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💟第11話 尊良親王の御陵に遭遇-若王子町の下宿

🟡総本山誓願寺から追い出される

向学の念止み難く、大正7年〔1918年〕3月15日、青雲の志を抱いて上洛した芳聖は、慣れたお寺で働きながら通学しようと、浄土宗西山せいざん深草派ふかくさはの総本山誓願寺せいがんじ(京都市中京区桜之町)に宿泊して、早朝から清掃などの奉仕活動をして、役に立つ小僧であることをアピールしました。

京都市中京区桜之町(地図マピオン)

しかし数日後、出張から帰った第85世管長・加藤観海大僧正と師匠の富永老師の法脈(宗派内の派閥)が異なることから随身ずいしんに置いてもらえず、誓願寺から追い出されてしまいました。

想定外の出来事に途方に暮れた芳聖は、仕方なく三条寺町の「大阪毎日新聞販売店」に住み込み、新聞配達をしながら通学することにしました。

ところが、新聞販売店の同僚たちは不良少年が多く、勉強の邪魔をするので、ほとほと困った芳聖は、店主の許可を得て、大正7年(1918年)4月28日の日曜日、下宿を探すため新聞販売店を出発し、三条寺町から東北方面に向かって歩き出しました。

🟡尊良親王の御陵に遭遇

芳聖が、下宿人を募集している貼り紙を探して、あちらこちらと歩いて行くと、偶然にも東山永観堂(禅林寺)前の「尊良親王御陵墓」に行き当ったのです。

遠祖・尊良親王の御陵墓には、樹齢六百年越えとおぼしき、見事な高松が生茂っていました。(現在の松は二代目です。)

京都府京都市左京区南禅寺下河原町  尊良親王御陵墓

六百余年前の嘉元かげん2年(1304年)8月8日に、自分と同じ甲辰年の同月同日に降誕された御先祖様の御陵墓に遭遇して、芳聖は感無量でした。

御陵墓の前で「阿弥陀経一巻」を読経どきょうしたあと芳聖は、往昔、尊良親王を丁重にほうむって下さった夢窓国師むそうこくしを追憶して、その徳を偲びつつ永観堂(禅林寺)へお参りし、

その門前を北へ土塀添いに横切り、右に回って若王子町にゃくおうじちょうの坂を一寸行くと、左手の農家の塀に「学生さんに二階を貸間します」という厚紙に書いた札がるしてありました。

京都市左京区永観堂町(地図マピオン)

🟡若王子町の下宿に引き移る

芳聖は、これこそ全く尊良親王のご神霊のお導きと、早速貸間かしまを願い出た所、家主は、待っていたと言わんばかりに喜んで、即座に貸して貰えることになり、芳聖は、その日のうちに引き移りました。

そこは、京都市左京区若王子町にゃくおうじちょう藤田喜三郎ふじたきさぶろうという農家でした。

この、若王子町にゃくおうじちょうは平安時代、春宮とうぐう(皇太子)が、天皇になる修養をする為に、3年間学問をする所であったそうです。これが若王子町という地名の由来です。

まことに不思議な巡り合わせだと思いますが、実は、芳聖の下宿は、天照大御神の御子教導計画で若王子町と決まっていたのです。

京都市左京区若王子町(地図マピオン)

この藤田家の二階に下宿した芳聖は、初めのうちは毎朝2時半に起床して3時に出発、未明に尊良親王の御陵と永観堂にお参りし、駆け足で新聞店に行き、朝刊の配達が済むと帰宅して朝食を取ったあと登校し、夕方また夕刊を配達して帰宅するという過酷かこくな毎日でした。

食事は自炊で、朝刊配達中に「ゆきひら鍋」に入れた玄米が、火鉢の中で炊けるようにしておいて、配達から帰ると、どろどろになった玄米ご飯を、梅干か生味噌をおかずにして掻きこんでから登校しました。

ゆきひら鍋

幸いにも、それから半年後には、藤田家の、当時小学6年生だった「加代かよちゃん」という娘が芳聖になついて、毎朝夕の食事の支度から洗濯までやってくれるようになったので、芳聖は、30分睡眠時間が増え、少しですが楽になりました。芳聖は、お礼に加代ちゃんの勉強を見て上げました。

*コラム・超世志のここだけの話
京都時代の芳聖は、尊良親王の再現としての要素が強く、朝夕お世話してくれた藤田加代ちゃんの干支かんし(えと)は、丁未ひのとひつじで、尊良親王妃の御匣殿みくしげどの (西園寺さいおんじ公顕女きんあきのむすめ藤原清子)と同じでした。

 尊良親王=甲辰きのえたつ年生れ=三浦芳聖
 藤原清子=丁未ひのとひつじ年生れ=藤田加代

芳聖は後年、この藤田喜三郎氏は、往昔、尊良親王の御陵墓のお世話をする為に派遣された三浦家から出た関係者、恐らく大宝天皇の子孫であろうと述べています。ちなみに芳聖の祖母の旧姓名は「藤田さく」と言い丁未ひのとひつじ年生れでした。

💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮しんぼうえんりょにより、芳聖の下宿は「若王子町」と決定されていたのです。加藤観海大僧正も新聞店の同僚たちも教導計画の台本通りに行動したのです。

💟第12話 聖護院の学び舎-恩師中根正親先生
🟢天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録

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