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天からのパンが支えた「聖なる安息」

奇跡によって紅海を渡ったイスラエルの数百万もの民は、雲と火の柱に導かれて、シナイ半島の内陸へと進んでゆきます。
しかし、聖書筆者も『広大で恐ろしいほどの荒野を進んで行った』と語られるほどに、何も無く乾いた大地の続くところを歩む民、肥沃なナイル河口での定住生活に慣れた人々はどう反応するでしょうか。
荒涼とした砂漠のような場所で彼らはどうやって命を支え、自分たちを生かしてゆけるのでしょうか。夏が近づく季節にこの一国民は、このままであれば、暑い砂漠で飢え死にし、無数の屍をさらして滅び去っていたことでしょう。


エジプトを出たイスラエル民族の大集団は、紅海を渡って対岸のシナイ半島の沿海部から内陸へと歩きますが、持っていた食料は底を尽き、当然ながら食物を何とかしなければなりません。しかし、ほとんど砂漠のような土地が延々と続く旅程では、時折にオアシスに立ち寄るほどで、何もない荒野で数百万が食糧を得ることでは絶望的環境に違いなく、人々はモーセに『エジプトでは肉鍋を囲み、パンを飽きるまで食べたものだが、あなたは我々を荒野で飢えで死なせるのか』と苦情を言い始めます。(出エジプト16:1-3)

イスラエルの民は、エジプト軍の追撃に遭ってモーセに苦情を言い、次には食糧の枯渇に際しても苦情を言います。どちらも彼らは神YHWHへの信頼を試されたのであり、その都度彼らは偉大な奇跡の数々を見ていながら、試みに遭うと神の力に頼るまでの信仰は無いことを示します。

イスラエルがエジプトを出て一か月となり、彼らは「シン」と呼ばれる本格的な荒野に入ります。しかし神は人々がモーセへの不平を鳴らすのを聴いていて、その日の夕方には民の宿営を覆うほどのうずらの大群を来させ、彼らが肉を食べるようにされました。
しかも、それが偶然ではない事が、その翌朝にはっきりとします。

明け方に宿営には一面の霧がかかりますが、それが晴れてゆくと地面には霜のように白く薄いものが一帯に降り積もっています。人々は「これは何だろう」と言い合うので、そのは「マナ」(マン)と呼ばれることになるのでした。
モーセは民の話して、『これはYHWHがあなたがたにお与えになったパンである。皆が自分の食べる分に応じて取るように』と告げ、一人当たり2.2リットル(1オメル)を一日の割り当てとします。

人々は出て行って、マナを集めてゆきましたが、多く集めた人も少しだけ集めた人も、計ってみるとみな同じであったと出エジプト記は記しています。
それは早朝に集めるもので、陽が暑くなるころ地表に残った「マナ」は霜のように消えてしまい、家の中に取分けた分だけが残っています。しかし、それも日を越して保存することは出来ず、翌朝には腐り、虫が湧いてしまうのでした。
そのため、人々は毎朝に新しいマナを集める必要があり、命を支える『日毎のパン』となってゆきます。それもこの奇跡の給食は一日だけのことでも、一週間でもひと月やふた月のことではありませんし、一年や二年のことでもありませんでした。それはなんとイスラエルの数百万が『約束の地』に入植を始めた年のアヴィヴ14日までの四十年もの間、ずっと降り続いたというのです。(ヨシュア5:12)

しかし、神は「マナ」を降らせない日を七日に一度設けます。つまり、民は六日の間、毎日「マナ」を集めるのですが、七日目には「マナ」が降らないので、その前日の第六日に二倍の量を集めておき、イスラエルの人々は「マナ」を煮たり焼いたりして、それを保存することになります。
第六日から七日にかけての「マナ」は加工すれば腐ることも虫が湧くこともなく、七日目の食糧にも事欠かないよう神は取り計らうのでした。

では、その「マナ」が第七日にだけ降らないどのような理由があったのでしょうか。それは、七日に一日を生業に携わらない日として取分けるという習慣をイスラエルに定着させることにありました。
その日には、生活のための仕事をしないということであり、マナを集めないということは、その一日をどう過ごすべきかを考え、また何かを象徴するものと云えます。

イスラエルの大集団は、マナの供給が二倍になる第六日、つまり今日では金曜日と呼ばれている日に二日分を集め、翌土曜日の第七日は仕事を行わずに家で休むようになり、その七日の一日が『安息日』[ヨーム ハ シャバット]と呼ばれることをモーセから知らされました。(出エジプト16:23)
その日には『だれも自分の場所から出てはいけない』というのです。

このマナが降り始めた出エジプトから二か月目では、この七日に一日のサイクルの意味は未だはっきりと説かれてはいません。
しかし、古代文明以来人間は一か月を四つに分けてきました。
一太陰月の月の様態に、新月から新月までを満月を挟んだ上弦と下弦、その二つの半月の経過で四つに分類されるので、端数は出るものの*、七日か八日で適当な日数に一か月を4グループ分けすることができ、それによって生活のリズムを作る習慣は普遍的に存在してきました。
(月の朔望29日12時間44分2.9秒を日で割る無理があり、一方で週は朔望にも閏にも関係なく全ての日に7の周期が割当られるので、歴史上の日付を探るのに信頼性が高くなります)

今日では、この聖書にある七日の週分けが世界に定着しましたが、その以前のローマ帝国ではヌンディヌムと呼ばれる八日制をサイクルとしていたものが、紀元二世紀頃に七日に改められていたところに、キリスト教化を図ったコンスタンティヌス大帝によってイエスが復活した週の第一日(太陽の日)を聖なる主の日として、農耕従事者以外に休業を義務付けたところから欧州の週日慣例となり、それがキリスト教伝播に伴い世界に広がっています。
同じくヘブライの習慣に由来していたイスラムも七日周期を持っていましたが、聖日は第六日(金曜)であり、その日にムハンマドがマッカに入城したところに由来するとされます。

こうして、ユダヤ教との差別化もあり、聖日を第六日とするイスラム、第七日とするユダヤ、第一日とするキリスト教は今日も依然として聖日を同じくしないのですが、七日という生活周期は同じくしています。
これまでの間に、フランス革命やロシアの社会主義に於いて、宗教由来の七日周期を嫌って、五日や十日への変更が行われましたが、いずれも不評で消え去ってしまいました。あるいは未だ知られていないながら、人間には月の四周期と何かリンクする未知の時計のようなものが働いているのでしょうか。七日に慣れているからかも知れませんが、五日周期は短く、十日は長すぎるように感じる人も少なくないでしょう。

ともあれ、イスラエルにとっての七日周期は、出エジプト後の神からの食糧供給の方式によって確定的なものとなりました。
その意義は、七日に一度休息を取るというだけものもではありません。
後にカナンの地に入植し、そこで定住生活者となるはずのイスラエルには、すべての日々が生業で埋め尽くされることにより『この世のありさまによって形づくられる』べきではないことを聖書は教えます。(エフェソス2:2/ヨハネ第一2:16)
やはり、イエスはこう言われます。
『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によっても生きるものである』。(マタイ4:4)
これは、イエスが荒野で試された後の非常な空腹を覚えられていたとき、悪魔がイエスに奇跡を用いて傍らの石をパンに変えるよう誘惑したときに引用してそれを拒絶したときの言葉でありました。

この言葉はモーセの申命記からの引用であって、その元の句は次のようのものであったのです。
『YHWH*はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。それは人がパンだけで生きるのではなく、人はYHWHの口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった』。(申命記8:3)*[至聖なる神名とされたため現在は発音不明]
そこで荒野の試練で空腹のイエスは、荒野のイスラエルにマナが与えられた背景を含んで答えられていたのです。
それは、今日飢えることがあっても、神が食物の与え主であられ、荒野に居た数百万のイスラエルを奇跡の食物で支えたように、人はただ食物に満足して生きるのではなく、『神の言葉』である教えによっても生きるべきであるとの教訓でありました。

それにしても食事だけで満足する人物というのは、どんな人でしょうか。
使徒パウロはこのように言っています。
『肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思う』。
続けてこうも言います。
『肉の思いは死であるが、霊の思いは、命と平安とである。
なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は神を喜ばせることができないのだ』。(ローマ8:5-8)

そこでイエスの次の言葉には重みが増すことになるでしょう。
『何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである』。(マタイ6:31-32)

この言葉に違わず、イエスはご自分の言葉を聴くために三日も御許に集まっていた群衆の食糧を奇跡によって余るほどに備え、『神の言葉』を取り入れるために肉の必要を忘れていた数千の人々の必要を満たされたのです。それも一度ではなかったのでした。(マタイ16:8-10)
つまり、『神の言葉』を求めた人々は飢え死にしなかったのであり、かえって神の奇跡に与り、肉の糧と共に信仰の糧をも受けたのです。

そして何もない荒野に導き出された数百万のイスラエルがそうでした。
確かに、神は彼らの必要を満たすためにマナの奇跡を行われましたが、
それは四十年もの間続いたのであり、その間、彼らのマントは擦り切れず、その足が腫れず、サンダルが擦り減ることもなかったと、モーセは長く続いた旅の果てに回顧しています。(申命記29:5)
当然ですが、これは普通ではないことで、今日のどんなに丈夫な靴や毛布でも四十年使えるものがあるでしょうか。旅を続けるイスラエルへの神の顧慮はこのようなところにまで及んで、食物だけでなく、彼らの日常も神の恩寵と奇跡に恵まれていたのです。

キリスト教学者の中には、マナの降下が信じられず、それは何かの荒野の植物の油であろうとか、昆虫の分泌物とか、何かの自然に存在する物に置き換えようとしてきました。学者としては「神の奇跡」という回答だけは避けたいからでしょう。当時は神の命により、奇跡が有ったことの証しとして、その時のマナの一食分が壺に保管され、聖なる証しの箱に収められたのですが、たとえ、それが今日まで残っていたとしても、やはり疑う人は疑うことでしょう。

しかし、そのように懐疑的に捉えることは、奇跡のマナのばかりか、マントやサンダルへの神の気遣いさえ無かったことにすることで、それが学識者の理性的結論だとして下々一般に諭すことでしょう。ですがこれは不信仰への誘導でしかありません。それでは安息日の精神的で深い教えも、神の全能性も共に退けることになり、聖書の高尚な精神性を破壊し、平凡な日常である『この世』に人々を押し戻すばかりです。

一方で、イエスはこうも言われました。
『空の鳥を見るがよい。撒くことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それなのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたはあれらよりも、遥かに価値あるものではないか』。(マタイ6:26)
学者らのマナについての説明を聴いていて、どうしてこれらキリストの言葉が信じられるものでしょうか。

確かに人類の歴史では飢饉もあり、多くの餓死者を出したことがあるのですが、アダムの『罪』によって『地が呪われた』以上、災害や不作があることは避けられることではないのでしょう。それでも、いや、それゆえにこそ、イエスは『今日、この日のためのパンをお与えください』と祈ることを教えます。何もない荒野という環境であればこそ、イスラエルを養った実績を持つ神は、『YHWHを畏れる人々の望みを叶え、その叫びを聞いて救ってくださる』との言葉を、『この世』という言わば「荒野」に暮らす人々の信仰に応じて施されることでしょう。(詩篇145:19)

そこで、奇跡の食物であるマナが教えるのは、人が自分の生活を心配するあまりに、自分が神の創造物、それも『神の象り』に沿うものであることを忘れ、生業に没頭し過ぎて、「生きるために生きる」ような生活に陥り、人格をすっかり『この世』に象って作られてしまわないことです。それは神との繋がりによってはじめて防がれるのであり、七日の一日に仕事を離れることは、人に備わる聖なる性質を取り戻す助けとなったということです。

現代版の奴隷制度のように、苛酷な労働を強いる「ブラック企業」を存続させ、「社畜」とさえ言われる働き手を存在させてしまうのも、『何を食べ、何を着るか』という、生きて行くことへの大きな心配に発するのではないでしょうか。それが『この世』の強力な脅しであり、むしろ恐れるほどに引力のように作用し、「仕事を懸命にしないと生きていけないぞ」と脅し、人々を隷属のスパイラルの底へと引きずり込んでしまうのです。

また、その脅しは不法な事をしてでも収入を得るようにと脅迫することさえあるでしょう。「人に義人は居ない」とはいえ、明確な違法や良心が疼き続けるようなことを強いられるなら、貧しさを忍ぶ方が良い場合もあるでしょう。キリスト自身が四十日の断食の後に、非常な空腹にあったところで悪魔は奇跡を起こして石をパンに変え、自分の欲求に従って神の力を利用するようにと誘惑しました。これに対してイエスは『人はパンだけによらず、神の御口から出るすべての言葉によって生きねばならない』とモーセを引用して、その不正を退けたのでした。荒野のイスラエルを養ったのは彼らのなりふり構わぬ努力とは無関係の神の糧であったのです。それは贅沢な食卓を形作りませんでしたが、必要は満たされていました。(マタイ4:4/申命記8:3)

やはり、この世の貪欲さ、余裕の無さこそが人々から英気を奪い、生産性を下げることは、ロバート・オーウェンのような労働環境の改革者が実証したことで、このような人を低める負の連鎖は、その社会全体がいよいよ窮して更に貧しくなり兼ねない原因でさえあるでしょう。
やはり、人というものは労働だけに生きるようには創られていないということは明らかです。休養と心の糧、興味への集中、そして何より高尚なものへの必要も満たされてこその『神の象り』ではないでしょうか。神は人を『エデン』と呼ばれる場所に置かれたのではなかったでしょうか。まさに第七日はその場所への模式的回帰といえましょう。

さて、安息日については、イスラエルに与えられたところの、後の国家法典ともなる「モーセの律法」の中にあっても、重要な最初の十ヶ条は「十戒」とも呼ばれ、人手によらず、神自らが岩に記した証しとなりました。
その中でも、第四条の「安息日条項」では『安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ』と書き始められ、十戒の中でも最も長い指示となっているばかりか、『汝殺すなかれ』『汝貪るなかれ』に優先する位置をこの安息日が占めていたのです。
つまり、一般的な道徳律を守る以上に神は安息を聖なるものとすることをイスラエルに望まれたのであり、そこに言動の上辺の善良さや敬虔さに勝る何か重要な事柄が込められていたと見ることができます。

イスラエルの歴史から見ると、やはりこの安息日は重要視されていることは、神がこの民族を罰して、後にバビロニアなどへ流刑にさせたときの罪科の主なものとして「安息を守らなかった」ことが挙げられています。
預言者エレミヤは、バビロン捕囚を受ける民に向かって『わたしがあなたがたの先祖に命じたように安息日を聖なるものとして守れと命じた。しかし彼らは従わず耳を傾けず、聞くことも、戒めを受けることも強情に拒んだ』との神の断罪を告げています。(エレミヤ17:22-23)
そこでは、流血さえ含む一般的な犯罪の蔓延という以上に、神の選民イスラエルとしてのより重大な違反であったことが示されます。

預言者エゼキエルもまた、イスラエルの長老たちに『あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した』と告発し、『わたしの安息日を聖なるものとせよ。これはわたしとあなたがたとの間の印となるようにせよ』とかつて荒野の時から命じていたと指摘します。(エゼキエル22:8・20:20)
しかし、やはり彼らは安息日を守らず、世俗の異神の偶像を拝み、『約束の地』を様々な悪行が横行するところとしてしまい、ついにその土地から『吐き出される』に至りました。(レヴィ記18:24-25)

神とイスラエルとの間の『印』となるべき「聖なる安息」、その安息日の規定は、本来イスラエルの民に与えられたものでありますが、その意義は彼らに限られるものではありません。神の創造物であるあらゆる人が、生業に没頭してこの世に形作られ、俗な人格を培ってしまうことを防ぎ、生活の不安をも忘れて、週に一度は世俗を離れた時を設けるところにあったので、預言者イザヤはこう述べています。
『安息日を守ってこれを汚さず、その手を抑えて悪しき事をせず、このように堅く守る地の人は幸いである』。(イザヤ56:2)
この預言での『地の人』というのは、人類全般を指しているのであり、イスラエル民族に限定して語られてはいないのです。

ですから、イザヤはさらに続けて
『YHWHに連なっている異邦人はこう言ってはならない、「YHWHは必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と』。(同3節)
この意味は、律法に準拠しつつ同居している非イスラエル人であっても、また、本来ならイスラエルから排斥されるべき宦官であっても、その出身や立場のために自分を諦めてはならないと神は言われるのです。

そこで預言はこうも続けて語りかけます。
『YHWHはこう言われる、「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選んで、わたしの契約を堅く守る宦官には、わたしの家の内で、わたし境界の中で、息子にも娘にも勝る記念の印と名を、絶えることのない永遠の名を与える。
またYHWHに連なり、主に仕え、YHWHの名を愛し、その下僕となり、すべての安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人には
わたしはこれをわたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家のうちで楽しませるであろう」』。(イザヤ56:4-7)

このように安息日に関わる神の約束の言葉は、イスラエルを超えてすべての人々に語られているのです。
それはキリスト教徒にとっては生き方であり、神の供給力に信頼を置く信仰そのものであり、『この世』の俗的な生き方を後にして、『神の象り』の聖さを思い起こし、その生き方を守ることにあるのです。
そこで、この『安息日』の意義は、もはや、どの曜日を休日にするべきかという次元をはるかに超えています。

ですから後の使徒パウロは『ある人は、この日が他の日よりも大事であると考え、別の人はどの日も同じだと考える。それぞれ各自心の中で、得心しているべきことだ』と述べました。(ローマ14:5)

これは第一世紀の当時には、キリスト教がユダヤ教から充分に分かれていなかった状況で、ユダヤ人の信者と諸国民の信者との間の違いを調停して語った言葉であり、また『安息日』の意義は、ユダヤ教のタルムードが主張するような「何が仕事になるかを厳選する」という問題でもありません。

この点で千年以上も律法を戴いてきたイスラエル民族は、いざメシア=キリストが現れ、その使徒たちの説くキリスト教へと意識を変えてゆくことで諸国民に遅れをとることになってしまい『後の者が先になり、先の者が後になる』とのイエスの言葉の通りとなっていたのです。(マタイ26:16)

だからと言って、「ホリデー(聖日)には教会に行って一日くらいはキリスト教の人生訓を聞けばよい」という単純なことにはなりません。そんなことであれば、せっかく次元上昇した「キリスト教」というものを、ユダヤ教の規則順守のレベルに押し下げてしまうばかりですし、「平日の貪欲な生き方の免罪符」が日曜礼拝であるなら、そこでだけ聖書を開いても何の意味があるでしょうか。
それは人格という人中の柱を立てるというほどでもなく、生き方を形作るというに至るものとなるものでしょうか。「日曜キリスト教徒」と揶揄されるようであれば、それに何の意味があるのでしょう。

しかし、安息の意義を悟り、聖なる『神の象り』としての生き方を保つことは、週に一日に限られるものではなく、日毎に培うべき人間らしく精神的に生き、神との関わりを思いに留め、自分と他者とを顧みることであれば、いまさら金曜、土曜、日曜のどの日を休日にするかという問題に固執する理由もありません。

安息を支えたのが「荒野のマナ」という神の供給力への信頼であったように、イエスは自らを指して『わたしは天からのパンであり、これを食する人は永久に生きる』と言われました。(ヨハネ6:51)
それは、神に不忠節を示して永遠の命を失ったアダムの肉体に代るイエスの肉を指し、人がアダムを父祖とするのではなく、アダムの贖いと成られたイエス・キリストを『とこしえの父』とすることによって、絶えることのない命に至ることを教えるものであったのです。(ローマ5:15/イザヤ9:6)

また、イエスは『人の子は安息日の主である』とも言われました。
この『人の子』という語には定冠詞が付けられているところからすると『安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない』という意味で言われたのではなく、明らかにイエスはご自分が『安息日の主』であるとされていることになります。(マルコ2:27-28)

その意味は、『この世の隷属』を終わらせ、十世紀存続するという『神の王国』へと人類を導くイエス・キリストこそ、「偉大なる第七日」の主催者という意味で『安息日の主』であられるということになるでしょう。それほど長く生きる人々にとっての命の源はアダムではなくキリストであり、その犠牲の死によって、人々は『この世』の隷属と短い生涯の労苦から解放されるからです。
七日に一度の『安息日』はその覚えであり、長く続いた『この世』の日々の果てに訪れる、キリストによる贖罪と休みの世界『神の王国』の千年の安息を指し示していたのです。

荒野という場所は、『この世』のように生活し易い環境ではなく、何もしなければ困窮して生きることさえ危ない場所ではありますが、アブラハムの子孫の民を荒野に連れ出した神が、長きにわたり彼らを支え続け、養い続けてのであれば、やはり『神の象り』として聖なるものを求め続ける人々に、神は『この世』に在っても俗に染まらないその人の生き方を支え続けることでしょう。やはり、人は俗世に塗れたままにならず『神の言葉によっても生きる』ものであるのです。

やはり、人のあるべき姿に導く神こそが「創造の神」に違いなく、『この世』の目先の心配に押しつぶされるように人は創られてはいないのであり、日毎に神に近付いて、より精神的であるべきことを「創造の神」は「聖なる安息」によって示し、荒野のイスラエルを大いなる奇跡をもって導かれたのです。




⇒「安息日の意義」の体系

⇒「安息日運搬の罰則

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