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追って追われて、また追って

 少し前に『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読み終えました。今年に入ってから《小市民シリーズ》を読み始めた新参者なりに、美しい着地だったなと、一抹の感慨を得られた、いい読書となりました。そこで今回は、読後の感想めいた文章を、備忘録がわりに残していくことにしました。

 ぼくは《小市民シリーズ》のことをキザな作品だと思っています。けれど嫌みったらしいとまでは思っていない。それなりに気取っていて、しかしその気取りゆえに痛い目にも遭い、常に世界と折り合いをつける場所を探している、そんな愛すべきキザさが作品のそこかしこに漂っている……それがぼくの当シリーズへの所感です。

 なので、本編のキザさに引っ張られるように、ちょっとキザったらしい書きぶりになるかもしれませんが、ご容赦を。

※以降の文章は、米澤穂信『秋期限定栗きんとん事件』及び『冬期限定ボンボンショコラ事件』の真相に言及しています。未読のかたは読まないほうがよいと思います。



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 『秋期限定栗きんとん事件』(以下『秋期』と略)では、事件(作中では連続放火)のことを知りたい、自分が(そもそも無関係であるはずの)事件の重要人物となりたいという欲望を抱えた、瓜野という新聞部員の行動が、事件に大きく関連していきました。

 瓜野くんが事件を追いかけ、過激な行動を繰り返すほど、彼の行動に呼応するように、事件が次々と起こっていく。探偵役である瓜野くんが事件を追いかけるほど、探偵役が事件を追いかけているのか、はたまた事件が探偵役を追いかけているのかわからなくなってくる。そんな、主客が転倒したような不穏なアトモスフィアが、『秋期』の作中には横溢していました。シリーズのダブル主人公である、小鳩常悟朗と小佐内ゆきの不和と、それに伴う関係性の変化も、この不穏さに拍車をかけ、常に何が起きてもおかしくないような緊張感を作品に付与していたように思います。

 では、そんな『秋期』で起きた事件はどんな顛末を迎えたのか。連続放火事件の犯人――最初の放火事件の模倣犯の正体は、瓜野くんの友だちであった氷谷という生徒でした。その動機とは、「友達が大騒ぎするのが面白かった」というもの。本当に事件が探偵役を追いかけていたのでした。とはいえ、本作の主人公は小鳩くんと小佐内さん。探偵役を気取っていた瓜野くんはその座を追われ、小佐内さんによって手痛い――それはもう、非常に――心的打撃を受けることになるのでした。

 と、長々と『秋期』のおさらいをしていきましたが、その続きとなる『冬期限定ボンボンショコラ事件』(以下『冬期』と略)にも、『秋期』の面影が垣間見えるところがあったように思うのです。その面影すなわち共通項とは、不思議な連関をみせる複数の事件、絡み合い連鎖する偶然と思惑――そして、事件を解決したいと希う探偵役の行動がもたらす混乱です。

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 『冬期』では、冒頭から小佐内さんと下校していた小鳩くんが車にひき逃げされます(SNSではこのあらすじを見たシリーズ読者のザワザワが度々観測されていました)。

 その後、大腿骨骨折という大怪我を負った小鳩くんは、大学受験もままならないほどの長期の入院を余儀なくされます。ベッドで寝たきりの毎日を過ごすことになった彼が、中学三年生のころ、まさに自身が事故に遭った堤防道路で起こったひき逃げ事件について再検討するパートが、『冬期』のほとんどを占めています。その事件とは、彼が“知恵働き”をやめて“小市民”を志す契機のひとつとなった事件であり、また、小鳩くんが小佐内さんとはじめて知り合った事件でもありました…………。

 あらすじからわかるように、『冬期』はミステリのサブジャンルのひとつである「回想の殺人」の変奏の趣があるように思います。まぁ本作の殺人は未遂ですが。あるいは、『春にして君を離れ』のような、過去の自分の言行動を改めて問い直すことを主題とした試みに類型を見出しても面白いかもしれない。ともあれ、小鳩くんが行うのは、事件の再検討であるとともに、過去の自分を問い直す試みであるとも言えるでしょう。

 では、問い直された先に何があるのか。それは、彼にとっては苦い失敗の記憶です。無関係な事件に首を突っ込み、周囲のやんわりとした反感や迷惑そうな態度を退けながら、知られたくない秘密を周囲にまき散らす。探偵役を気取っていながらも、結果としてやっていることはゴシップ屋と大差がない。いくら崇高な目的があろうとも、しかし手段は選ばれるべきだ。そもそも目的のなかに虚栄心の満足が含まれていないとは言えないのに。……とはいえそんなこと、現在の小鳩くんは承知でしょう。しかし過去は追いかけてきます。

 『秋期』で事件が探偵役を追いかけたように、『冬期』でも、過去の事件は探偵役を追いかけます。追っているはずの者が追われている、そんな転倒がこの二作では起こってしまうのですね。探偵役と犯人が相互に影響し、事件を再生産する。なぜそんなことが起こるのか。それはやはり探偵行為もひとつの事象だから。その事象が100%別の事象と結びつくとは限りませんが、本作のように、ふたつが偶然という名の接着剤で結びつけられてしまったら、等号の先には起こるべくして起こる結果が現れるでしょう。結果として、小鳩くんは日坂家を崩壊させた“犯人”となってしまいました。そうとも知らず。

 更なる偶然により、ひとりの人間は、追いかけるのを諦めていた、小鳩常悟朗という“犯人”を見つけ、自身もまた別の事件の犯人となることとなりました。しかし、ここでまた偶然は悪戯します。いままで追いかける側だった彼女は、犯人となったことで、追いかけられる側に立つことにもなったのです。しかも次に追いかける側に立ったのは、とびきり厄介な“狼”でした。

 その後は知っての通り。英子さんは捕まりました。小鳩くんもまた、過去の事件に追いつかれました。日坂くんは彼を赦しました。事件を追うのに夢中になっていた小鳩くんも、彼に無遠慮に怒りをぶつけた日坂くんも、三年の間にだいぶと様変わりしています。過去の怒りに囚われていることが無為と知り、寛容になった日坂くん、マジえらい。ともあれ、追ったり追われたりして、何人もの人が心身ともに痛い傷を与え合った事件は、これにて閉幕。

 それにしても、小鳩くんはこれから一体どうなっちゃうんでしょうか。受験もできない。小佐内さんは京都の大学に行っちゃって離ればなれ。まさに踏んだり蹴ったりです。彼の三年間の高校生活は、苦くて痛い過去の清算だけで終わってしまうのか。……そうはなりませんでした。小佐内さんは、“わたしの次善”たる彼に、呪いの言葉を残していきます。その呪いは、呪いというには甘ったるい言葉でしょう。しかしその言葉は、甘ったるさに酔いしれたくなるような、蠱惑的な魅力に満ちています。

 きっと多くの読者は、彼女の言葉に酔いながら、“狼”を追いかけて迷路に飛び込む“狐”の姿を夢見たことでしょう。――ちょうど、ぼくがそうだったように。

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