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最近の記事

波動関数・密度行列は情報ではなく情報源

情報理論において、情報源は確率分布である。Wikipediaには、 と書かれている。情報は、情報源が生成したメッセージである。上記引用の用語では、シンボルの有限列である。 量子状態、波動関数は、測定値のバラつき、すなわち確率分布を定めるものである。Wikipediaには、 と記載されている。従って、波動関数、量子状態は、情報理論における情報源に相当するものだと考えられる。そのように考えて検索してみたところ、 という記載を見つけた。上記の「波動関数、量子状態は、情報理論

    • 科学的実在論の怠慢・力不足と観測問題

      堀田さんは、繰り返し、繰り返し、量子力学に観測問題はない、波動関数は実在ではないと書いている。その理由は、学生が困らないようにという考えがあるようである。例えば、堀田さんは、下記のようなツイートをしている。 このように堀田さんが発言しないといけなくなる理由には、量子力学において科学的実在論が十分に考察されていないことに責任があるように私には思われる。 科学的実在論 科学的実在論とは、 である。上記の引用では「存在している」と書かれているが、科学的実在論であるから、波動

      • 観測における状態ベクトルや波動関数の収縮は、観測者にとっての単なる情報取得による変化なのだろうか?(修正版)

        堀田さんは、 というのだが、私には疑問に感じるので、少し書いておきたい。 x方向のスピン$${\sigma_x}$$を測定すると、1/2か-1/2が得られる。その状態のy方向のスピン$${\sigma_y}$$を測定すると、1/2か-1/2が得られる。その状態のx方向のスピン$${\sigma_x}$$を測定すると、1/2か-1/2が得られる。その状態のy方向のスピン$${\sigma_y}$$を測定すると、1/2か-1/2が得られる。その状態のx方向のスピン$${\si

        • 量子状態トモグラフィ法は実現不可

          量子状態は、Wikipediaによると、 とされている。そして、記号$${\rho}$$で表されることが多い。 しかし一方で、量子状態については、量子複製不可能定理 が知られている。未知の量子状態$${\rho}$$の量子状態、すなわち確率分布$${ P(a),P(b),\ldots }$$を知ろうと思えば、同一の$${\rho}$$に対して多数の実験を行う必要がある。確率分布を近似的にでも求めようと思えば、複数回の実験が必要なことは明らかだろう。 しかし、量子複製不

          記憶の複製必要性と選好基底問題

          脳が、何か記憶していることを用いて思考する状況を考えよう。この状況は、 $$ U_E|\psi \rangle_\text{WM} |\chi \rangle_\text{CE} = |\varphi \rangle_\text{WM} |\gamma \rangle_\text{CE} $$ とモデル化することができるだろう。$${U_E}$$は時間進展の演算子、$${|\psi \rangle_\text{WM}}$$は人が持つ記憶、$${|\gamma \rangl

          記憶の複製必要性と選好基底問題

          量子情報の複製不可能性

          量子力学では、量子複製不可能定理が知られているが、少し一般化したい。写像で相互に対応付けが可能な状態に複製的なことが可能かどうか考えよう。 その状態がヒルベルト空間$${\mathcal{H}_A}$$の元で表される系Aとヒルベルト空間$${\mathcal{H}_B}$$の元で表される系Bがあるとする。そして、$${\mathcal{H}_A}$$から$${\mathcal{H}_B}$$への写像の一つを$${f: \mathcal{H}_A \rightarrow \m

          量子情報の複製不可能性

          量子情報理論・量子測定理論の錬金術

          堀田さんの書籍「入門 現代の量子力学 ~量子情報・量子測定を中心として~」(以下単に「書籍」という。)には、 と書かれている。そこで、鉄の原子1個の状態$${|鉄\rangle}$$と金の原子1個の状態$${|金\rangle}$$からなる二準位系を考えよう。「任意のユニタリー行列がその系の実験で実現可能な物理操作に対応する」ということは、鉄を金に変える物理操作が存在するということである。つまり、錬金術があることを量子力学は前提にしているということになると思われる。 私は

          量子情報理論・量子測定理論の錬金術

          DNAの複製と選好基底問題

          我々生物は、DNAを複製することで生きている。一方で、量子力学では、量子複製不可能定理 が知られている。それではなぜ、量子力学に従うと思われるDNA分子の複製ができているのであろうか。それは、全ての状態が複製できないというわけではないからであろう。Wikipediaには、 と書かれている。すなわち、複製可能なDNAの状態の集合$${\mathfrak{R}}$$は存在しえて、$${|\text{DNA1}\rangle \in \mathfrak{R}, |\text{D

          DNAの複製と選好基底問題

          堀田量子における多準位系の演繹導出について

          堀田さんの書籍「入門 現代の量子力学 ~量子情報・量子測定を中心として~」(以下単に「書籍」という。)に対しては、中平さんからの、「2準位系から多準位系への拡張を(自然な前提のみから)演繹的に行うことは難しい」という批判がある。 これは、Amazonでのレビューに始まり、noteとHatena Blogで双方の見解が提示されているものであるが、話が噛み合っていないように思われる。そのため、さらに噛み合わない意見を示すのみのになる懸念は強いが、話が噛み合わない理由についての私

          堀田量子における多準位系の演繹導出について

          進化で淘汰されたシュレディンガーの私

          シュレディンガーの猫を私が見たとしよう。その状態は、 $$ \frac{1}{2}|😸\rangle \langle😸| \otimes |😀\rangle \langle😀| + \frac{1}{2}|🙀\rangle \langle🙀| \otimes |🥹\rangle \langle🥹| $$ であろう。ここで、$${|😸\rangle}$$は生きた猫、$${|🙀\rangle}$$は死んだ猫、$${|😀\rangle}$$は生きた猫を見た私、$${|🥹\ran

          進化で淘汰されたシュレディンガーの私

          シュレディンガーの猫の不存在証明vs純粋状態実在論

          シュレディンガーの猫の状態は、 $$ \frac{1}{\sqrt{2}}|😸\rangle + \frac{1}{\sqrt{2}}|🙀\rangle $$ というように書けるとされることが多いだろう(そもそもシュレディンガーの猫の状態を書く人が少ないが。)。ここで、$${|😸\rangle}$$は生きた猫、$${|🙀\rangle}$$は死んだ猫である。しかし、 $$ \frac{1}{\sqrt{2}}|😸\rangle -  \frac{1}{\sqrt{2}}

          シュレディンガーの猫の不存在証明vs純粋状態実在論

          観測における状態ベクトルや波動関数の収縮は、観測者にとっての単なる情報取得による変化なのだろうか?

          (2024/11/7 本稿は、誤っていることに気づいたため、修正版を公表した) 堀田さんは、「波動関数や状態ベクトルの収縮は、測定によって得られた系の情報に基づいた、物理量の確率分布の単なる更新に過ぎません。その意味で、観測によって古典的なサイコロの目の確率分布が更新されて、特定の目に分布が収縮をするのと本質的な違いはないのです。」というのだが、私には疑問に感じるので、少し書いておきたい。 x方向のスピン$${\sigma_x}$$を測定すると、1/2か-1/2が得られる

          観測における状態ベクトルや波動関数の収縮は、観測者にとっての単なる情報取得による変化なのだろうか?

          「擾乱の存在のために、量子力学における測定による変化は、単なる情報取得による変化とは考えられないのか?」を読んで

          堀田さんの「擾乱の存在のために、量子力学における測定による変化は、単なる情報取得による変化とは考えられないのか?」を読んで、疑問に思うことが多々あったので、少し備忘として書いておきたい。(新しい知識を学習できたら解消することを期待したい。) 1つめ 原理的に下限のない古典力学における測定の影響と下限がある量子力学での擾乱は、下限があるかどうかという点で(それが擾乱という概念の本質であるために、本質的に)違うものであり、古典論における測定の影響を擾乱と表現することは堀田さん

          「擾乱の存在のために、量子力学における測定による変化は、単なる情報取得による変化とは考えられないのか?」を読んで

          「古典確率とフォンノイマン鎖の『意識』の話」において書き足りていないと思われること

          堀田さんの「古典確率とフォンノイマン鎖の『意識』の話」読んで感じたことをもう一点書いて起きたいと思う。それは、堀田さんが書き忘れているだろうと思われることです。 堀田さんは、 と書いているのですが、単に違っているだけではいけません。何か人類に共通する普遍的なことがあって初めて客観的な科学的な知見となりえるのです。堀田さんは違ってもいいとしか書いておらず、科学として成立するには違わないことが必要なことを書き忘れていると思われます。 の記載についても同様です。 も同じです

          「古典確率とフォンノイマン鎖の『意識』の話」において書き足りていないと思われること

          「量子力学は情報理論」について

          堀田さんの「古典確率とフォンノイマン鎖の『意識』の話」を読んだ。堀田さんは繰り返し「量子力学は情報理論である」と述べているのだが、私にはその意味するところがずっとよくわからないでいた。今回、「古典確率とフォンノイマン鎖の『意識』の話」を読んで、その投稿の内容とはまるで関係ないのだが、ふと、量子力学は情報理論」とは、“Shut up and Calculate as information theory!” ではないかと思った。これなら、とても良くわかり、全くその通りだとも腑に

          「量子力学は情報理論」について

          異なる温度の状態の重ね合わせ状態および時間反転対称性とエントロピーの増大則の整合性

          異なる温度の重ね合わせ特定温度の量子状態 SugiuraさんとShimizuさんの“Canonical Thermal Pure Quantum State”に倣い、$${\lambda = \Theta(1)}$$として、次元$${\lambda^N}$$のヒルベルト空間$${\mathcal{H}_N}$$を考えよう。ヒルベルト空間$${\mathcal{H}_N}$$の任意の正規直交基底を$${\{| i \rangle \}_i}$$とする。ランダムに$${\sum

          異なる温度の状態の重ね合わせ状態および時間反転対称性とエントロピーの増大則の整合性