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教皇庁改革の背景

教皇庁改革(使徒憲章『プレディカチオ・エバンジェリウム』)の解説、続きです。
教皇庁の「成り立ち」といったことについて、知らないことは多いな、という印象。教会(カトリック)組織の変遷やその背景があらためて解説されています。

(「教皇庁改革:古くて新しい……そして未完のもの」ラクロワ、2022年3月29日付)
16世紀の聖省の設置、第一バチカン公会議後の司教任命制度、パウロ6世の国務省の設置などと比べ、今回のフランシスコの改革は「革命」ではないという説明から始まっています。
今回の目的は、教義の防衛より、福音を告げ知らせることで、教理省(仮称。「コングリゲーション」→「ディカステリ—」に変更されます)より福音宣教省が先に置かれていることも象徴的なようです。財務に関する部門が「省」になっていないこともその軽重に意味があると付記されています。信徒や女性も各省庁の長上になりうること、国務省が他の省より上位ではなくなることなども説明されています。フランシスコが利用していた「枢機卿評議会」が使徒憲章の中には規定されていないことが驚きをもって受け止められています。一方で、教皇庁と世界代表司教会議(シノドス)の両輪が、教皇の首位権を補佐していくという構図らしく、教皇庁とシノドスの力関係は23年シノドスを受け、今後発展していく方向のようです。
フランシスコの教皇機関のキーワードはシノダリティなわけですが、教皇庁は縦割りの官僚組織なことは変わりないわけで、どこまでこの「シノダリティ」が教皇庁にも活かされていくのか、今後の発展が注目されています。改革が本ものになるか、掛け声倒れに終わるか、時間の経過の中で見ていくことになる、という結論です。

(「バチカン改革の次のフェーズが重要」ラクロワ、2022年3月26日付)
こちらは、使徒憲章が急いで出されたために、タイプミスが多く、イタリア語でしか出てなくて、6月5日の施行なのに大丈夫? という問題提起で始まっています。
16世紀に始まった教皇庁の組織規定から、5回目の改訂だそうで、その際のシスト5世が作った組織は、基本的に踏襲されていて、それ自体は「革命的」なわけではない、と断っています。ただ、運用について、フランシスコとその後継者が今回の使徒憲章を実践していけば、それは以下の点で「革命的」だそうです。
1)信徒が教皇庁内の「ガバナンス」の役割に就きうる
2)教皇庁は世界各地の司教への奉仕役となる(地方分権化)
3)教皇庁は世界代表司教会議(シノドス)へ協力する(司教団の役割強化)、しかもこのシノドスに司教以外(司祭や信徒)を将来含めていくか?

こうした点が、憲章から読み取れる中、この憲章を実行に移していくための「人事異動」が、次のフェーズとして注目される、と書かれています。改革実現に向かって、進展していけるでしょうか?

(「改革は現実のものとなった」ラクロワ、2022年3月26日付)
最後は長い論文です。
ベネディクト16世とのツーショットがトップフォトになっているとおり、前教皇が認めた公会議前ミサを、フランシスコが否定した話から始まり、それは単に典礼だけでなく、第二バチカン公会議による改革の否定になるからだ、という導入で始まります。教会組織を改革することの神学的妥当性を解説した記事と言えるでしょうか。
長いので、詳細、読んでいただいた方がいいと思いますが、キーワードは「継続性による解釈学(hermeneutic of continuity)」「不連続と断絶による解釈学(hermeneutic of discontinuity and rupture)」「改革の解釈学(hermeneutic of reform)」。どれも、「改革者」として先の公会議で大活躍した神学者である前教皇が使用した考え方のようです。ピオ9世の誤謬表から公会議を経て、教義は可変で発展するという、「改革」が起きうる神学的根拠とでも言えるでしょうか、それを丁寧に考察しています。
死刑、諸宗教やエキュメニズム、ヨハネ・パウロ2世の「謝罪の日」など、教会の教えと現代社会の対話の成果によってすでに実現されている「改革」もすでに多く、変わることへの恐れを抱く人は多いものの、変われる能力が教会への信頼性を高める、と締めくくります。

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