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彼女たちに何がおこったのか?

異常事態なのである。

日向坂46がデビュー以来続いていた紅白歌合戦に落選したこと
・・ではない。
その落選したことをメンバーの多くがブログなどで片っ端から
おひさまに謝罪していることが異常なのだ。
メンバーの多くが「申し訳ない」「悔しい」など想いをつらねているが、
ひらがな推しからのおひさまの一人としては正直「紅白に出られないと
いうことはこんなにも頭を下げないといけないものなのか?」という
方が強い。僕が子供の頃の紅白ならまだしも視聴率が年々低下しオワコンと
言われ続ける今の紅白に出ようが出まいがそれで残念だなんて1ミリも思わない。
だからこそ一斉にブログに出た謝罪コメントの多さに頭を抱えてしまった。
これを異常事態と言わずしてなんというのか。

そりゃ1年の締めくくりに紅白で彼女たちを見たいというおひさまもいるだろうし他のファンの気持ちを否定する気はないが個人的には「年末年始は実家にでも帰って最愛の家族とゆっくりこたつでミカンでも食べながら過ごしなよ」と思ってしまう。強くそう思うようになったのはあのドキュメンタリーの存在がある。

希望と絶望」はコロナ禍でのライブ中止や無観客、メンバーの休養、卒業など
日向坂46が改名以来初めて味わったであろうしんどいシーンがてんこ盛りで続くドキュメンタリー。昔からAKBや乃木坂など「アイドルの舞台裏の葛藤や苦しみを描く」みたいなドキュメンタリーはあったけど、僕にとっては日向坂のこの作品は途中で見るのが辛くなってしまうものだった。まず一言でいうとやたらナレーションの「しかし」が多すぎること。つまり、素敵な笑顔や希望に満ちたシーンなどのあとにこれが出てくると「来た!ああまたどんでん返しかよ」とこれ以降に訪れる不幸なシーンが予期できるだけに見ててしんどくなるのだ。この手のアイドルドキュメンタリーで秀逸だと言われた全盛期のAKBの一連の作品は当時楽しんで見た記憶はある。有名な大島優子の「たかみな具合悪いんだからふざけんじゃねえぞ」のシーンとか。たぶん特にファンじゃないし純粋に作品として見てたからでしょう。

しかし(こういう時に使うのよ)。僕はドキュメンタリーディレクターという仕事を持っていながらもすでにズブズブのおひさまであって彼女たちを客観的に批評したりするスタンスはもうとれないわけで、いくら映像作品のセオリーとして結局は予定調和で希望的な未来を最終的に描いてたとしてもそこまで随所にまぶされた本来オチへの「フリ」でしかないはずの数多の辛すぎるシーンのせいでまったく楽しんで見ることができなくなってしまった。
ようやく落ち着いて見られるのはディレクターズカット後編ディスクの東京ドームの「3回目のひなた誕祭」当日のシーンからだからそれまでは本当に見続けるのが大変でした。

たとえば、かとしが満身創痍でチアをするのは、当時リアタイで「ひなあい」で見てても心が痛みハラハラしてたのにあらためてあんなバックヤードのかとしの表情を見せられても悲痛すぎて言葉がでない。また炎天下のWーKEYAKIで過呼吸みたいになってるメンバーや車椅子で運ばれるメンバーの姿もそうだし、もっと言うとそれでも「まだできるはずだ」とかパワハラまがいのフィードバックをする運営側の大人に対して心から怒りを覚えなかったとは嘘でも言えない。

かねてから大喜利が強いだのバラエティが得意だのともてはやされ地上波で消費されていく彼女たちに危惧を感じたこともあるが、僕はもともとこのペースで急いでスターダムを駆け上がらずにもっと自分達の心と身体が追いつける程度でゆっくり上っていけばいいのにと思っている多分少数派のおひさまなので、「希望と絶望」内で影山が呟いてた「グループの成長スピードと自分の気持ちとのズレ」は当然あるだろうと思ってしまうし、そんなカゲや渡邉美穂だけでなくたとえば「日向坂改名」のサプライズの後、一人だけ「自分は欅坂(けやきざか)に対して思い入れがあるので複雑だ」と漏らしてた柿崎もきっとグループと自分のマインドの乖離を感じてたのではないかと勝手に想像してしまうわけだ。

たとえば渡邉美穂はなぜ役者をやりたいからとアイドルグループをやめないといけないのか、では二宮や松潤は嵐を一度やめないと演技はできないのかいうともちろんそんなことはなかったわけで、実際いろんな映画でのニノの芝居やSMAPの剛の芝居は彼らが日頃アイドルグループ所属などという看板を忘れるくらいの出来だったのは衆目の一致するところだろう。もし本当に日向坂をやめないと演技の道を続けられないのだとしたらそれはこのドキュメンタリーの前半で描かれているようなあまりに過密で理不尽で気力や体力をひたすら奪うだけのスケジュールやプログラムにあるのではないのか、そうも勘ぐってしまう。

僕は基本的にメンバーに誰もやめてほしくないタイプの保守派なので井口や柿崎や美穂や影や愛萌も潮もとにかく誰にもやめてほしくなかった。キャプテンはまじで三十路(みそじ)のお祝いはぜひ「ひなあい」内で企画してほしいと思うくらい。でも時間は待ってくれない。昔の「がな推し」とか見ながら僕がノスタルジーにふけっている間に4期生は入り、グループはどんどん大きくなっていった。たぶんこのまま選抜制が導入されて歌番組に出られるメンバーは限られ、古参の卒業は加速するだろう。ネットではライブの売れ行きがどうだとか、追加公演が出るのは埋まらないからだとか喧しいが、僕は少なくとも彼女たちが何も悪いこともしていないのに謝ったり落ち込んだりするようなことが2024年には少しでもなくなればいいとは思う。

そういう意味で言うと、来る2024年は少しペースを落としてメンバーそれぞれが自分の趣味や個性や適性を活かせるような番組や配信などでのいい企画に出会えたり、うまく1期生から4期生までが融合して新しい日向坂の姿を創り出していってくれればいいなと思います。おひさまといっても多様な価値観をひとりひとりが持っているし、僕とぜんぜん違う意見をお持ちのおひさまは多いでしょう。それはそれで仕方ないことなので仕方ないけどまあそんな風に思うわけです。

アイドルとはもともと「宗教的な偶像」というのが語源。カメラを向ければいつもハッピーオーラを振りまく彼女たちの姿が「表」だとして、その「裏」では悩み、落ち込み、傷つき、疲弊している事がもし少しばかり多いのだとしたらこれはなにか手を打たないと彼女たちがただの消耗品になってしまうのではという危惧を感じてます。早川聖来の勇気ある告発によってパワハラだと指摘された乃木坂の演出やいま似たようなことで問題になっている宝塚の演出家じゃないけど「期待する」と「重圧をかける」は意味が違うからなぁとも思います。こうしたドキュメンタリー映像でよくあるパターンで、ライブ後に偉い人が来て「今日は最低だった。こんなのダメ」と罵倒して、それに奮起して皆がもう一度力を合わせて頑張る、みたいなベタなお話、実は僕はもう辟易してます。これも僕だけかもしれないけどこういうアイドルド根性物語みたいなのはちょっともう。。

ただ、それでも日向坂46はそこでは終わらないのもすごいけどね。
ライブ後、運営サイドの偉い人に小言を言われた後に、かとしやおたけたちがステージ裏の方に行って「言いたいことを言いやがって。こっちはか弱き乙女なんだぞ、あー!」と大声で叫ぶシーン。あれがあるうちは大丈夫、そう思えた数少ないシーンの1つでした。

なんだかんだで俺は好きなんだな。このグループが。



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