生きる目的の大切さ 〜時々後輩たち〜

3月末から4月に掛けて忙しい日が続いていました。ようやく普段の生活リズムを取り戻しつつあります。自分の試合が終わって気の抜けた期間から、もう一度スイッチを入れようとしたタイミングで急に忙しくなり、書くことが後回しになってしまいました。
詳しく書くのは野暮だと個人的に思っているので、何について記しているのか不思議に感じる方は3/24(水)頃のニュースを思い出していただくと話が合致すると思います。

水曜日の午前中は貴重なオフで、普段ならゆっくり過ごして夕方から仕事を頑張るという日常なのですが、この日ばっかりは携帯電話に着信やLINEの通知がたくさん。後輩への返信や関係者との連絡で頭をフル回転させていました。
自分自身はショックや悲しいといった感情よりも、「どうやって後輩たちをまとめるか」に必死でした。正直、「もう関わらなくていいかも」と思っていたのですが、自分を頼って連絡をくれた後輩たちを想うと
「こいつらに俺の私情は関係ないよな」と自分を納得させました。
都合よく頼られているだけなんですけどね。

人との繋がりを実感すると、道場がただ鍛錬するだけの場所ではなくコミュニティとしてしっかり機能している素晴らしい環境だったんだなと改めて感謝しています。
ただし、そろそろまとめ役は限界を感じています。世代幅が広すぎて全員の顔と名前を覚えていられません。
後輩たち同士でなんとかしてくれると自然とフェードアウト出来るのですが、どうなんでしょうか。

後輩以外にも、教え子?に久々に会えたのはとても嬉しかったです。
教え子なんて偉そうに言える人間ではありませんが、この文章の中では伝わるように書かせて下さい。
「僕のこと覚えている?」なんて笑顔で問いかけてくれたことが、すごく嬉しかったです。背丈も一回り大きくなり、逞しくなりましたね。
もちろん覚えていますよ。
保護者方々も相変わらずの様子で、また皆でお酒を飲めたら楽しそうだなと懐かしい気持ちになりました。
今回は場所も場所だったので、次に会うときは色々と話をしたいなと今になって強く感じてしいます。
早く会わないと反抗期になっちゃう。とりあえず今はお互い頑張ろう。

見出しの「生きる目的」って何なのかというと、同じ病気でも生き残る人とそうでない人にはどんな違いがあるのか?って考えたときの私なりの答えです。

私がお世話になった人物でとてつもない生命力を持った人がいるのですが、大病を患っても復活して、今なお元気なのは「生きる目的」がはっきりしているからだと思います。ただ、「目的」なんて優しい言葉よりも「野望」に近いです。野望に付き合わされる側は正直言って辛いので、大人になるまでは恨みにも似たような感情を抱いてました。
しかし不思議なことに大人になればなるほど、この「野望」のブレなさに頭が上がらなくなり、尊敬の感情が湧いてくるのです。
もしかしたら人は満たされてしまうと、生命力が湧いてこないのかもしれません。でも満たされた状態で逝けるのならば、幸せな気もします。
残された者たちの感情は別として。

だから強く生きたければ「生きる目的」を意識して、日々をコツコツ積み重ねようってありきたりな言葉でまとめさせていただきます。

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