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南朝正統皇位継承論2-北陸朝廷の足跡

金崎城

1、北陸朝廷の足跡

前回の「南朝正統皇位継承論1(№189)」で、延元元年比叡山に於いて

(1)田中義成博士は後醍醐天皇の御譲位があった事を考証されました。
(2)藤原石山氏は、その皇位継承者は守永親王であると結論されました。
(3)三浦芳聖師は、その皇位継承者は尊良親王であると述べていますが、これを史学的に立証する事は困難かと思います。

以上の研究結果を踏まえて「北陸朝廷」について考察を深めて参ります。

まず下記の資料に目を通して下さい。

【参照】白河結城文書・白鹿二年行貞奉執達状(得江文書)

上記の資料の重要な点を列記しますと下記のようになります。

(1)延元元年(1336年)11月12日付けで「鶴賀津に臨幸」と天皇が敦賀の金ヶ崎城に臨幸中であることが明らかになっています。
(2)延元2年(1337年)2月9日にも「綸旨」「天気如此」と天皇からの通達であると書かれてあり、上記の綸旨を補強しています。
(3)南朝に興国という年号があるにも拘らず、白鹿2年(1346年)4月20日の私年号が用いられている。(白鹿2年=興国7年=貞和2年)

以上のことから、京都の北朝や吉野の南朝以外に朝廷が存在した事が明らかであるという事です。(この朝廷を仮に「北陸朝廷」と呼びます。)

ここに着眼し「北陸朝廷」の天皇を「守永親王」であるとして考証されたのが「藤原石山」氏であります。この藤原石山氏のご慧眼の素晴らしさは、いくら強調してもし過ぎることはないと思います。

2、守永親王の伝説

(1)森川系図

森川系図

森川系図(愛知県岡崎市藤川町、森川家所蔵)
(藤原石山著『南朝正統皇位継承論』南朝史学会/1966年/巻頭写真)

愛知県岡崎市藤川町の旧家森川家の系譜には尹良親王(守永親王)を稲若王と称し、森川家はその七代の後胤であると伝えています。

森川(もりかわ)は守川(もりかわ)すなわち守永(もりなが)親王の流れを汲むことを表現しているのです。

南朝正統皇位継承論3

藤原石山氏は、『南朝正統皇位継承論』で下記のように述べています。

後醍醐天皇の皇太子
 延元元年叡山に於いて即位し、北陸朝廷の宮方が奉じた王子を従来の史家は、恒良親王又は宗良親王に当てていたが、この王子が信濃や三河の各地に伝えられる謎の宮様尹良親王に相当し、尊良親王の王子守永親王であることが明らかになった。
 菅政友は、『南山皇胤譜』に浪合戦死の宮と伝える尹良親王を『鎌倉大草紙』『十竹筆記』『新葉集』『古本帝系図』『関城釈史』『飯野文書』等を参考として、守永親王に相違ないと考証している。
 最近発見した岡崎市藤川町の旧家森川家に所蔵されていた家系譜に、
 後醍醐天皇次稲若親王七代ノ後胤姓者源也但稲若王ハ天皇御孫尹良公申也故有リテ親王ト奉崇ル
 とあり、尹良王が後醍醐天皇の次を継承したことを明確に伝えている。又元老院編纂による『纂輯御系図』にも、守永親王が後醍醐天皇の猶子になっていることが『増鏡』『元弘日記裏書』『南方紀伝』『新葉集』等を参考として誌している。(『南朝正統皇位継承論』103~104頁、誤字を2字訂正しました。6行目開城→関城、11行目奉宗→奉崇)

上記の「森川系図」を忠実に記すと下記のようになります。

森川系図先祖歴代〇働之覚
天照太神第二之御子天穂日命後胤
菅原之末流森川姓續時者菅原之娘也
後醍醐天皇次稲若親王七代後胤姓者源也
但稲若親皇者天皇御孫尹良公ト申也故有リテ
親皇ト奉崇ル(後略)

後醍醐天皇次稲若親王・・・後醍醐天皇の次の稲若親王
稲若親皇者天皇御孫尹良公ト申也・・・稲若親皇は天皇の御孫で尹良公と申すなり。

菅政友・・・尹良親王を守永親王と考証
森川系図・・後醍醐天皇の後継者は稲若親王で尹良公と申すなり

(2)三浦皇統家 系図

三浦家の系図には、後醍醐天皇の大統は「守永親王」が継承し興国天皇と申し上げ、その後は興国天皇の皇女・小室門院元子媛が宗良親王の皇子「興良親王」をお婿様(皇夫)とし興良親王崩御後は寛成親王を後添え皇夫とされ

富士谷(富士吉田市、都留市)や三河(御津町、御油町、豊橋市)の皇居で隠棲していたと記されてあり、北朝にも吉野朝にも譲っていないのです。(【参照】詳細は『ウィキペディア』三浦芳聖を参照下さい。)

【三浦皇統家 系図】
後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇・・・三浦芳聖

守永親王(興国天皇)についての詳細は下記をご覧下さい。
【参照】興国天皇 (守永・もりなが) (串呂哲学研究ノート№52)

(3)守永親王(興国天皇)の神風串呂

守永親王(興国天皇)の神風串呂は下記をご覧下さい。神風串呂が如何に的確であるかご理解頂けます。

前号(№189)       次号(№191)

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 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

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神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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