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「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」下道基行 インタビュー 2/2 平間貴大


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「14歳と世界と境」展示風景

このプロジェクトは、14歳(中学2年生)の子どもたちに「身の回りの境界線を探す」という特別授業を行い、彼らの発見した境界線の話をその地元の新聞に掲載するものである。(作家websiteより)


──「14歳と世界と境」ではまずワークショップという場がありそこで作られたものが新聞に掲載されて、最終的には本になるという段階が踏まれています。本は販売はせずに回し読みという方法をとっていますね。

下道:この作品でまずやってみたかったのは、中学校での美術の特別授業です。それを同じクラスに2回行うのですが、それは美術の授業の中で起こるワークショップでありライブです。生徒たちの反応もダイレクトに返ってくるし、本当に楽しいです。生徒たちからすると変なアーティストが突然やってきて、絵も描かせずに「日常観察をやってみよう」といわれて、日常を観察して提出したら、地元新聞に掲載されるという妙な体験だと思いますが、心に残って欲しいなぁと思って、毎回大切に授業を作っています。この授業で生徒に体験してほしいところは、自分自身の日常を角度を変えて観察すること。上手に何かをする技術力とかコツではなく、自分の日常から自分で何かを見つけること。目の前の風景は自分にしか見えていないし、見方を変えると宝の山です。僕はそのテーマを用意したに過ぎません。


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下道:「観察」の他に、もう一つ「アウトプット」することも生徒と一緒に挑戦します。普通の美術の授業は何かをつくるけど教室の後ろに貼ったり持って帰ったりするだけかもしれませんが、クリエイティブな行為の楽しさって自分の手を離れて誰かの手に渡ったときに起こるものだと思うんです。社会のクリエイティブな仕事(仕事のクリエイティブさ)は、自分の日常の些細な疑問や物語から始まることが多い。生徒の何人かがこの体験からクリエイティブな仕事(仕事のクリエイティブさ)へ興味を深めてくれたら嬉しいですね。

「14歳と世界と境」は、変な構造を持っています。生徒たちにとっては「ワークショップ」であり、新聞読者には「連載」であり、美術館の来館者にとっては「プロジェクト作品」として映るように、時間によってプロジェクトの“役割”が変化します。つまり、まず、中学校を舞台に生徒たちが体験するのは、アーティストが美術の授業にやってきて、自分の仕事のことや日常を観察する方法を聞いて、自分でも日常の観察を行って、その文章が地元新聞に連載として載るという出来事。次に、僕は新聞社の方と協働して連載を作りますが、その新聞を舞台に人々が体験するのは、その地域で新聞を購入して読むと毎日の様々な記事の中で、中学生が書いた文章と出会う出来事。さらにその先に、美術館でこのプロジェクトを見る人は、すでに国内外様々な場所の新聞で連載された新聞紙(に連載の部分だけ作家が赤鉛筆で囲んだもの)が額装されて並んでいるのを鑑賞することになる。もう一つ「旅をする本」として出会う人もいる。で、僕は、ワークショップという中学校でのライブ体験を作ることと、その成果を別の形で社会の中にぶつける場所を作り発表すること、さらに新聞紙面のアーカイブという形で美術館に持ち込む、という全体のプロジェクトを設計して形にします。
プロジェクトは中学校や生徒や新聞社の協力によって成り立っているし、下手すると作家作品への搾取構造になるかもしれないので注意しています。そうならないように「ワークショップ」「連載」「プロジェクト作品」というプロセスを同等の力で行ない、それぞれがその場で成立するように心がけています。多分、「プロジェクト作品」にすることだけに力を入れると搾取の構造が生まれると思います。
ただ、中学校での「ワークショップ」や、新聞での「連載」というのは、その日のライブだと思っているので、「プロジェクト作品」として展示する場合にそのライブ感は失われますが、それをあまり再提示しないようにもしています。ライブはもう体験できないし、プロセスを説明しすぎるのは好きではないので、なるべく「作品」としてはシンプルに別の価値として存在させたいというか。

──生徒の「境界線」の文章が日常の大きなニュースと同じ面に並ぶのが面白いですね。

下道:新聞で社会的なニュースと同じ紙面で生徒の文章が同居する状態自体が、それこそが僕が目指す「プロジェクト作品」としての肝です。新聞社の方と交渉して、なるべくニュース欄の近くに無料で掲載してほしいんですが、いろんな都合で文化面に載ることになってしまうこともありますし、それは仕方ないことです。ただ、2018年の韓国光州ビエンナーレの時、連載が光州日報の一面に掲載されることになり、日々の歴史的な事件と生徒たちの小さな日常が一緒の面に載ったことで、ようやく「プロジェクト作品」として成立するところまで持って行けたかなぁと思いました。


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「14歳と世界と境」展示風景


──境界線というのがこんなにいろんな考え方ができるんだという発見もありました。質問の仕方はどのような工夫がされていたのでしょうか。

下道:質問の仕方や例題の出し方を間違えると、生徒たちは“正解”を探してしまう。生徒たちは、大人が隠した“正解”探しを日々鍛えられていますから。笑  でもそんなものはこの授業に存在しないので、「あなたの観ている世界はあなたにしか見えていない。だからそれを見せて欲しい」とまず話して、さらに質問の仕方を抽象的にするとその生徒だけの見方がでてきたりします。「下道の言っている境界線とは何なんだろう?」とよくわからないまま手探りで提出されたものの中に奇跡的な文章が隠れている。だいたいいつもは目立たない子や内向きの子が面白いものを書いてきてくれたりしますね。先生も驚くことがあります。大切なのは文章力とか技術ではなく、自分だけが見つけた風景であること、それだけで妙な力があります。みんなの正解ではなく、その子だけが見つけられるものがあって、それを見つけたり発表する面白さを体験する。

──このプロジェクトはどのように始まったのでしょうか?

下道:きっかけは2012年の「水と土の芸術祭」に参加したときに、新潟という土地の境界線、海の向こう側の世界を考えた作品を作ろうと思って地元の人にインタビューをしていた時です。中学生にもインタビューをしようと思って授業をする機会をもらったのですが、中学校や中学生と初めて身近に出会い、強烈な閉塞感と面白さや可能性を感じました。
「水と土の芸術祭」では別の作品として完成したのですが、次の年に参加したあいちトリエンナーレでその体験をさらに発展させて、「14歳と世界と境」の形になりました。その翌年に台湾の芸術祭でその延長を試行錯誤して失敗に終わりますが、その後、沖縄や韓国や香港、マレーシア、フランスと、継続しながらもう10年近く機会があるたびに続けています。来年は北欧で行う予定です。
僕自身、大学で教員免許を取ったけど実際に教員という道には進みませんでした。でも、心のどこかで生徒や教育と関わってみたい気持ちがあって、その形が変化してこのプロジェクトになっているのかもしれません。
あとは、シリーズ「torii」で自国や隣国の人々に深く根を張るその国の歴史教育の問題や疑問とか、前作からの色々な影響がこのプロジェクトにつながっていると思います。


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「漂白之碑」展示風景より「沖縄硝子」


「沖縄硝子」は、沖縄の島々の浜辺に様々な国から漂着するガラス瓶を拾い集め、砕いて溶かしたものを琉球ガラス職人と形にし、再生ガラスの食器を制作するプロジェクト。(作家websiteより)


──「沖縄硝子」について「作品になりえるかどうか」という話がありましたが、多様な文化の中で生まれたガラスが混ざり合って一つの瓶ができ上がっていることが印象的でした。

下道:割れやすいんです。展示してあるもので既に一つヒビが入っているものがあります。ガラスが不安定なものになっていて、その状態が面白い。このプロジェクトの根本には、現代美術と工芸の境界に興味があって、さらにアウトプットが美術ではなくて工芸寄りにならないかなぁという思いがあって作っています。琉球ガラスは戦後の占領下に進駐軍たちが飲んでいたコーラの瓶などを職人が拾い集めて再生してガラス工芸品を作り、米兵が帰国する時に売りさばいていたという話があって、その行為自体がアートだと思いますし沖縄の人々の力強さを感じました。ただ、今は米兵ではなく、観光客が買って帰る工芸になっていて、琉球ガラスの歴史へのリスペクトを持ちながら、また現代的なリサイクルシステムを作りながら、地域の歴史や素材と結びつく“新しい民芸”のような存在を美術家/写真家なりに提案してみたいなぁと思って作っています。


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「津波石」展示風景


「津波石」は2015年から続けられているプロジェクトで、津波により海底から陸へ運ばれた岩をモノクロ動画で記録している。2019年のヴェネツィア・ビエンナーレでも展示されたこの作品は、これまで400年から500年に一度のペースで津波が襲来したという歴史のある沖縄の八重山及び宮古諸島で撮影されている。


──下道さんの制作では、被写体を発見した瞬間が衝撃的な場面だと思うのですが、作品への落とし所はどのように探っているのでしょうか。

下道:「写真や動画にせずガイドツアーでもいいのではないか?」ということをこれまで考えてきました。最初のシリーズ「戦争のかたち」は戦争遺跡のガイドブック付きですし、「Re-Fort Project」「見えない風景」というシリーズはまさに風景を写真で再提示しないことやその場所に連れていくことを目指した作品です。僕の見つけた「対象物を一緒に見に行く」という、ガイドのような導線作りでも作品として成立すると思うんです。でも、それでは表現できない対象もあってそれが写真や動画による作品かもしれません。「津波石」の場合、現地に連れて行っても実際にあの映像のようには見えません。フレーミングと収集、そして音と色を消していることなどによって、僕が感じている「時間の感覚」や「風景の関係性」や様々なものをぎゅーっと圧縮しようとしています。
落とし所はその作品によって様々ですが、例えば、この「津波石」の場合、僕が人々を現場に連れて行ってガイドすること以上に、撮影し制作した作品が空間に展示されて僕なしで人々が見た方がより豊かな体験になるのであれば、僕が作品にする必然はあると感じます。もちろん、本物の津波石はとても大きくて力強い存在感をも持っていて、それはどうしても写真や映像には写りません。だから、常にその風景の対象を実際に見ることをお勧めしますが、現地でガイドする以上に、僕のフィルターを通して発見した何かがもっとも豊かに伝わる方法を探して成立した時点が落とし所かもしれません。僕の作品でその対象に興味を持って、実際に観にいくのが、一番のオススメかもしれませんね。


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「新しい石器」展示風景

──「新しい石器」は写真集に付録として石を挟み込んだものが、本体よりも付録が大きいのが特徴的ですね。山下陽光さんとの活動「新しい骨董」とタイトルが似ていますが、つながりはありますか?

下道:もちろんです。笑 新しい骨董をやってて楽しいところはコレクティブの良さだと思いますが、自分が考えている落とし所から変化していって最終的に自分一人では作れないようなものになっていく所が面白いですね。僕は個人で作品を作っていながら、それをぶっ壊してくれる機会も常に探していて、「新しい骨董」はそういう機会になっていると思います。陽光君はカリスマみたいな人で、こっちが思っていることじゃないことを提案してくれる。
これまでグループで作品制作してきたのは「新しい骨董」だけではなく、「Re-Fort Project(中崎透など)」や「旅するリサーチラボラトリー(mamoru、丸山晶崇、芦部玲奈)」や「宇宙の卵(安野太郎、石倉敏明、能作文徳、服部浩之)」など、こういう活動があるから、自分一人の世界に埋もれずに、自分を変化していけているのだと思います。
「新しい骨董」では海や路上で拾ったゴミを100円で売ることを続けていますが、陽光君の影響としては、作品の値段や売ることの滑稽さに気がついたことかもしれない。僕がギャラリーにも所属していないのも影響しているのかもしれないけど。美術作品ではない値段や数(エディション)や売る場所に挑戦しているのが、「新しい石器」や「沖縄硝子」や「14歳と世界と境」でもある。「新しい石器」は本であり出版物の価格設定、「沖縄硝子」は食器であり工芸の価格設定(を目指している)、「14歳と世界と境」はその日の朝刊としては数百円でコンビニで買えますが、僕が赤鉛筆で線を描いたものは作品となり、値段がつくみたいに。石の挟まれた本「新しい石器」は実際に本屋に並ぶことを目指して作っていましたし、「沖縄硝子」は沖縄の工芸の店や浜辺に店を仮設して販売してみたいと思っていましたし、「14歳と世界と境」はその日の朝刊としては数百円でコンビニで買えます。
もちろん、写真や映像の作品は美術作品の値段設定になっています。“B面”のシリーズはそういう美術以外の世界に接続しながら流通することも考えていて、値段や数(エディション)や発表場所や流通などを遊ぶ感覚には「新しい骨董」の影響はあるのかもしれません。


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「戦争のかたち」展示風景

──展覧会の一番最後の部屋には「戦争のかたち」が展示してあります。初めて作家として展示をしたというこの作品を改めて見ていかがしょうか。

下道:“標本みたい”になったなと思いました。
当時、記憶色に染まり忘れ去られていた遺構を、どれだけ普通に薄っぺらく特別感がないように撮影するかを試行錯誤しました。そんななかで、アトリエ・ワン『メイド・イン・トーキョー』と都築響一『TOKYO STYLE』、ポール・ヴィリリオ『トーチカの考古学』、この3冊の本に影響を受けた。根底には前の時代への疑問や作品らしい作品への抵抗というのがあったように思いますが。


──日常のスナップ写真的に撮るという感じでしょうか。

下道:いやそういう日常スナップとも違うんです。歴史的でモニュメンタルなものを、モノクロの時代から今の薄っぺらい日常に引きずりあげてカラーにしてやろうと当時は考えていました。今回、その作品が“モニュメンタル”に見えました。

展示空間の最後の部屋をどうするかミーティングが行われました。そこで風間さんと一緒にシェアして展示をしたらどうかというアイディアがあって、何をしたら面白いんだろうという話になり、じゃあ初めての作品を展示してみようとなりました。
最初に作った作品を並べてみると、デビュー作らしいカオスで荒々しさがあって、だけどその人の一番大事なものが出るような感じがして、とても良かったと思います。表現方法は違いますが。
風間さんの作品は新聞広告の建て売り住宅をおどろおどろしい感じの白黒の版画で表現していて、僕の方はモノクロ的な記憶を薄っぺらいカラーで明るいところに引きずり出したいと思ってつくったので、反対の手法を反対の方法でやっているように感じました。背景には近代国家や近代のゆがみや高度経済成長の問題があって、その上で日常にある薄っぺらいものの裏にあるものをどう表現するのかというのをやっているんじゃないかなと思って面白かったです。


──赤瀬川原平のトマソンや路上観察学会からの影響はありますか?

下道:そうですね。大学時代に民俗学や路上観察、トマソンや考現学にハマっていきました。美大で学ぶべき基本的な現代美術家になるためのトレーニングそっちのけで、どんどんそっちの方に傾倒して勝手に旅をしながら作品を作り始め、出版社に話を持ちかけて出来上がったのがシリーズ「戦争のかたち」だったかもしれません。いろんな影響がごちゃ混ぜですが。
赤瀬川さんは一つの作品の内容に影響を受けたというより、美術家や活動家であり、美学校の先生として教育の場で考現学を掘り起こしたり、宮武外骨や千利休などの独自の視点での発掘や、文筆家としての活躍、「ハイレッドセンター」「路上観察学会」などコレクティブの一員など、肩書きを横断しながら表現を続けていく姿勢に強い共感を持っています。
ただ、コレクティブ「新しい骨董」や「Re-Fort Project」の中では、山下陽光や中崎透が赤瀬川ポジションであり継承者であり、僕は林丈二さんのポジションだと思っています。


──シリーズ作品の終わりを決めるのはどういうタイミングで訪れるんでしょうか。

下道:「これで自分の作品になったな」という瞬間が訪れた時です。自分がやる必然性があったなと感じられるかどうか。「この対象なら僕じゃなくてあの作家がやればいいじゃん」みたいなものではなく、自分だからこれができたんだと思えるかが重要です。


──下道さんのWebサイトは非常に充実していて、作品の作り方や解説も詳細に書かれていますね。

下道:作品が完成して発表するたびに更新しています。作品がライフワーク化していっているので、少しずつ庭いじりのようにWebにも手を入れています。

──最後に展覧会について一言お願いします。

下道:この機会を与えてもらえて嬉しく思いますし、自分なりの試行錯誤をしました。風間さんが「昔の自分に負けられないという気持ちが常にあります」とインタビューで答えていましたが僕もそう思っています。常に新しい自分に挑戦しながら変化していきたい。まぁ、今回デビュー作で再確認しましたが、なかなか変われないんですが。


開催概要(終了しました)
会期:2021年3月20日(土・祝)~6月20日(日) ~6月22日(火)
※4月25日(日)〜5月31日(月)は臨時休館。
6月1日(火)より再開し、6月22日(火)まで会期を延長。
休館日:月曜日(5月3日は開館)、5月6日 
※再開後は会期中無休
開館時間:10:00-18:00
会場:東京都現代美術館 企画展示室1F (東京都江東区三好4-1-1)
入場料:無料 ※6月1日(火)より、完全予約制。



「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」下道基行 インタビュー 1/2
「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」下道基行 インタビュー 2/2

レビューとレポート第28号(2021年9月)

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