な人はこういう文章を書かないような気がするが、ぼくは馬鹿だから書いてしまう。
馬鹿なりに真剣に書くから、よければ読んでください。
事件のてんまつ
事件は、ロリコン大富豪ジェフリー・エプスタインが、コンピューター界に対する巨額の資金援助をしたことに始まる。
エプスタインは所有する島に少女たちを集めて、自家用ジェット機で要人を招いては、ご乱行に励んでいたそうだ。
いわゆる上級国民であって、入獄してからも割と自由に家に帰ったりしていたそうだけど、上級国民は上級国民なりに悩みがあったらしく獄中で自殺した。
悪は栄えない。
以て他山の石とせむ。
エプスタインはアメリカの大富豪らしく、さまざまなところに寄付金をばら撒いていた。
理由や事情はよく知らない。
彼の名前を隠してお金を受け取っていたかどで、MITメディアラボの所長であった伊藤穰一氏が辞任している。
エプスタインはまた、数多くのセレブに少女の性を供与していた。
MIT人工知能研究所の設立者で、AIの父と言われるマービン・ミンスキー(故人)もその1人である。
当時17歳であった女性が、エプスタインに強要され、ミンスキーと関係を持ったと告発したのである。
ストールマンは、恩師である故ミンスキーを、仲間内のメーリングリストで擁護した。
ミンスキーと関係を持った当時、上記の通り女性は17歳であった。
女性の同意なしに性的関係を結ぼうとするのは、レイプだから当然犯罪だ。
さらに、女性が成熟した自己決定権を持っていない児童の場合、本人が同意したと言っていてもレイプになる。
これが性交同意年齢で、地域の法律によって違う。
日本は刑法では13歳だが、児童福祉法や地域の条例によってだいたい18歳とされている。
アメリカはミシガン州が16歳、ニューヨーク州が17歳、カリフォルニア州が18歳とまちまちである。
ストールマンの、直接批判を浴びたメーリングリストでの発言は、こういうことらしい。
- 17歳か18歳かで道徳が変わるのはおかしい
- ミンスキーと関係を持ったとき、少女は自発的に性を提供しようとしていたのではないか
- ミンスキーは暴力を振るっておらず、強姦と言う言葉はふさわしくない
むろん妄言、暴言であり、まったく支持できない。
いかにミンスキーへの尊敬があったとはいえ、ストールマンがこんなことを言うなんて、幻滅だ。
深く反省してもらいたい。
(すでに反省っぽい発言はしている)
ぼくも尊敬している人に対する夢が壊れた。
しかしながら、彼がすべての役職を投げ打つまでの罪をおかしたのかは疑問を持たざるを得ない。彼は、
- エプスタインから資金援助も受けず
- 少女の性を供与もされず
- ただ故人の恩師を擁護するために、
- 頼まれもしないのに妄言を唱えた
それだけのことであるのに、すべてを奪われるほどの重い罰を受ける必要があるだろうか。
変な人ではあった
彼は相当の奇人変人で知られていた。
いわゆるヒッピーの生き残りである。
スティーブ・ジョブズももともとこういう感じで、風呂にも入らず、異臭を撒き散らしていたが、Appleを創設したときに、雇い入れた経営のプロの人に説得されて風呂に入るようになったそうだ。
ジョブズは晩年はスッキリ清潔な身なりになって、カリスマ経営者として巨万の富を得たが、ストールマンはそうはならなかった。
人生いろいろだが、清潔な方がいいと思う。
ミンスキー擁護のメーリングリストを公開し、彼を告発した女性は、他にもいろいろと過去の彼の問題行動を暴露している。
いわく、MITの部屋にマットレスを敷いてそこで暮らしていた(じっさい家を持っていなかったらしい)ので、女性スタッフはそのフロアを避けて歩いていた。
いわく、学食で彼と2人になった女子学生が、しつこく言い寄られて相当気持ち悪かった。
ということで、そうとう気色悪い人である。
厳しく注意するべきだ。
天才プログラマーとして有名だし、見るからに関わり合いにもなりたくないから、言ってやる人がいなかったのだろうか。
だとすれば、みんなにとって不幸なことだ。
おっさんのシモネタと人権意識
ぼくも以前、見境なくシモネタを言っていた。
思い出すだけでも恥ずかしい。
ある日、当時の同僚が、あなたはシモネタで損をしている、もったいないからやめるべきだ、と真顔で言った。
それで反省した。
忠告してくれて感謝に堪えない。
ストールマンも、彼女に会わせたかった。
自己弁護はおかしいけど、昭和男のシモネタはひどかった。
いぜん吉本の社長岡本氏の、芸人へのパワハラ発言が問題になった。
岡本氏と言うと、80年代ダウンタウンのファンだった人には有名な人だ。
当時はマネージャーで、ブリーフ一丁でバンジージャンプをしたりしていた。
その人が、吉本の社長にまで登り詰めて、社員の芸人にパワハラをしていたわけで、なんともやりきれない。
また、NGT48の山口真帆さんが、悪質なファンによって顔を掴むなどの暴行をされたという問題で、運営会社AKSの取締役、松村匠氏が記者会見の席上で、問題を矮小化するような発言をした。
事件をマイルドに、小さな物にしようとしたが、リアルタイムで会見を見ていた山口さんが、ツイッターで発言の矛盾をつき、それを見た記者が松村氏に詰め寄った。
まさにネット時代ならではの出来事だ。
(この件で松村氏は取締役を辞任)
この松村氏は80年代にフジテレビのADで、とんねるずの番組で汚れ役をやっていた。
80年代は、こういうテレビ局や広告代理店の宴会のノリをテレビで見せることが大変おもしろく、何なら「オシャレ」(!)とされていたのだ。
ぼくもそれを見て、ヒャーヒャー笑っていた。
今思えば、笑っていた自分が恥ずかしい。
黒歴史だ。
岡本氏や松村氏は、そういう文化の中でのし上がり、今度は自分がイジる番だとばかりに、体育会系の論理で若い世代に接していたのだろう。
しかし今はネット社会、metooの時代であって、それは通用しない。
時代は変わったのだ。
ていうか、昔がおおらかで良かったわけではなく、現在がやっとまともになったのである。
よくテレビで古手の芸人が「昔は良かった。今はポリコレ、コンプラで面白いことは何も出来ない」とか言ってるけど、ポリコレ、コンプラは弱者を守るものだ。
昔のテレビのイジリ文化の影で、つらい思いをしていた社会的弱者が声を挙げられるようになった。多様性が重んじられる世の中になり、ポリコレ、コンプラが重視されることになった。
80年代と言えば、ロリコンブーム、鬼畜ブーム(死体写真などを面白がるサブカルの一分野。書いてて思うけどカルチャーでもなんでもねえよ)というのもあった。
イベントで「今やったらアウトだよ(笑)」と言っているサブカル文化人がいるそうだが、当時からアウトだった。
やっと世間の認識がまともになったのだ。
ということで、むかしのルーズなモラルに慣れているおっさんの人は、感覚をアップデートしないとダメだと、自戒を込めて思う。
ストールマンもその不幸な一例ではないか。
擁護ではないが、そういう面はどうしようもなくあると思う。
業績
しかし、この事件でストールマンの偉大な業績が損なわれるものではなく、彼の残したものは受け継がれなければならない。
彼はフリーソフトウェア運動の唱道者として知られる。
フリーソフトウェアというと無料のソフトですかと言われるが、それは矮小化した理解である。
誤解を呼ばないように以降は自由ソフトウェアと呼ぶ。
この文脈でフリーソフトウェアと対置するのが、プロプライエタリ・ソフトウエアだ。
絶対に覚えられない言葉なので、こっちは独占的ソフトウェアと呼ぶ。
プログラムというのは、一般的に、最初はプログラマーの手によって、C言語などの、比較的人間が理解できるプログラミング言語というもので書かれる。
多くの場合if、print、gotoなどの英語っぽい言葉だ。
この状態をソースコードという。
こうして書かれたプログラムを実行するには、コンパイラーというソフトを使って、プログラミング言語を、マシン語という機械が理解できる言葉に翻訳する。
マシン語は010100110101010……のような、意味のない2進数(ゼロと1)の集まりだ。
ソースコードに対して、この状態を実行形式と言う。
Microsoft Excelや、Adobe Photoshopのような独占ソフトウェアは、実行形式のみが販売される。
だから改造は不可能だ。
多くの場合、1つのパソコンでしか実行できないようなロック機能が付けられていて、使う人は必ず1個買わないといけない。
もしソースコードが配られたら、使う人はいくらでもそれをコピーし、ロックを外したり、好きな機能をつけたりして、コンパイラーを使って自分用のプログラムを作れる。
あるいは他の人にもコピーを配布できる。
これでは商売あがったりだという考えで、MicrosoftやAdobeのような、ソフトウェアを売って儲けている会社は、基本的に独占的ソフトウェアの、実行形式だけを売っているし、それを使って作るデータも、010101011010……という解読不可能なクローズドのファイルにしている。
(※最近は流行らせたい製品は一部オープンソースにしたりもしている)
一方、ストールマンが開発した、ぼくが一生で一番使っている(いまもこの原稿を書くのに使っている)Emacsというエディターや、それをマシン語にコンパイルするgccというコンパイラーは、自由ソフトウェアで、実行形式だけでなく、ソースコードも提供される。
ソースがあるから、新しいコンピューターで動かなくても、腕に覚えがあれば改造し、コンパイルして動かすことが出来る。
自分好みに改造することも出来る。
人にコピーを配布することも可能で、ネットで公開されている。
フリーソフトウェア運動とは、ソフトウェアは必ず自由でなければならない、ソースコードつきでコピー自由でなければならないという運動だ。
ストールマンが辞任したFSFという団体が目指しているのはGNUというUNIXに似たシステムだ。
GNU全体はまだ開発中だが、GNUの一部であるEmacsやgcc、Photoshopに匹敵する高機能画像ソフトのGimpなど、数多くのGNUライセンスの自由ソフトウェアがある。
Linuxの一種であるDebian GNU/Linuxというディストリビューションを使えば、自由ソフトウェアだけをインストールすることが可能であり、自由ソフトウェアだけで研究、開発、仕事を行うことが出来る。
プロの世界では自由ソフトウェアだけで仕事を完結することも珍しくない。
独占的ソフトウェアを使って仕事をすると、製品にも自由でないライセンスの部品が混入してしまう可能性があり、特許訴訟などを起こされたら厄介だからだ。
こうして、ヒッピーの変なおじさん、ストールマンさんが起こした運動は、コンピューター界に革命をもたらした。
自由ソフトウェアの価値
ソフトウェアが自由であることの利点は、単に使う人がお金を節約できるというだけにとどまらない。
もし、ソフトウェアが自由でなければ、同じような機能を実装するために、複数の会社が、秘密の作業場で、別々に秘密のソースコードを書かなければならない。
複数の才能あるプログラマーが、お互い秘密で、同じことを、協力しないでやっているのだ。それははもったいないだろう。
もし自由ソフトウェアを使えば、プログラマーはまだ開発されていないソフトウェアの開発に集中出来る。文明の進歩が加速されるのだ。
OSやコンパイラーのような有名なソフトウェアのソースコードが公開されると、世界中のハッカー(<=コンピューターが好きで得意な人、という本来の意味)たちが、先を争ってソースコードを読む。
そして、バグやセキュリティホール(脆弱性、ネットワーク犯罪者に利用される欠陥)を見つけ出す。
そして、すぐにソースを書き換えて、それを誇らしげに公開するから、どんどんプログラムの品質、安全性が上がっていく。
こっそり個人情報を抜いたり、コンピューターに悪さをするような秘密の機能を付けることも出来なくなる。ソースをハッカーが読んでしまうからだ。
暗号化も安全になる。暗号化するソフトは、ソースコードも秘密にした方がいいんじゃないですかと思われるかもしれない、がそれは勘違いだ。
暗号化のアルゴリズム(プログラムの論理)は自由で公開されたものにし、「鍵」だけを秘密にすべきだ。その理由はこの本に詳しい。
じゃあソフトウェアでお金を儲けちゃいけないんですかと言われるかもしれないが、自由ソフトウェアでお金を儲けることも出来る。
解説書や配布キットを作ってもいいし、人にインストールしたり、使い方を教えて儲ければいい。
それは科学でお金を儲けることや、小説でお金を儲けることと同じだ。
鍵のかかった部屋に閉じこもって、誰かが作ろうとしてるのと同じプログラムを書くよりも生産的じゃないですか。
自由な情報を配って生活している人はいっぱいいるのである。
自由ソフトウェアは、自由なデータ形式も保証する。
Wordを持ってないと開けないファイル、Photoshopを持ってないと開けないファイルが問題になるが、フリーソフトウェアを使えば解決だ。
こっそりデータに悪い機能を入れることも出来ない。
つまり、フリーソフトウェア運動は、オープンで公明正大な社会を目指しているのだ。
それを唱道していたストールマンが、前時代的な、人権を軽視する発言をして失脚してしまった。
なんとも皮肉なことで、かえすがえすも残念だ。
こんなことで終わる人ではないから、今後もその活躍に期待する。
そしてこんなことでフリーソフトウェアは、Emacsは絶対に滅びない。
(この項終わり)