見出し画像

夢へのWINDING ROAD

転職した初日、すごいところに来てしまったな…と思った。

職場は本社ではなく、かなり年配の女性4人でやってる町の教材屋さんだった。
もちろん事前には聞いていて、小さい会社で年齢層が高いのはわかっていたけど、実際、中に入ってみると、思った以上で愕然とした。

でも、これ以上転職してもデメリットしかないな、と覚悟を決めた。とにかく次に繋がる、何か転職の糸口を見つけることにした。

多分、独身だったら3日以内に辞めてたな。

収入的には、引きこもり相談機関→クリーニングチェーン→心理検査出版社と上がってはいたが、元が低すぎるし、土日休みだったので、週一で前職のクリーニングチェーンの配送のバイトで稼ぐことにした。

これが精神的によかった♪
月〜金は、いろんな学校へ納品や営業をして学校の先生と仲良くなる。
日曜日はクリーニングチェーンでパートの主婦やバイトの兄ちゃん姉ちゃんと楽しくクリーニングを仕上げて納品し、たまに飲みに行く♪
そうやって数年過ごした。

長男が生まれた。

その間も、今の仕事を抜け出す方法をいろいろと模索していた。

引きこもり相談の仕事の経験から、産業カウンセラーの資格を取得したり、某自治体で就農講座があれば参加したりした。

引きこもり相談の仕事をしていた時に出会った、障がい者就労支援の仕事をしている人と異業種同世代交流の飲み会を主催して、いろんな方と出会った。それは、10数年続いた。

また、産業カウンセラーの講座では、定年間近のサラリーマンや、人事担当の年配の女性、人材派遣会社で働く若い女性など、老若男女あらゆる職種の人がいて、その人達と定期的に勉強会を開いたりもした。

この頃は、本当に異業種、異年齢、あらゆる人と出会った。


以前から妻や妻の友達から、小学校の先生を勧められてた。妻は教員免許を持っていて、小学校の講師を2年ほどしたことがあった。

でも、小学校の先生なんて!?全部の教科だし、そんな小さい子の相手は自分には向いてないだろうとまず思って、そのまんま、しばらく時間が過ぎた。

それでも、なんやかんや、じわじわと、時間をかけて、小学校の先生になるということが、少しずつ自分の中で現実味を帯びていった。

どうして、そういう想いに至ったのかというと、先生が減ってて足りないという状況と、単年契約の常勤講師でもボーナスもあるし、十分生活はできるなど、生活面での現実的な話をいろいろ聞くようになって少し本気で考え出した。

それと、仕事で学校の先生に会うことが多く、自分の経歴や先生になることを考えてる等、いろいろ話す中で、魅力ある仕事だと改めて思い、やってみたいという気持ちが大きくなっていったからであった。

そして、自分の中で気持ちが固まっていき、先生になりたいと思った。

その決め手となった理由は、引きこもり相談してる時に、引きこもりになったきっかけが小学校での出来事が原因という人が多かったので、自分が小学校の先生になって、学校でトラブルがあった時に、ほったからかしにせず、見守って助けたい。引きこもりを1人でもなくしたいという想いに至ったからである。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?