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感覚がもうおじさんなのかもしれんなのかもしれん。それもしょうがないか。だって年齢がねん(ry

先日は渋谷TSUTAYA O-Crestでアコースティックライブでした

みてくれた皆んなありがとう!

前日にカラオケと言う名のスタジオに入り
(アコースティックの練習はカラオケで事足りるのだ!)
準備万端!!!

蓋を開けてみると

来場者は片手で数えられるぐらいでした


配信ではみんなに良かったって言ってもらえて
それはもちろん嬉しくて
みてくれてありがとう!

なんだけど


現実を突きつけられて気がした


何のために音楽を続けるのか

音楽は何のために存在するのか

その意義はなんなのか

あの熱狂は偽りだったのか

そんな事を考えては消して考えては消してを繰り返して

結局宙ぶらりん


これはよいよ
本当の本当の本当に
ちゃんと考えないといけない気がする

音楽業界も縦に横に温度差が生じてて

それを肌で感じてきた

そういえば東京でライブをやるのは
コロナ後だと初だったな

どこの箱もどこのアーティストも

改めて考えざるを得ない状況だと

改めて思い知った


これから新しい価値が生まれる気がしている


何かを発信する人間は
みんながみんな
配信者になるべき時なのかもしれない


でもその感覚に

どうしてもついていけなくて


おじさんだなあと


惨めにも誇らしくも思う

そしていずれ老害になるのだろうと

思ったら

泣きたい笑


でも

待ってる人がいるんだよ

隠れ待ってる人でなくて

待ってる人がいる

隠れ待ってる人の事は見つけられない

「音の鳴る方へその手掲げろ君はそこにいる
音の鳴る方へその手掲げろ見つけてみせるよ」

俺たちの音に手を掲げてくれれば見つけるぜ

でも掲げてもらえないと見つけられないぜ

一つも手が見えなくなったら

その時は考えるよな

結局それだけだな


待ってる人がいないなら


たぶんもうやる意味ないや


手を掲げて待っててくれてありがとね


いま立ててるのは


そのおかげ

そのおかげでしかないです


本当にありがとう



応えてえなあああああ



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