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上村上(広島県三次市粟屋町)

1、上村上(かみむらかみ)

この上村上という地名の解釈について三浦芳聖は、本当の後村上天皇のことだと述べています。下記を参照下さい。

【参考】後醍醐天皇と諡号(贈名=天皇号)
後がつく諡号(しごう・天皇名)の天皇は、それ以前の天皇と似た事績を残されたということで、後○○天皇と名付けられました。

後醍醐天皇の場合は、天皇親政が行われ、王朝政治・王朝文化の最盛期となった理想の時代(延喜・天暦の治)の醍醐天皇の治世を理想としていた為、自ら「後醍醐」と贈り名するよう指示されたとのことです。

尊良天皇は、その後醍醐天皇の後継者ですので、本来なら、醍醐天皇の後継者の村上天皇にあやかって「後村上天皇」という諡号がつくはずでした。

 醍醐天皇-村上天皇
後醍醐天皇-上村上天皇(尊良天皇)・・・神皇正統(内伝極秘)
後醍醐天皇-後村上天王(義良親王)・・・南朝副統(陽動作戦)

しかし、南北朝時代の動乱が始まり、陽動作戦ため設けられた吉野朝の擬天皇である憲良(義良)親王が、「後村上天皇」と贈り名された為、串呂の主宰神は尊良天皇の為に、「上村上」というユニークな串呂哲学上の贈り名を設定したと解読します。(『延喜・天暦の治- Wikipedia』)

2、上村上に関する神風串呂

🟣元伊勢内宮皇大神社と金崎神宮との神風串呂 (№21)

🟣皇大神宮内宮と応神天皇御陵とを結ぶ神風串呂(№34)


串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)

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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。