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堀田量子の射影仮説の導出について

EMANさんは「EMANが堀田量子第7章を書いてみた」において下記のように書いているのだが、射影仮説の本質的なところは、第7章の中に書いてあるような気がするので、備忘のために記しておきたい。

射影仮説を導出してしまえるというのはすごいことなのだが、種明かしをすれば、我々は議論の出発点を従来の量子力学とは別のところから始めたのであって、代わりに別のものが公理となっているということである。第 2 章や第 3 章で説明したこの理論体系がそれに相当していて、ほぼ同等のことを既に紛れ込ませているのである。

https://note.com/eman/n/nf0e39ed16784

なお、筆者の主な関心は哲学的(自然科学的ではない量子論の解釈)なので、物理の話だと思ってこの備忘を読むと「へ???」となる可能性があるのでご注意ください。

さて、本題に入ると、射影仮説を導出する(導出できるようにする)ポイントは、堀田量子の7章に書いてある下記の2点であろうと思われる。

D 系で$${ M=m }$$ が観測された後の S 系の量子状態を$${\hat{\rho} (m)}$$と書く。

$${O = o_n}$$かつ$${M = m}$$となる確率$${p( O = o_n, M = m)}$$は、 $${M = m}$$が出る確率$${p( M = m)}$$に、$${M = m}$$となった後で$${ O = o_n }$$が観測される確率$${ p( O = o_n \mid m) }$$をかけたものに等しい。

堀田昌寛. 入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として (KS物理専門書) . 講談社. Kindle Edition.

量子状態収縮仮説

前者の「D 系で$${ M=m }$$ が観測された後の S 系の量子状態を$${\hat{\rho} (m)}$$と書く。」は、オリジナルの小澤さんの「量子測定理論入門」では、下記のように公理として明示している。

公理 M1(出力分布,量子状態収縮). 系Sを測定する装置は,測定直前の系Sの状態に依存してその測定値の確率分布を定め,測定直前の系Sの状態と生起可能な測定値に依存して測定直後の状態を定める.

小澤, 正直. 量子測定理論入門(講義,第56回物性若手夏の学校(2011年度) 研究と人生の指 針-Beyond the CoMPaSS of your field.-,講義ノート). 物性研究 2012, 97(5): 1031-1057

D 系で $${M=m}$$ が観測された後の S 系の量子状態が$${\hat{\rho} (m)}$$と書けるかどうかは定かでなく、オリジナルの小澤さんは、$${\hat{\rho} (m)}$$と書けることを公理としている。「測定値に依存して測定直後の状態を定める」とは$${\hat{\rho} (m)}$$と書けるということである。公理としておかなくても$${\hat{\rho} (m)}$$と書けるということであれば、その理由の説明が必要だろうと思う。説明がない状況では、「導出した」というよりも「仮説として$${\hat{\rho} (m)}$$と書けるとした」と言うのがより正確なように思われる。これが第7章で新たに設定された仮説であると私には思われる。

条件付確率の式が成り立つ仮説

後者は、オリジナルの小澤さんも当然のように、

$$
\mathrm{Pr}\{\bm{y}=y \mid \bm{x}=x \parallel \rho\} = \mathrm{Pr}\{\bm{y}=y \parallel \rho_{\{\bm{x}=x\}}\} \mathrm{Pr}\{\bm{x}=x \parallel \rho\}
$$

小澤, 正直. 量子測定理論入門(講義,第56回物性若手夏の学校(2011年度) 研究と人生の指 針-Beyond the CoMPaSS of your field.-,講義ノート). 物性研究 2012, 97(5): 1031-1057

が成り立つとしている。これは条件付確率の式なので、当然に成り立ち不思議でもなんでもないと思われているだろうが、実はこれが成り立つのであれば、射影仮説も当然に成り立つのである。ボルン則を前提とすることができるのであれば、射影仮説は「物理量$${M}$$の値$${m}$$が測定された直後には、100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態である」のみで十分であり、一般的な理解である下記のようなところ(固有ベクトルになること)までいう必要はないのである。

フォン・ノイマンは、対象となる系で物理量を測定すると、その物理量のエルミート演算子の固有値のどれかが観測され、その系の状態ベクトルはその固有値に対応する固有ベクトルになると考えた。これを量子力学の要請として導入し、射影仮説(projection postulate)と彼は呼んだ。

堀田昌寛. 入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として (KS物理専門書) . 講談社. Kindle Edition.

前述の小澤さんの条件付確率の式において、$${\bm{y}=\bm{x}=\bm{m},x=y=m}$$とおくと、

$$
\mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \mid \bm{m}=m \parallel \rho\} = \mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \parallel \rho_{\{\bm{m}=m\}}\} \mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \parallel \rho\}
$$

となる。当然に、$${\mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \mid \bm{m}=m \parallel \rho\} = \mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \parallel \rho\}}$$であろうから、上式を$${\mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \parallel \rho\}}$$で割ると、

$$
\mathrm{Pr}\{\bm{m}=m \parallel \rho_{\{\bm{m}=m\}}\} =1
$$

が導かれる。これは、前述したように、「物理量$${M}$$の値$${m}$$が測定された直後には、100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態である」という射影仮説である。

100%の確率の測定結果から固有状態であることの証明

「100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態である」ことから、「状態は物理量$${M}$$が$${m}$$の固有状態である」が導けることは背理法から(固有状態でないことを仮定すると$${m}$$が測定される確率が100%未満であることが導かれることから)自明である。■

条件付確率の式の非自明性

ここまでの話は、何かとても不思議な感じがすると思う(少なくとも私には不思議な感じがする。)。条件付確率という当然成り立つであろうことが、長年量子力学の最大の謎と考えられている射影仮説とほぼ同じということなのであるから。

しかし、考え直してみると、一般的に(測定が行われなければ)、(自信はないが)量子力学では条件付確率の式は成り立つとは限らないのではないかと思われる。

測定しない場合は、条件付確率の式を用いた全確率の定理は確実に成り立たない。2重スリットの実験を考えよう。電子の像の位置を物理量$${X}$$とし、右側のスリットを電子が通過する事象を$${R}$$、左側のスリットを通過する事象を$${L}$$とすると、よく知られているように

$$
p(X=x) \ne p(X=x \mid R) +  p(X=x \mid L)
$$

である。$${p(X=x) = p(X=x \mid R) +  p(X=x \mid L)}$$であれば干渉縞はできない。干渉縞ができるということは$${p(X=x) \ne p(X=x \mid R) +  p(X=x \mid L)}$$ということである。

また、「ベルの不等式の意味」のページに、積事象の確率を用いたベルの不等式的な式の説明が記載されている。この不等式の導出方法「Physics:Sakurai's Bell inequality」をみると、3事象の積事象の確率から、全確率の定理を用いて2事象の積事象の確率を計算し、不等式を導いているようである。

全確率の定理は、定理だから間違いなく正しいとすると、ベルの不等式が実験で否定されているのでれば、条件付確率の式が成り立っていないということになるような気がする(自信はない。)。

このように、量子力学においては一般的に条件付確率の式は成り立っていないのであるから、測定の際に成り立つのは、条件付確率仮説(conditional probabilities postulate)と呼ぶのが妥当ではないかと私には思われる。

まとめ

最も自明なのは(なぜそうなのか心配する必要がないことは)、「物理量$${M}$$の値$${m}$$が測定された直後には、100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態である」と私には思われる。

なぜなら、この主張は、「100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態でなければ物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定された状態とはいえない」の対偶であるからである。「100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態でなければ物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定された状態とはいえない」を否定する人はいないだろうと私は思う(通常の実験では測定対象は測定装置に吸収されていて再測定できる状態ではない」という批判は、話が長くなるのでここでは無視しておきたい。)。

仮に「物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定されました。その直後に再度物理量$${M}$$を測定すると、確率分布$${p(m^\prime) \ne \delta(m^\prime -m)}$$で値$${m^\prime}$$が測定されます。」と言う人がもしいれば、ほとんどの人は、「その状況では『物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定された』とは言えない」と批判するだろう。そして、「物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定された」という主張(実験結果についての主張)は物理学者の社会に受け入れられることはないだろう。

したがって、もともと不思議に感じるべきことは、ボルン則(というかそれ以前の物理量の値が測定されたということ)のみであり、ボルン則が成り立つとするのであれば、射影仮説は当然に成り立つことで(自明なことから導けることで)あったと私には思われるのである。

まとめると、下表のようになるだろう。状態(ケット)が密度行列になっており、測定も一般化されているので複雑になっているが、旧来の射影仮説も堀田量子の説明も構造は同じである。①と②から③を導くことができる。旧来の②はあまりに当たり前で直ちに③が導けるので、②を③が成り立つ根拠のするのはあまりに稚拙な(恥ずかしい)ので、③が仮説(posutulate)とされたのではないかと想像される。

$$
\begin{array}{ccc}項目 &
昔ながらの量子力学 &
堀田量子\\ \hline \hline
①ボルン則 &
p(k) =  | \lang u_k | \psi \rang |^2 & p(K) = \mathrm{Tr}[\hat{\rho} \sum_{k \in K} | u_k \rang \lang u_k | ]    \\ \hline
②条件付確率仮説 &
p( O = k \mid O = k )=1&
p( O = o_n, M = m) = p( O = o_n \mid M = m) p( M = m) \\ \hline
\begin{array}{c}③測定後の状態 \\(①②から導出可能)\end{array} &
|u_k \rang &
\hat{\rho}(m) = \frac{\mathrm{Tr_D}[(\hat{I} \otimes \hat{P}_M(m)) \hat{\rho}_\mathrm{{SD}} (\hat{I} \otimes \hat{P}_M(m)) ] }{\mathrm{Tr_{SD}} [\hat{\rho}_\mathrm{{SD}} (\hat{I} \otimes \hat{P}_M(m)) ] }
\end{array}
$$

一方で、堀田量子の場合には(オリジナルは小澤さんだが)、②から③を導くにも数式展開が必要であり、直接③が成立することはわからない(それほど自明ではない)ので、②から導出することになる。②は古典的には当然な式なので特段その重要性は強調されることなく、①のボルン則から③の測定後の密度行列が導出できたように見えるのである(実際導出できているのdろう。)。

しかし、私には②が最も重要な仮説(postulate)、すなわち、なぜ成り立つのか不思議に思うべきポイントであろうと思われる(私以外の全ての人は不思議に思わないかもしれないが。)。なぜなら、旧来の量子力学でも物理量の値が測定されているのであれば、「物理量$${M}$$の値$${m}$$が測定された直後には、100%の確率で物理量$${M}$$の値として$${m}$$が測定される状態である」ことから、射影が起こっているのは自明であり、射影仮説は不思議もなんでもなく、至極当然のことだからである。

追記

本稿をほぼ書き終えた時期に、小澤さんが下記のように書いている論文を見つけた。全体を書き直す気力がないため、追記として記しておきたい。ちなみに、(A2)は、「測定の直後に系は測定値$${a_n}$$に対する$${A}$$の固有状態$${\phi_n}$$にある。」という射影仮説である。

von Neumannは (A2)が 次の再現可能性仮設(M)と同等であることを示してい る。
(M)1つの系で同じ物理量を2回すぐ続 けて測定すれば, 2回とも同じ測定値が得られる。

小澤正直「波束の収縮という概念について( I )

「量子力学の数学的基礎」の関連箇所(小澤さんがリファーしているページ)を読んでみたところ、von Neumannさんは、「同等であることを示した」というよりも、私には、素直に(単純に)②から③を導いているように思われた(②から③を導くのは私が前述したような簡単な話ではないようである。)。「フォン・ノイマンの射影仮説」と呼ばれることから、non Neumannさんが射影仮説をpostulateとして提示したのかと私は誤解していたが、どうもそうではないようである。残念ながら、それを確認するために「量子力学の数学的基礎」を通読する元気は私にはない。堀田さんの「これを量子力学の要請として導入し、射影仮説(projection postulate)と彼は呼んだ。」という記載が科学史的に正しいのかどうかもとても関心があるが、私にはちょっと取り組む元気も情報源もない。

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