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5歳の内省姫に学ぶ

前回の「夢とnote」や他の投稿にも書いたが、将来書くことを中心にした生活をしてみたいという希望がある。それは書くことを職業にするのとは違う。まるで仲のいい友達のように、「書くこと」が身近で頼れる存在になることを望んでいる。
 
それでこうしてnoteを始めたし、書くことについてもよく考えるようになった。
 
ここでずっと人生のど真ん中にあり、天職と思っていたカウンセラーというアインデンティティの地位が危うくなっている。学部時代を含めればもう35年くらいこのアインデンティティが不動の一位を占めていた。もちろん「こんな私にカウンセリングなんてできるのか?」と悩むことはあったにしても、いつも「もっと人を理解したい」「もっと上手になって人の役に立ちたい」という燃えるようなパッションがあった。そしてこの火が消えることなどないと信じていた。
 
ところがそのパッションの勢いが落ちてきているのだ。今でもカウンセリングはやりがいを感じている。ただ「もっともっと」という焦りにも似た上達への情熱が和らいでいて、時期が来たらリタイアしても良いとさえ思っている。
 
私をよく知っている友達にこのことを話すとびっくりされるが、一番びっくりしているのは私だ。心の中で大革命が起こっているのである。今まで信じていたことがひっくり返される衝撃。今まで大事にしてきたことを手放す寂しさや不安。新しい可能性のワクワク。でも一番強い気持ちは当惑である。私の心はもう先に進んでいるのに、頭はまだ追いついていないような感じである。
 
それで思い出したことがある。私が幼稚園に入る前だったから5歳くらいの頃のことだ。それがなんだったかは覚えていないが、私がとても大切にしていたおもちゃがあった。とても特別な感情を持っていて、妹に貸すのも嫌だと思っていた。ところがある日そのおもちゃが突然色褪せて見えることに気づいた。まるでその魔力を失ったように。今でも覚えているのだからかなりの衝撃だったのだろう。
 
そして子供心にこう思ったのだ。「今まで大事なものがそれほど大事でなくなるのは、私が成長しているからに違いない。だからこれからも大事だと思ったものが、意味がなくなることはあるだろう。」
 
そこには内省姫がいた!

そして今、5歳の内省姫から教えてもらっている。「あなたが大事だと思ったものが大事ではなくなったのは成長したからだよ。だから新しいことを楽しんでね。それだって大事じゃなくなる日は来るかもしれないから。」と。


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