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声優時代

「声優時代」

こんな風に書くと今声優じゃないみたいですけど、笑
今は主にボイストレーナーや声優養成所、絵本読み聞かせ講座などで、教える仕事がメインになってきていますので、わかりやすいタイトルにしてみました。

今も、ラジオCMやアフレコの仕事もしています。

集英社みらい文庫の本の紹介動画で、4役とナレーションやりました。

15年くらい前から、圧倒的に講師の仕事の方が多いです。

20代、30代の私の声優時代について、少し書いてみようと思います。
90年代に入る前から、アニメの少年役の声をやっていました。

最初からやりたい仕事だったわけではなく、本当は、俳優になりたくて、俳優養成所に入りました。

養成所時代の発表会の時に、友達とコンビを組んで私は学らん、友達はスケバンのようなセーラー服を着てコントをやって、審査員の方や皆さんに大ウケしたのを思い出します。

お笑いの事務所に紹介したいと言われ...

その時、審査員だったマネージャーさんから、お笑いの事務所に紹介したいと言われましたが、丁重にお断りしました。

なぜ、断ったのか、今でも謎なのですが、、

養成所を卒業し、事務所に所属すると、顔出しの仕事も最初はしていました。当時は企業用の教育ビデオをどこの大手企業もたくさん作っていて
若い私の役は大抵、新人OL役、または店員の役…
各社のマナー、お辞儀の仕方、挨拶の仕方など、しっかり演らせて頂きました。^o^

「声で売っていった方がいいな」と言われ...

あるマネージャーから、「声で売っていった方がいいな」と言われ、それって、顔が悪いってこと?と、ひねくれて受け取ってしまった当時の私。

顔出しのオーディションに行っても「いい声ですね。」と声を褒められる始末。

顔出しのオーディションに来る方は、右を見ても左を見ても、とびきりの美人ばかりでした。

なので、せっかく褒めてくださっているのに、若い私は、自分は劣っているんだと、自分の良さも見えていない愚かさで、嫌な気持ちになったりもしました。

でも、楽観的な方なので、深刻には気にしていませんでした。

前回の記事にも書きましたが、事務所に入って半年くらい経って、女性マネージャーに「明日、アニメのオーディションあるんだけど、行ってきて!で、とってきて!」と、言われて、元気に「はい!とってきまーす!」と、答えたのが始まりでした。

オーディションに行くと、A 4くらいの紙を2枚渡されました。

「セリフ原稿」と「キャラ表」といって、キャラクターのデザインイラストの2枚。

それを眺めていると、「こっち入って」と録音ブースの中に案内されました。

ラジオCMやボイスオーバーなどの仕事はもうすでにしていた私ですが、オーディションでのブースの中は初めてのことでしたし、男の子の声をやるのも初めてだったと記憶しています。

私以外誰もいない空間に、とても立派なマイクと私。

イヤホンをつけると、音響監督の声が聞こえてきました。

「名前と役名言ってから、読んでください。」と、言われたように思います。

私の役は桃のはちまきをしていて、時代劇の格好、袴を着ていて、「〇〇でござる」としゃべる男の子。

でも、その時、決してうまくはないのだけれど、なぜか少年のハートがわかるなーと、自分自身の心の深くと一致した感覚がありました。

今思えばの話ですけれど。

そして、見事合格!
マネージャーも事務所も喜んでくれました。

番組名は「レスラー軍団 銀河編 聖戦士ロビンJr.」

喜びも束の間、合格してからが、大変でした。

マイクワークと言って、数本のマイクを出演者全員で、使い分けていくことも大変でしたし、アニメのキャラの口パクと合わない!
「しっかり芝居できていれば、口パクは合うようにできてるんだよ。」と怒られました。

ひぇーそんなー 汗
と、心の中でパニック起こしてました笑

マイクワークは、シーンの中で自分がセリフを言う時にどのマイクに入っていたのか、メモしておいて、ラストテストや本番の時に同じように動いていくこと。
例えば「マイクの右側から入って、右後ろに下がったのか」など、同じように動かないと、収録中に人とぶつかってしまったりします。

舞台のように、動きを覚えていくことが大事なんですね。

でも、そんなこと習っていない上に、なんといきなり、セリフのたくさんある正義の味方の役でしたから。

顔文字などであらわすと、ぴえん!(;゙゚'ω゚'):ガクブル!ってヤツですね。

プレッシャーもあり、胃にポリープができたり、精神的にもきつかったのですが、若さもあって、とにかく必死にやって、覚えていったように思います。全く知らない世界で、大先輩の中、厳しさと優しさと、、たくさん育てて頂いたのだと思います。

音響監督は本田保則さん。

この番組以外にも、ほかの番組に、いろんな役でゲストで呼んでいただいたりしました。

今でも大切にしている本田さんの言葉があります。

「森田は、太陽の子のような子だから、
たくさん恥をかきなさい。
恥をかくことを恐れちゃダメだよ。」

その教えの通り、森田は50代になっても恥をかき通しです…笑

不器用な私に、厳しいダメ出しをたくさんして下さり、でも、皆で飲んだりした時には、このような温かい言葉をくださる監督でした。

このデビューから、12年後、テレビ東京のアニメ「爆転シュートベイブレード」がスタートし、蛭田役で本田さんに呼ばれます。

蛭田は、3話くらいしか出てこないキャラですが、チンピラのような奴で(^◇^;)

勝負に勝つと負けた子のベイを奪って、サンタさんの袋みたいな大きな袋に、たくさんの奪ったベイを入れて、肩にかけてガムをかじりながら、高笑いと捨て台詞を残してその場を去るという…笑

そんなわかりやすい悪役でした。

久しぶりに本田監督からオファーされた役の濃さに、少しためらいながら、スタジオのドアを開けました。

2カットに渡り高笑いをするシーンで、息が続かず、NGとなり、他の出演者の方々が笑いを堪えていたのを今も覚えています。

今では、高笑いは大得意になりましたよ^o^
成長しましたね、私!

そして、蛭田の出番が終わり、もう私はこの番組の役割を終えたのだと思っていると、数ヶ月後、事務所から電話がありました。

「爆転シュート・ベイブレードでお仕事決まりました!」

え?また、蛭田が出てくるの⁇と思っていると......

「ユーリイヴァーノフという役です!キャラ表もあるので、台本取りに来てくださいね」と。

ユーリいっばー????

蛭田じゃないのー!?本田さーん!

と、電話を切ったあと、心の中で叫んでました。

ユーリ・イヴァーノフは、ロシアチームのエース。
冷酷非情で最強のブレーダー。

この役を頂いた時は、まだ、ユーリが最終回を飾る最強の敵キャラという認識もありませんでした。

また、数回だけ出演するキャラなのかなとのんびり思っていました。

初めてのユーリ・イヴァーノフ役の収録の時、本田監督に

「ロシアの暗ーい冷たい声を、森田、ひとつたのむよ」

と言われました。

どういうこと?私の声、暗いの?笑

ちょっと思いましたが、とにかく、必死でした。

カイ役の高乃麗さんに(「ノンタンといっしょ」でご一緒させて頂いたことがあり)とても緊張していた私の肩を、後ろからモミモミされたり、他の皆さんもお優しい方が多く、ホッとしました。

長くやっている番組などに、ゲストで出演したりする時は、その番組の雰囲気を壊してはいけない、ご迷惑をおかけしないようになど、とても緊張したりします。

最初のうちは、ユーリの声に、優しさが出てしまい、「もっと冷たく、もっと冷酷に」などのご指摘を受けました。

どうしたら冷酷になるのか...

よく公園で練習していました。笑

若手のお笑い芸人さんみたいですね。

私の出身地は北海道。
ロシアと同じ北国です。

とても広大な北海道の吹雪を思い出すように、近所の公園ですが、外で練習する方がインスピレーションが降りてきました。

ユーリはアニメで、影絵の切り抜きみたいな、口が裂けているかのように笑っている絵が、コマーシャルにいく前の映像で出たり、技名を叫ぶ時の怖さと言ったら、ありません。

当時、幼稚園の年中だった娘が、怖がってギャンギャン泣いてしまいました。

それが私の自信にもなりました。
あ、ちゃんと悪役できてる!みたいな笑

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打ち上げの時に、最終回の台本の裏に、本田監督にサインを書いて頂きました。

そして、この作品は、2年後のGレボリューションでも、ユーリ・イヴァーノフでお世話になりました。

このユーリ・イヴァーノフは、未だに根強いファンのいる役です。

そして、そのファンの皆さんの熱い声援と交流に、たくさんの元気と勇気を頂くことにもなりました。

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このことは、またいつかお話するとして、今日はここで筆を置きます。

声優時代の思い出は、まだまだたくさんありますから。

そのお話もいつかの時に。。

読んでくださりありがとうございました。


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