美人は得か
周囲から蝶よ花よと育てられ、頭も良ければ才色兼備と褒め称えられ、学生時代はキャンパスのマドンナ、働き始めたら職場のアイドル・・。
そんな美人は実は世の中に何人もいる。テレビマンだった関係で比較的美人を直接目にする機会も多く、(御本人がどう思っているかは別として)美人はいかに得をしているかを目の当たりにしてきた一方、「美人は3日で慣れる」も体験してきた(見慣れるけど見飽きるわけではない。ただ最初ほど緊張しなくなるだけ)
一方で、美人な人が周囲が思うほど幸福だと感じていないことも薄々わかるようにもなった。仕事の能力と関係ない容姿の評価がついてまわることについて多くの美人がイライラを抱えていたり、美人であることから望ましくないちょっかいを受けたり、逆に贔屓の引き倒しのような目にあう確率も高くなり、そのことにもストレスを感じている美人が世の中には少なくないことも知った。
かわいそうだし理不尽だと思う。美人でなければ、家までつきまとわれたりストーカーされることもなかったかもしれないし、美人過ぎる政治家などと持ち上げておいて自分の想い通りにならないと悪口を言われまくることもなかったろうし、仕事の相談だけするつもりが「君みたいな魅力的な女の子に誘惑されたらその気になっちゃうよ」などと気持ち悪いことを言われて薬を飲まされて暴行されたりすることもなかったかもしれないし、他に恋人をつくっただけで嫉妬されて顔を切り刻まれる、なんて猟奇的な事件に巻き込まれることもなかったかもしれないから。これらの例は極端だけど、美人が美人であるだけで苦労していることが少なからず存在することは事実ではないだろうか。
でも悪いのは彼女たちが美人であることではない。美人の「美」に目がくらみ、心を奪われたあげく不埒な言動に走る幼児性の高い精神を持つ犯罪者の方である。それでも彼らは自分たちが悪いとは認めない。あたかも未開国で「レイプされるのは肌を露出しているからだ」というわけのわからない理由で女性を罵倒する人がいるのと同じ。伊藤詩織さんがいみじくも語っていたように本来「どんな服を着ていようがどんな時間にどんな髪型をしていようがそれはレイプされる理由にはならない」のだ。胸元が開いていようがスカートの丈が短かろうが、それは自分の着たい服を着たいときに着ているだけであって、だから襲ってください、ということではない。
筒井康隆さんの家族八景シリーズの主人公、七瀬は美人のお手伝いさんで、エスパーであることから日々は目立たないようにしているけれど、必ずといっていいほど勤め先のご主人や息子などから好奇の目でいやらしい想像をされてしまう。頭の中で丸裸にされてしまう。それが彼女はエスパーなのでわかってしまうという地獄が日常として描かれている。普段そうならないよう常に地味な化粧っけのない格好で家庭に行くのだが美人は覆い隠せるモノではないということ。トラブルに巻き込まれてしまう。美人は確かに得だろうが常に危険と隣り合わせだともいえるわけだ。
美人が美人であることでなんのストレスもなく生きられる成熟した社会に早く日本もならないと、セクハラも性犯罪もなくならない。男たちよ、成熟しよう。僕は美人とお仕事をするときに最初に心の中でやる作業は以下の通り。
この人がすごく美人で、かつ俺の好みであって、俺と話している時に楽しそうに話していても、それはただの偶然であり、社交辞令であり、業務をスムーズに進行させるための技術の一つであり、それ以上ではないことをまず理解しろよ。さらに。この人にはこの人の「仕事」や「人生」があってそこに土足で踏み込んだり、なにか思い違いをするようなことは死んでもあってはならない。万が一なにか思わせぶりなことを感じたとしてもそれは思わせぶりにした方が悪いのではなく、何の意味もない行為を意味があるかのように受け止めたおのれの手前勝手な解釈が悪いので、ゆめゆめ彼女に過度の期待や思い入れを持たず、あくまで仕事上の相手として礼節と尊敬と適度な距離感を保ちつつ業務を行うのに最適で円滑なコミュニケーションをこれからも心がけるように。軽はずみな言動で失うものの大きさを常に意識せよ。うぬぼれるな!
やりすぎ?いや、もっと肝に銘じてもいいくらい。山口氏にも伝えておくべきだった。ま、当時も今も面識はないのでそれは不可能だったわけだが。
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