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tomorrow is another day.

わたしはなぜ「食べること」で自分を傷つけたいのだろうか。

嘔吐など、わかりやすく症状が身体に出てくるわけでもない。気にしないわけではなくて、むしろ身体に対して無頓着であるがゆえダイエットらしいことをしたことはなかった。

それでも悩む。

「罪悪感」はセーブしてくれるものではなく傷つきの温床だ。新商品のキャッチに書かれてるようなライトなものではない。

自傷癖のある方が回を増すごとに深い傷を入れてしまうということを聞いたことがある。
傷つくこと自体に慣れてしまえば、つぎはより多くの「食べる」(刺激)を求めてしまうのは納得できる。

食べる行動単体では語れない。
傷つくことを積極的に受け入れちゃってる心そのものがある。

いくら頭ごなしに「罪悪感」を学習していても、無意識レベルで(自覚)傷つけることをわかっていてやっている。

心のどこかで「傷つけたい」自分と、「傷つきたい」自分がいる。

まあいいか、積み重なるときを待つ

そこでいつも衝動的に食べるときを分析した。

1つは、傷つかないと価値がない、張りつめた中で生きなければ、ダメ人間だというところからの自己無価値観からくるもの。

2つは焦燥感。まわりがあくせくしているのだから、同じように自分も駆り立てて、乗り遅れないように生きねばならない(気がする)。

それで駆り立てるように食べたところで燃え尽きる感覚はあった。それでもまわりに触発されて、怖かろうとなにかしらの状態を保つ必要を感じていた。

でもその感覚に身体がついていかないことにだんだん気がつきはじめる。

焦らなければいけない事態は、本当に目の前にあるのか?
言葉で書くのは簡単だが、それさえ見極めさえすればいいことも。

先延ばしといえばそうなのだが、今すぐその衝動に身をのっけなくてもいいかー…と思えるためにはそれにならさせていくだけだ。


明るくはなくてもこのまま枯れたくはない。

食べることも否定はしないけれど、違うかたちでの幸せを感じてみたい、
進展か後退かはこの際どうでもよかった。

でも今まで苦しささえ感じ得なかったとすれば、わずかな心境の変化さえ逃してはいけない気がした。

その気持ちをもち続ければまた人生に向き直えるだろう、というエネルギーを持ち合わせているのだから。