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母が教えてくれた事

※阪神淡路大震災の時の話なので、苦手な方はブラウザバック推奨します。






23年前の、あの日。

いつも通り寝ていた私は、突然の揺れに飛び起きた。

揺れの具合が尋常じゃなかった。どんっと縦揺れがやってきて、電気と電気の紐の揺れと、天井がぐわんぐわんと信じられない動きをしているのをずっと見ていた。一緒に寝ていた妹も母も、一緒に布団に入って揺れが収まるのを待つしかなかった。

揺れは中々収まらなかった。ずっとこのまま揺れ続けるのでは・・・と思うぐらいの時間、ガタガタグラグラと、家が、部屋が揺れていた。

どれぐらいの時間がたっただろうか、長かった。スッと揺れが収まったというよりかは、少し名残惜しそうな引き方だった。自分に揺れの感覚が残っていて、そう感じただけかもしれないけど。

そのまま起きると、食器棚の食器や、本や、漫画が散乱していた。母は「まだ寝ていていいよ」と言ってくれたので、いつも通り7時まで寝る事にした。寝れるわけがないけど、片付けが嫌だったので、甘えた。

起きる時間ちょっと前だっただろうか、母が

「まさみ、まさみ!!!!起きて!!!!」と母が血相を変えて起こしに来た。

「まだ寝れるやん・・・」と返事をする。

「神戸が、大変な事になってるねん‼早くテレビ見て!」

と言われた。大きい地震はこれまでに経験した事がなかったので、意味が分からなかった。地震での被害を見たのは、社会の教科書の「関東大震災」の白黒の写真しかなかった。だからすぐには理解が出来なかった。

「ほら・・・」

と、母がなんともいえない顔をして、大きいブラウン管のテレビを私に見せた。

阪神高速道路が、木の枝を無理やり折ったみたいにささくれて崩れていた。

そして赤く黒く街が燃えていた。戦争が起きたのかと思った。戦争のビデオで空襲の様子を何度も見た事あるけど、それと様相は一緒だった。

「たぶん、朝早い時間やったから、ストーブで燃えたんちゃうか・・・」

と、青ざめながら言う母。

「大阪は?大阪は?どうなってんの?」

家にある、石油ストーブを見ながら、ウチもそうなっていたかもしれない・・・と思った。

「ウチは7階やから、結構揺れたけど、大阪は震度5やったみたいやで」

あれで、あの揺れで震度5。今まで震度5というのは体験した事がなかったけど、震度3ぐらいの地震なら普通にあるレベルだ、という事は知っていたので、震度5でも相当揺れるんだな、と思った。兵庫県は、神戸は、どうなんだろう・・・地図を頭の中で思い出しながら、大阪と兵庫の距離をなんとなく考えて、地震の揺れを想像する。テレビに映し出される、ビルも道路も、街も家も、普通ではなかった。相当な揺れだったという事は当時小学6年生だった私にも想像できた。


「学校はあるやんな?」

「たぶん大阪は大丈夫やからあるやろ。」

家の黒電話が鳴った。心配して遠い場所に住んでいる親戚がかけてきたんだろう、と思った。

多分、お母さんのお姉さんの博多の方からだろう。それかお父さんの沖縄のお兄さんか。

学校は通常通りあった。今の時代ならたぶん、小学校は休校になると思う。それぐらいひどい揺れだった。学校ではみんな地震の話ばかりしていた。不安がっている子もいたし、調子に乗って「怖くない」と言っている男子もいた。

先生が、兵庫で大きな地震があった。みんなの親戚の人は兵庫にいるか?とか、ボランティアに行くかもしれない、とか、そういった話をした。

家に帰ると、母はリュックに避難グッズのような物を用意していた。見慣れない光景だったので「もしかして、ついに母だけ家を出るのでは?」と思った。

「どうしたんよ?」

「また地震がおきるかもわからんから、避難できるように、必要なもんを用意してんねん。これから、当分の間、着替えと靴を枕元に用意しておくんやで。懐中電灯も枕元に置いておこう。」

と言った。

「靴は?いるん?」

「家の中が硝子だらけになったら、歩いた時怪我するやろ?だから靴は玄関に置いといたらあかん。」

「わかった、後は、エレベーターは使われへんから、階段やんな?」

母はちょっと考えてから返事した。

「そうやな、もしばらばらになってしまったらあかんから、落ち合う場所を決めておこう、小学校の体育館やで、もし学校に行っている時に地震が起きたら、私は小学校に行くからな。」

「わかった、妹と待ってる、お父さんは?」

「大丈夫、お父さんも学校に行くから。」

母は、もし何かあった時のための、準備と私が何をしたらいいかを全部説明してくれた。妹と一緒におらなあかんよ、という事も。

それから、ニュースばかり見ていた。これからどうなるんだろうと、気が気じゃなかったし、もし自分の家が無くなって、お母さんもお父さんも死んでしまったらどうしようと思った。そういう人がたくさんいる、という事が今現在進行形でテレビを通じてわかるので、居ても立ってもいられない気持ちになる。

でも、一か月ぐらいすると、避難生活を送っている方々の様子が報道されるぐらいで、だんだんと震災の記憶は私の中で薄れていった。

もし地震が起きたらどうするか、という事、避難グッズや靴の準備をしておく、という事は母から教わった。今現在、私もできる限りの準備はしているけど、十分とは言えない。震災の記憶が、蘇るたびに思う。娘にもきちんと伝えておこうと、小学校の体育館で待っていてね、必ず行くから、と。


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