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「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」下道基行 インタビュー 1/2 平間貴大

2021年3月20日から6月22日まで、東京都現代美術館企画展示室1Fでは「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」が開催された(緊急事態宣言中の4月25日から5月31日まで休館)。

Tokyo Contemporary Art Award(以下TCAA)は2018年に東京都とトーキョーアーツアンドスペース(以下TOKAS)によって創設された現代美術の賞。中堅アーティストを対象に、受賞者2組に対して海外での活動支援のほか、東京都現代美術館での展覧会およびモノグラフ(日英)の作成など、2年間に渡る継続的な支援が行われる。

本展は第1回となる「TCAA 2019-2021」受賞者の風間サチコ、下道基行による展覧会だ。

今回は展示作家の1人である下道基行へのインタビューを行った。旅やフィールドワークをベースにした制作活動で知られる下道基行は、プロジェクトを通じて、作家以外の人の思考が加わったり、人の手に渡る、あるいは人々の中で使われたりすることで「作品」との境界を越境するようなシリーズを展示する。

──賞を授与され、2年間の継続的な支援の期間が終わります。この支援は作品制作にどのような影響がありましたか?

下道:この賞は中堅作家が選ばれ国外へ紹介されるというもので、もう自分は中堅なんだということを改めて確認させられました。活動をし始めて15年くらいになりますが、僕はそういうことを意識せず活動してきました。いろんなグループ展に参加するようになったのが2010年以降。これまで後ろを振り返らずにどんどん活動してきたので、一度振り返る機会になったというのが一番の影響ですね。これまでは出会った関係者などに対して「はじめまして下道です。こう言う作品を作って……」という感じだったのが、ヴェネツィア・ビエンナーレやこのTCAAへの参加などを経て作品が認知されるようになってきた。様々な応援がなければこうして続けてこられなかったので、中堅と呼ばれるようになれたのは幸運なことだと思います。僕としては淡々と前に進むだけです。
正直な話をいうと、改善して欲しい点もあります。TCAAの支援の受賞後2年間という期間についてですが、中堅作家であれは展示などの予定が大体1年間くらいは埋まっています。受賞翌年度の1年間で海外活動支援があり、その間にどこかに行くというのは難しいんです。そして僕も風間さんも海外に行く予定が、コロナで行けなくなってしまいました。なので2年間の支援というのは長いようでかなり短く、更新すべきところもあると思います。

──下道さんのプロジェクトは何年も掛かっていたり、現在も続いているプロジェクトが多いですね。

下道:今回新しく挑戦をさせてくれる機会を作ってもらったのですが、「早速新作が出来ました!」とはなかなか行かないので、今回は新たな種が植わった感じがします。ここ数年間は子育てもやりたいし制作のペースを落とし目で動いていますが、5年後くらいに花が咲きそうなプロジェクトの下準備の期間でもあります。この機会が元になって3年や5年後に花が咲くかもしれません。

──さまざまなプロジェクトの中から今回展示する内容を決めた理由はありますか?

下道:今回の展示会場の面積は小さくないので、1点だけ新作で見せるという形ではなく、2011年以降のシリーズ/プロジェクト作品群をメインにその中から選ぶかたちで進めました。これまで「戦争のかたち」(2001~2005)、「torii」(2006~2012, 2017~)、「津波石」(2015~)という作家らしい作品を“A面”と呼ぶなら、「沖縄硝子」「14歳と世界と境」などの自立した作品らしい作品になりにくいプロジェクト型は“B面”。同じフィールドワークから“A面”と“B面”が同時に生まれてくることが多いのですが、今回はその両方を色々混ぜ合わせて展示を作りました。今回、“A面”作品としては「津波石」のみですし(別の部屋で「戦争のかたち」の一部を展示)、「ははのふた」や「bridge」など人間の行為のプリミティブな部分を収集するラインは展示していません。だから集大成的に全てを網羅してはいませんが、シリーズ「torii」以降に制作したものを集めたので、自分の作ってきた作品の半分くらいは見せているかもしれません。2012年にMOTアニュアルで出展して以来、シリーズ「torii」はその後5年くらいの間いろんな解釈をされながら様々なグループ展に参加していきました。「torii」が自分の手を離れて別の旅をしていく時期に「津波石」と言う新しい題材に出会いました。「torii」にしても「津波石」にしても僕の中では“A面”的な作品として成長して手を離れた。逆に「14歳と世界と境」や「沖縄硝子」に関してはそんな着地はまったく考えていないし、ライフワークに近い状態で、土地や人との関係性の中でコロコロと転がり続けています。そういう様々な作品のあり方をゆるく繋げるために、今回の展示では全体の照明を暗くして壁をなくしてスポット照明で島を作ってそこを回遊できるようにするという空間コンセプトにしました。今回のTCAAはキュレーターがいないので作家に全てが任されているんです。それは悪い面もありますが、面白いことも起こったと思います。

──会場内に点在するように展示してあるのは、現在拠点にしている瀬戸内の島々や海のイメージとのつながりでしょうか。

下道:意識していませんでしたが、確かに瀬戸内っぽいですね。壁を作って導線を作りたくないなと思っていたのと、大きな作品がないので天高があまり意味がないので、ライティングを低い位置にして光の島を作って空間内を回遊できるような空間を目指しました。導線が好きなんですよね。風景や建造物などを撮影するときもそうなんです。例えば「戦争のかたち」のプロセスで、ある集落を歩いていて目的の建造物を探していると、ある路地から巨大なそれがニュッと顔を出すときの驚き、出会う導線。だから風景を撮影する時も、自分で展示空間を作る時も、作品そのものだけではなく移動しながらそれらと出会う導線の方にも興味があり、それは展覧会を作る時にこだわる部分だし面白さもあります。

──TCAAのもう1人の受賞者である風間サチコさんとは作風も会場の設計も異なっています。風間さんの空間との境にこだわったという話を聞きましたが。

下道:今回、照明の方には「細かいなぁ下道……」と思われているでしょうね(笑)。風間さんとの展示場所の境には遮光する幕があるわけではないので、僕の暗い空間から風間さんの明るい空間へうまく空間が切り替わるようなグラデーションを作りたくて、試行錯誤しました。最終的には遮光シートなどを使わずに二つの空間が変化していくようにできたと思います。空間内に複数の作家を入れてキュレーションがきっちりと入ったグループ展の場合であれば、光や音の問題をどうしてもクリアできなかったり諦めないといけない場合も多くあります。今回、二人で話し合いながら作れたからできた部分はあったのかもしれません。

──入口に入ってみると、ライティングが届いていない空間に額縁に入ったポスターが数枚床置きで展示されている。重なって置いてあり、奥のものは見えません。

下道:それらは、コロナ禍の中で制作中の新作《瀬戸内「   」資料館》(公益財団法人  福武財団蔵)への導入です。会場に入って最初にお客さんに見てもらうスペースをこの作品にしたかったので、ちょっと足を止めるためにあそこに置きました。


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《瀬戸内「   」資料館》公益財団法人 福武財団蔵 展示風景


《瀬戸内「   」資料館》は、現在下道が拠点としている香川県直島で行っているプロジェクトだ。写真家/美術家である彼が瀬戸内の資料を収集しながら展覧会を作り、そのプロセスを開示しながら「見える収蔵庫」として図書館/資料館を形成している。


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《瀬戸内「   」資料館》公益財団法人 福武財団蔵 展示風景


──《瀬戸内「   」資料館》は物よりも人がフォーカスされている感じがします。入り口から資料館の方を見て最初に目に入るのが直島のカフェ「シナモン」のお弁当のメニューとお客さんへのメッセージなどが書かれた段ボールです。畳の上に置いてあるのも面白いですが、これは毎日保存していたのですか?

下道:はい、カフェの協力の元。観光地である直島の近所のカフェ「シナモン」が、コロナ禍になり弁当をはじめたんです。毎日店頭に出す日替わり弁当の手書きの看板を収集しています。資料館では過去の記録物とともに、今の島の物も収集したいと考えています。
これまでの僕の作品は風景に潜んでいる歴史や人々の生活に興味を持って僕が写真を撮り集める感じでしたが、資料館はこの地域ですでに様々な記録をしてきた人たちや物に光を当てています。コロナが今後どうなるのかわかりませんが「あの頃お弁当屋さんがあったね」とか「コロナ以来お弁当屋が島に何軒かできたんだよ」とか、現在の日々を振り返るための材料になるんだろうなと思って店長にお願いして保存してもらっています。この看板自体がアウトサイダーアート作品というつもりではなく、島のアーカイブを作って資料館や図書館のような収蔵庫を作ってみようという試みです。


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《瀬戸内「   」資料館》公益財団法人 福武財団蔵 展示風景


──本棚にある資料にはリサーチや制作について

「数ヶ月のリサーチで」→「数年以上のリサーチで」
「地元の記憶をテーマに」→「記憶などに簡単には手を出さない」
「フィクション・跳躍を交え」→「フィクションには逃げず」
「作品を制作する」→「作品を制作しない…」島にアーカイブを作る

と、リサーチの長期化についてや、資料館についてのメモが残されてます。美術作家の主体的なアプローチというより、作品制作から土地のリサーチそのものに近づいていき、そこにある物や資料が主役になっていくような印象を受けました。このような制作方法は、写真家としての下道さんの活動との関わりはありますか?

下道:写真家というのは元々は観察家だったのではないかと思います。自分の中と向き合い何かを生み出すのではなく、既に存在する世界から何かを選び出す。僕自身は作家でありながら、自分の中で生み出された創作物や、質問にあるような「美術作家の主体的なアプローチ」にそんなに興味がないのかもしれません。僕の制作はある風景と出会って「この風景すごいな、見たこともないし感じたこともない」というところから始まって、その面白さってなんだろうということをカメラを手に探っていって歴史やいろんなものと出会って新しい角度から何かが見えてくるというものなので、リサーチしたものをネタにフィクションを描くというものではないんです。だから、僕の作品はある意味“そのまんま”なので、「どれが作家の作品なんだ」という疑問も生まれて来るかもしれません。僕的にはその出会った人や風景が持っているものを引き出したいと思っています。
誰もがスマホで写真を撮ってすぐにSNSにアップする時代、ある意味で全ての人が日常観察者で表現者にもなりえる。そんな時代に、僕は(自虐的に言うと)“古風な写真家”のような、対象物と向き合い世界を切り取ることに専門性を感じているし、やはり興味があるのかもしれません。


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《瀬戸内「   」資料館》公益財団法人 福武財団蔵 展示風景


──《瀬戸内「   」資料館》では田中春樹さん新聞スクラップアーカイブ展が印象的でした。この作品に出会うきっかけは?

下道:僕が発見したわけではなくて、資料館を主催する福武財団に以前寄付された物なんです。倉庫に置かれていたこれらのファイルをスタッフの一人が「面白いものがありますよ」と見せてくれたことから興味を持ち始めました。資料館での展示で発表したところ、島民にすごく人気でした。
その時、思い出したのは、高校生の頃に観た映画『スモーク』のワンシーン。それはある街角のたばこ屋さんが舞台の話で、主人公がフィルムカメラを手に入れて毎日自分の店を撮るのを何年も日課にしているんです。雨の日も晴れの日も曇りの日も、淡々と同じ店の前の風景を同じ時間に撮る。ある日タバコ屋のある常連がその写真のアルバムを見て、そこに亡くなった妻が写り込んでいて……という話なのですが、僕はそういうものがアーカイブの面白さだと思うんです。田中さんは毎日毎日、新聞から地元「直島」に関する記事を40年近く切り抜き貼り付けてきた。良い記事も悪い記事も関係なく収集し続けてきました。資料館の展示の時に地元の人がそれを見ながらいろんなものを発見して話していました。見せたいものを集めるのではなく、徹底的に集めたものの中からいろんなものを見つけ出せる状況を資料館として作ってみたいと思っています。カフェ“シナモン”にしても田中さんにしてもそれ自体が表現物やアートだということではなく、その日々の淡々と積み重ねられた記録物として面白さがあります。映画というよりは原作のポール・オースターの影響もあるのかもしれません。

──見る人によって様々な記憶を呼び起こしたり、生き生きとした記憶として蘇る過程はアーカイブの力を感じますね。

下道:今は情報は溢れているんですが、自分で検索ワードを持っていないと意味がない。フラフラしながら出会えない。すごい膨大な収蔵庫があるのに、鍵がないから入れないような状態です。与えられる情報に埋もれてしまうし、偶然の情報との出会いも昔よりも貧しいかもしれない。僕が作る島の収蔵庫は中に入って彷徨って適当に手に取ったり偶然の発見ができるような存在にしたいです。

2/2へつづく

「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」下道基行 インタビュー 1/2
「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」下道基行 インタビュー 2/2

レビューとレポート第28号(2021年9月)

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