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ここまで来てくれる?[百合風味]

【概要】
・若干百合風味の友情ストーリー
・嫌いという感情をどうにかプラス方向に持っていけないかと考えて生まれた話です




私は今何をしているか。林美来琉という女と対峙している。学校一の美少女でスタイルも良い、名前で想像出来る通りの陽キャラと。
彼女は明日の授業の科目を聞くような口調で「そのアザ何?」と聞いた。
「今気づいた。だって由真ちゃん、いっつも目を合わせてくれないからさ」
由真ちゃんって気安く呼ぶな。図々しい。新しいまっさらな教室でどれだけ自分を目立たなくさせるかが勝負なのだ。これでは私の計画は既に失敗している。
「関係ない」
そう突き放したら少し口を尖らせ「そんなあ」と言う。そして片手にあるアーモンドチョコドリンクをすすった。その間も黙って教科書を読む私のことを覗き込む。人より大きくて丸い瞳を見開いて。
「由真ちゃん?」
とまた呼ぶ。私は返事もしない。そしたらじっと観察される、私は無視する……。
そんなことが一か月繰り返されていた。それでも終わらない。
 
毎回放課後になったら必ず私の方を振り向いて「由真ちゃん」って呼ぶのだ。それでも私は移動しなかった。いや、出来なかった。学校で大人気の女を避けていると知られでもしたら、どんなに目立ってしまうか。一気に名前が知られて話題になるに違いない。『あの林美来琉を退けた女、中村由真』と。それだけは勘弁だ。
美来琉と前後の席になったのがまずかった。新学期早々運がなさすぎる。よりによってなんで陽キャラが? 地味な舞子でも丸眼鏡の武雄でもなくてなんで彼女? 男子たちに羨ましがられるだろう。美来琉という女が大好きな頭の足りない男子たちに。
「結局中村さんの席が一番良いじゃん。変わってくれねーかな」
ええ、変わってやりますとも。君たちが先生にどうかお願いしてくれ。
「由真ちゃん、せっかく美来琉と仲良くなれるチャンスなんだからもっと打ち解けたらいいのに」と言ってくる女子もいる。そうしてまた『由真=絡みづらい』の構図が出来上がる。
自らの意思でこうなっている訳じゃない。面倒なことに巻き込まれるのを嫌い、場所を選んでいるだけだ。呼吸困難になりそうな学校という藻の中を生きるのに最適な方法だった。
ただでさえ目立つものを顔に宿しているのだから。額のアザ……。

******* 

感動的なストーリーとか、可哀想な悲劇とか、不幸な生い立ちとか……そんな説明はいらない。ただ小さい頃の火傷で、それが消えずに跡に残ってしまった。
それがこんなに大きく見えやすいもので、生活に支障をきたすということは、小学生になって気づいた。
友達と話すだけでも額を出していると一瞬相手がそこを見ているような気がしてしまう。写真やプリクラの出来上がりでもつい自分が見てしまうのは額。盛られた目とか、青春の一ページになりそうな制服ではなくて額。むしろ何かストーリーのあるアザならましだ。そのストーリーが相手を無意識に納得させる材料になるのだ。ただのアザだからより惨めで、常に人の視線が妖怪の百目のように無数に、自分の額に向けられているのではと感じる。
だから高校に入って気づかれないようにするために前髪を下げた。髪の毛の量が多くて十分だった。
ほぼ一年間……。毎日気を使っていたおかげでここまできたのに。この女が気づきやがったとは。
「由真ちゃんの目ってよく見るとカササギみたいに真っ黒だよね……」
「それどういう意味?」
「カササギも黒いから目って見えづらいけど、本当は神秘的じゃん!」
美来琉がもっと顔を近くに寄せたので、私は反対側を向いた。これはカラコンだった。目が小さいのがコンプレックスで毎日カラコン入りのコンタクトをつけている。
「皮肉?」
「違うよー。由真ちゃんって面白いね」
こらえきれない負の感情を心に押し込めながら、私は勉強を進めた。違います、自分はこの女と仲良くしてるんじゃありません。勝手にこの女が話してます。カッコ悪いし、気持ち悪いよ。でっかい独り言。
私が何も答えなくなると、美来琉も言葉を発しなくなった。ふと目をやると、突っ伏して寝ている。
「なんだ、寝てるし……」
悲しいことに、自然と私は彼女の観察兼見守り役になってしまっているのだ。
正しくは、なっているという意識は特にしていないが、みんながきっとそう思っている。どう考えても迷惑を被っているのはこっち側なんですけど……。
だから気にせずに勉強を進めることが私の防御行為だった。
目の前の世界史の教科書にある『楊貴妃は玄宗を惑わせた傾国の美女であった』。どれほど美人だったのか、頭で考えを巡らす。要するに何か目的があって男に近づいて自分の地位を上げようって感じだ、顔面と女を利用して。それが結果的に国を揺るがすことになったと……。

ろくなヤツじゃないな。そしてまた無意識に寝ている美来琉を見つめた。
美来琉は間違いなく美女だ。つんと尖った鼻筋と、若干紅がかかった小麦色の頬はハリがあってそこに長いまつ毛が影を落とす。当然卵みたいに滑らかなのが見ただけでわかる。これでは男が放っておかないのも認める。でも、実はこの女も『楊貴妃』みたいな人かもしれないよ。陰キャラの典型的な考えが露呈する。
 

時計は完全下校の時間である五時に近づいた。学校回りの先生が来てしまう。
このまま美来琉を放置するか、しないか。どちらにせよ私にはデメリットしかない。ならば善意でと起こそうと思った時、美来琉がむくっと起き上がった。
「あれ? もう時間?」
「ごめん。なんか爆睡しちゃった」と欠伸をしながらぐーんと背伸びをする。
そして二人で学校を出た。何気に一緒に帰るのは初めてだった。
 
何度も話しかけられて距離が縮まったとかでは断じてない。私が色々と見誤っただけだ。しかもこのバカ長い一本の道を歩かなければならない。最悪。
隣の美来琉は意外と背が高かった。そして美脚。体全体のバランスも良い。あーあ、なんで一緒に帰ってんのかな。これじゃ『中村由真は惨め』って看板背負っているようなもんなのに。陽キャラと陰キャラが二人並んで歩いていたら、きっと周りからそう思われる。美来琉も全然こっちを向かない。だから余計腹が立った。あんたのせいなんだけど? あんたのせいで私の生命断たれそうなんだけど?
蒸し暑さと蓄積された不快感でそのまま座り込んでしまいたかった。
プラスこそ浮かばないのにマイナスの想像は後を絶たない。
仮にも誰かが見ていたら? 写メか動画が学校中に広まって、白い目で見られるようになって……挙句の果てに……。
「あたしってどんな子に見える?」
最初の横断歩道に差し掛かった時急に美来琉が尋ねた。
「何が?」
「だから由真ちゃんはあたしに対してどんなイメージ持ってる?」
面倒な質問だなと思った。私が今一番したくないし、してほしくもない質問だ。そこでふと思いつく。この女、落ち込んだりするのだろうか。誰からもちやほやされる陽キャラがガッカリしたらそれはそれで面白い。私の中でどす黒い女の嫉妬が渦を巻き始める。
「男を散々振り回した挙句捨てそう、五股とか普通にしてそう」
「あっはは! お腹痛い!」

美来琉は腹を抱えて笑った。
「みんなそう言うよね。でも残念ながらそれはしたことないよ。お付きいは何回かあるけど、本当に!」
「噓。お付き合いしたことある人は多いでしょ?」
「十人とかかな」
「多い」となぜか少しほっとする。
「変な噂とかあたしは放っておいてるから。いちいち否定するのも面倒臭いし。みんなが勝手に思っていればいいやって。でもそれほどあたしは特別じゃないよ」
なぜか本当のことに思えて私は黙るしかなかった。
全く楊貴妃みたくなかった、意外と普通の女の子だったということが心底憎らしい。その憎しみを悟られないようにずっと下を向く。
『想像上の林美来琉』の方がましだった。異次元の人であったからだ。次元が違う中での差は許されるが、同じ次元の中での差はもっとえぐい。耐えられない。
美来琉は制服を二つに折り直して、長い髪を束ねる。誰もつけないような香水の匂いがして、私の内蔵がきしんだ。
「林さんの態度とか雰囲気がみんなにそう思わせるんじゃないの。私がみんなから『絡みづらい』って思われてるように」

「由真ちゃんが?」
美来琉が首を傾け不思議そうに私を見た。教室内で同級生が言っているのを聞いているはずだ。「中村由真とは仲良くしづらい」と。
だから毎度、教室内に入る瞬間は得体の知れない恐怖が絡んでくる感覚がある。渋谷のスクランブル交差点で人が一斉に押し寄せてくるみたいに……怖い。
その恐怖に苛まれると、額のアザなんか忘れてしまう。やっと席について「あ、そうだった」と思い出してそこに触れる……。
今、前髪が挙げられ、額に湿った手が触れていた。
「ちょっと!! やめてよ!」
美来琉の手を振り払ってきつく睨んだ。当の彼女はきょとんとした顔で「犬っぽいかたち」と言った。
「犬みたいで可愛い。額の草原を走り回っているみたい」
嫌味か。しかもにこにこしながら私の最大のコンプレックスを笑うとは。この綺麗な顔面にパンチしてやりたい。
「そうやってからかって、面白い? だから周りから遠巻きに見られてるんじゃないの? そういう女ってみんな嫌いだよ。何でもかんでも言いたいこと言って、顔はいいから男には好かれてる。一番嫌われるタイプだよ。みんなそう思ってるよ」
私は舌先に残った苦味を憎しみと混ぜて一息で言ってやった。
「だよね……ごめん」
美来琉の顔が少し沈んで私はやったぜ、と心で叫ぶ。この人に対する憎悪は底知れぬ深さだったらしい。陰キャラの自分だって人間、相手を恨む気持ちとか妬みは人以上にあるのだ。それこそ教室内でのカーストだったら上位二位に入るくらい。
「由真ちゃんははっきり言ってくれるんだね」
「は?」
「いや、今までそこまではっきりと言われたことないから、嬉しい」
「どエム?」
「そうかも」
美来琉の顔はかつて見たことないほど緩んでいた。それが可笑しくて思わず吹き出してしまう。
「みんな心でなんか思ってても、言わないだけだと思うもん」
そう言う彼女が寂しそうだ。それはわかるかもしれない。じっと奥にしまいこんだ感情をみんなはどこで吐き出すのだろうか。それはもちろんグループ内での会話、いくつもグループを用意して違う人のことを同じ考えを持つもの同士が分かち合う。

「それが学校ってもんでしょ」
「由真ちゃんが言うなら、そうだね……」
納得。楽勝。私は物分かりの良すぎる女だと自分で思っていた。隣にいるこの女よりも。
美来琉はそれ以降話さなかった。いつもの通り私をしつこいほど観察しているだけだ。そして横断歩道を三つ過ぎて駅に着く。美来琉は短く「またね」とだけ言って去って行った。もしかしてあの言葉でかなり傷つけてしまったのだろうか。思った以上に深く突き刺さったのかもしれない。

*******
 
私はとうとうその次の日、学校を休んだ。決してサボりではない、お腹が痛くて微熱があったから。布団を頭までかぶりながらスマホのlineアイコンをタップする。何も着信があるわけないのに癖で画面を開いてしまう。そしてまたアザに触れる……。彼女の言っていたことが気になって、鏡でアザを写した。
確かに犬……っぽくも見える。
犬が走っている形。まともに鏡で見たのは初めてだ。今まで頑なに見なかったコンプレックスをこんなにあっさり見たことに驚いていた。すごく意外だった。
そしてまた真顔でlineの通知に目を向ける。当然何もない……。
私は実は表裏のある人間なのだ。
陰キャラを装って、それを納得したふりをしてまた少しだけそこから脱却できないかと考える。話しかけられるのが嬉しかったりする。そして帰ってから奥底の極端に低い自己肯定感が邪魔をし、「何を喜んでいるんだ、可哀想だから話しかけただけだ」って言う。その繰り返し。
美来琉と話して楽しかったのだろうか。……少しだけ嬉しかったかもしれない。学校一の美少女が隣だったのだから。その効果で自分もほんのちょっと目立ったかも、って理由。本人にも誰にも言えないけど。

 

インターホンが鳴ったので重い体を動かしてドアを開ける。
「ヤッホー。来ちゃった」
「な、なんで?!」
前とは違う巻き髪で現れた美来琉が口を結んでおどけた顔を見せた。
タイムリーすぎて家に入れたくない。さっさとドアを閉めようとしたら細い体がするっと中に移動する。
「お邪魔しまーす。うお、広い! いい匂い!」
「ちょっと!」
「冷蔵庫どこ? ほら、これゼリーとか飲み物とか買ってきたから」
渡された白いビニール袋はどしっと重かった。悔しい。これで家を追い出せなくするなんて小賢しい女だ。
「休んでなよ。あたしが準備するから」
美来琉のせいで悪化した体調が体を蝕む前に私は部屋に入って寝そべった。勝手に入って勝手に帰ればいいやと思えてきた。今日は親の帰りも遅いから好きなだけいて、滞りなく帰ってくれれば気にしない。ここにきて美来琉に対する態度が甘くなっている。
「由真ちゃんの部屋って広くていいね」
「そう?」
「人の部屋ってあんまり見たことないから、新鮮で!」
男の家には嫌というほど行ってるんじゃないの?と心で呟いた。すると美来琉がそれを見透かしたように笑う。
「今なんかそんなわけないって思ってた? 男の家はあるでしょ?って」
「…………」
「でも残念ながらないよ。人の家に興味ないから」
私だって興味ない、それなのにあなたを家に入れている。それは最大限の譲歩だ。
美来琉がバッグから取り出したアーモンドチョコの独特な香りで、最初の頃を思い出す。あの頃より図々しい。

「ゼリー食べる?」と尋ねてきたので、「いらないから飲み物」と答えた。
「由真ちゃんって学校でいつも水しか飲まないよね」
「水が好きだから」
「そう? 味がなくて寂しくない? あたしのアーモンドチョコあるからあげよっか」
「いいよ、その匂い嫌いだから」
「食べたことないだけじゃないの?」
私にとっては何度も経験した沈黙。私が話すといつも嫌な空気を作ってしまうのだった。話すのが嫌だ。人間が嫌だ。放っておいて欲しい。
それが『絡みづらいひと』のレッテルを貼るのだが、自分の生き方に向いているのかもしれない。
ちらりと目を毛布から出す。美来琉は黙って窓の外を見つめている。もう夕方になっていると気づいた。優しい赤い明かりが部屋に漏れていた。
「明日は学校来てよ」
「……知らないよ……」

美来琉は窓の外に目を向けたまま呟く。今まで聞いたことがないような声色で。
「あたしはわかるよ。由真ちゃんはそういう人だもん」
「…………」
屈折した人間像を読み取られているようで怖かった。怖いけどなぜか心は静かに話を聞いている。
「いいじゃん。あたしのことを本気で嫌いな訳じゃないでしょ? 今もこうやって家に入れてくれてるし。あたし、何だかんだ話せて楽しかったんだよ。それでいい。それだけで由真ちゃんに明日会える」
「何言ってんのかわからない」
美来琉が目を細めて笑った。それは何度もむかついた彼女の笑顔であることには違いなかった。でも私も釣られて笑う。気持ち悪いほど単純でバカだと思ったから。
 
帰り際、美来琉はアーモンドチョコドリンクを置いて帰った。やっぱりあっさりした軽々しい女、と罵倒してそっと手に取る。鼻をつくような甘い香りの下にメモを見つける。鉛筆で、『やっぱり見てくれた!』と書かれていた。
くそー。またはめられた。悔しさでいっぱいになって、パックをギュッと握った。水滴が手に冷たく残った。
悔しいけど、嫌いだけど……うざいけど……。まあいっか。
明日学校行ってやるよ、そしたらまた「やっぱり来てくれた!」って笑うに違いない。ほら、私が上手だ、いつも先を見越している。

それでも変わらないものは変わらない。例えば私の美来琉の対する印象とか、私たちが仲良くできそうもないところとか。額を犬と言ったことも許してないよ?
でも、仮に。
あの女が「由真ちゃんところに行くから話そ」とか言ってきたら、私も数ミリ心開こうかと思う。本当に私って天邪鬼のくせして単純バカだ。ちょろい。
だから林さん、あんた次第だよ。ここまで来てくれる?
 
私は穏やかな気持ちで窓の外から美来琉の帰った方向をなぞった。

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