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変わりたい。自意識、エゴ、恥と共に。 

こんにちは、Elisa久遠です。

大変ご無沙汰しております。皆様お元気でしょうか。

偶然と運に恐らく恵まれて書いている気がします。
大学が夏休みで先日仕事(バイト)がなく、偶然YouTubeを見ていたら、たまたま”創作大賞2023”で受賞された伊藤亜和さんとジェーン・スーさんの対談がリコメンド機能で流れて来ました。

テーマが家族についてエッセイを書くということだったので興味が湧き、ぐいぐい引っ張られながら見ていました。

いつか家族について書きたいなと思いながら、どんな風にお二人は書いていらっしゃるのかなという視点で最初は観ていました。ですが、その当初の目的から大きく飛んで、”書く”こと自体に対しての二人の姿勢や会場や事前のアンケートに対する回答の中でハッとした箇所がありました。

51:58の質問に対してのお二人の回答を抜粋 
質問: エッセイを書く時の自意識の取り扱い方について(質問は簡略化しています)
ジェーン・スーさん『こんなことを考えている自分はかっこいいとか、かっこ悪いとか、自意識、人からこう見られたい欲がすごく強いとかそういうこともそこまで書けばいいんじゃないんですかね。』
伊藤亜和さん『どんどん書いて人に見せて慣れる。』

お二人のこの対談を聞いて胸に刺さりました。

今まで本当に気ままに書いてきたつもりだった文章ですけど、もしかしたら根っこの部分にかっこいいぜって見られたい欲とか、私って可哀そうでしょ?みたいなものをすごく隠してきていた気がしていて。

でも、そういう自意識って滲み出るから読者の皆さんにはきっと伝わっていて、スキが多いだろうなって思ってた文章ほど、ほとんど読まれていなくて(笑)

私が文章書く時って、”伝えたいこと"っていう綺麗な言葉にまとめがちで、
本心『なんでこんな理不尽なことになんだよ、畜生!!』みたいな怒りや『自分のことしか考えられない、価値観の狭い人だったな』っていう自己憐憫な感じで、私って正しいよね?こんなことに気づいた私エラくない?皆どう思う?な自分の価値観の押し付けかもしれないと、今思いました(笑)

それを自覚したうえで、先ほど1つエピソード投稿しました。今までと書式も雰囲気も違うので前から見るてくださってる方は、驚いて引くかもしれませんね。。

文章を書きたい書きたいって思いながら、口や頭ばっかりで書いていないならば、永遠に書けないし。

今のまんまじゃネタが昇華できてないから、見る側つまらないんじゃ?
そんな頭でっかちになっている場合じゃねえ(笑)
人に見られることを意識し過ぎてかっこつけな文章になりがちだし。
書かなきゃ腐っていくだけだし。
周りは思っている以上に気にしてないし。

というより、変わりたい。
必要以上に自分を責めるクセや、それに嫌になる自分にも飽きた。

自意識をもっと客観的に受け入れたい。エゴだって自覚して受け入れていれば、健全な人間としての感情として処理できるけど、それを隠そうとしたり、耳当たりや目当たりのいい言葉に収めようとするから、きっとこじれてしまうんだろうな。

実は、4月末から体調をかなり崩してしまい、うつ病になり、入院もしていました。
しかもオーストリアで。なんでよ。もう。

入院した時、現状に納得いかなさ過ぎて、いい話のネタにして、あわよくばお金を稼いでやるって思ってました笑
なので、その時の治療の記録を保管してあります。
あの頃起きた出来事の意味は、ここにあったんだと思考と解釈を変えて、糧にしたい。苦しみに耐えた意味を見いだしたい。

これからも、マイペースで更新していこうと思うので、もし宜しければ、覗いて頂けたら嬉しいです。口調(書式?)をどういう風にするとか、まだまだ手探りな感じで読みにくいかと思いますが、引き続きどうぞ宜しくお願いします!



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