何処かの誰かの金メダルより、身近な誰かの活躍の方が感動するよねって話

8月はオリンピックがありましたね。2016年のリオデジャネイロ オリンピックくらいまでは「柔道」競技でメダルを取ると嬉しかった記憶があるのですが、今回は興味が薄れたというか「柔道」競技の活躍に心を動かされる感じが殆どしませんでした。大人になっても物事の見方ってだいぶ変わります。
柔道は今でも好きです。柔道衣に袖を通して組み合って投げて、投げられてって練習すると凄く楽しいです。社会人になってからの方がより楽しいです。頭も柔らかくなって、体のコントロールも効くようになったので今だに新しい発見をします。

話はそれましたが、オリンピック前後に母校の後輩が全国大会で優勝するという嬉しい出来事がありました。

インターハイ(高校生)で優勝した選手は出身柔道場が一緒で、小学生の頃から知っている選手です。彼はいわゆるエリートで小学生の個全国大会(個人戦)2位という立派な成績を残し、中学生の全国大会で1位になっています。
ただ、中学3年〜高校1年に掛けて怪我をしていた期間があり少し心配していました。結果的には不要な心配で、高校2年の今年のインターハイで優勝。これまでは立技(投げ技)主体スタイルの選手だと思っていたのですが、インターハイでは寝技を武器に他を圧倒してました。なかなかクレバーです。そんな後輩を見て先輩はまだまだ頑張らないとなと刺激をもらいました。

もう1人。オリンピックが終わった頃に行われた中学生の全国大会で優勝した選手がいます。彼も同じ柔道場出身なのですが、僕は運良く彼の小学5年後半〜小学校卒業までの期間を指導者として一緒に過ごすことが出来ました。
当時から身体が小学生サイズではなかったので、投げ込み等の練習は僕が率先して受け、試合前のアップも可能な限りサポートしてました。
彼に柔道を教えたつもりはありません。ただ楽しく取り組んで欲しいなと思っていました。稽古中や稽古外で冗談を言ったりして笑える環境を意識してました。
そんな彼のことは幼児の頃から知っていて、小学校の出身も同じという繋がりを特別に感じています。このまま行くと小中高の出身が一緒になります。「それがどうした」って言われればそれまでですが。

そんな彼を小学生の全国大会で勝たせてあげられなかったのが、僕のちょっとした後悔でした。優勝出来ると思って出場した全国大会でしたが、初戦で相手に一瞬の隙をつかれて負けてしまいました。試合後、彼が涙を流す姿に我慢出来ず一緒に泣いたのを覚えています。

8月25日は午前中に仕事がありましたが、ネットで結果速報を何度も更新しながら勝ち上がりを確認していました。そして仕事から帰宅後に準決勝、決勝とドキドキしながら結果を待ち、ついに「優勝」
この瞬間、心の底から感動をしました。はい、泣いてました。

オリンピックの「感動をありがとう」みたいな薄っぺらい感情ではなく、本物の感動です。身近な彼だったからこそ感情移入、つまり「自分ごと」になったんですよね。
感動の質」は舞台の大きさや競技レベルの高さで決まるのではなく、困難さ(難易度)だったり、身近さ具合によって決まってくると思います。もちろん強さや技術の向上のために努力することは重要です。ただ、それ以外の要素があるってことを人生の経験を通じて知っていることが大切だと思うんですよね。
あとオリンピックの金メダルは間違いなく普遍的で、特別な価値を持つと思うし、その頂点にいるアスリートのことは尊敬しています。ただ「物事は見方によって、より感動できる」ってことを知っていることが重要だと思っています。
もちろん、僕にとって身近な彼らがオリンピックに出場するようなことがあれば、僕は間違いなくオリンピックで感動します。

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