両足を失った鳥は、木に止まれず飛び続けるしかなかった
<バーアテンダント10>
エルビスを知らない世代に、この映画は、たいくつだ。
腰をくねらせて歌う若者が、不幸になるストーリーにお金は払わない。
でも、彼の存在を少しでも知っている人は、引きこまれる。
エルビス・プレスリーは、泣ける。
エルビス少年は、メンフィスの貧民街で育った。
黒人の多い街の唯一の楽しみは、音楽だった。
悲しみをまぎらすように、みんな音楽に没頭していた。
アドレナリンが全身を駆けるゴスペル歌手に圧倒され、
怒りを悲哀の沼に沈めるブルース歌手に身体がふるえた。
床に落ちていたピザの端を食べるときは最低の気分でも、
ブラック・アーティストのように歌うと、最高の気分になれた。
腰を振りながら歌っていると、エルビスではなく”ペルビス(骨盤)"と、いつの間にか呼ばれるようになった。
セクシーでなにが悪い。観衆が歓声をあげている。
ボブ・ディランが反戦歌を歌って、卵をぶつけられていたように、エルビスは観衆を絶叫させて、国辱、風紀を乱すと政治家や警察から非難された。
黒人のように全身を使って歌う、これしかできない。母親さえ許してくれているのに、どうして迫害されるのか。
腰の動きが怪しいというなら、ジェイムス・ブラウン,リトル・リチャード、チャック・ベリーなど、黒人の先輩はたくさんいる。まず、彼らの腰の動きを取り締まるべきだった。
白人社会の大人たちが、なによりも許せなかったは、
”黒人の真似”をした白人だった。
この問題の深刻さを理解するには、社会背景をみる必要がある。
1960年代前半に公民権法が成立するまで、白人は、元奴隷の黒人を公然と差別し、白人社会から排除すべきという”ジム・クロウ法”が存在していた。
当時は、白人の店で買い物をしたとき、黒人がお金を払うために差し出した指が、白人の手にわずかでも触れると、黒人は袋叩きにあった。教会の聖歌隊で学んだ美しい白人アクセントの歌手ナットキングコールも、殴られて腫れた顔でステージに立っていたこともあった。
殺人予告とか誘拐脅迫の手紙が、公演先にひんぱんに送られ、エルビスは、FBIの要・警護人物になっていた。万が一に備えて、彼のベルトには、小銃が仕込まれていた。
ボディガードが必要だったエルビスは、メンフィス時代のスラム街の友達を雇った。そのころには、彼らは立派なマフィアに成長していた。公演会場に乱入した男たちを袋叩きにし、つねに暴動が起きた。
エルビスの地方公演先のカトリックの神父たちが、「社会不安をかき立てる」とFBIに訴えた。1950年代、エルビスは白人社会の敵だった。
デビュー当時からのマネジャー、トム・パーカーは、難局にどう対応していたのか。
”大佐”と呼ばれ、大物ぶっていたが、世の中の動きに迎合するだけの情けない、そして計算高いくせ者だった(映画では、トム・ハンクスが好演)。
契約書など見ないでサインするエルビスをいいことに、”トム・パーカー死後も、エルビスの公演収入の50%を彼に支払う”ことになっていたと、妻のプリシラは嘆いた。
夫の死後は莫大な遺産ではなく、借金を背負わされると恐れた妻は、後日離婚を申し出ることになる。
世の中を鎮めるために、パーカーの浅知恵で、エルビスに燕尾服を着せ、RCAビクターの犬の置物の前で、歌わせたこともあった。
「彼の撮影は、上半身のみ。でないと、スポンサーが飛ぶ」と言われ、TVショウの司会者エド・サリバンは、彼にタイトなジャケットを着せて動きを抑えた。
パーカーには手にあまる存在になったエルビスを、軍隊に入れるべく、州に働きかけた。目ざわりな男は、すんなり入隊。ドイツの米軍駐留地に厄介払いされた。
除隊後、エルビスのリベンジ・ツアーが始まった。もう、誰にも止められなかった。
公演先のトラブルを避けるため、パーカーは、エルビスを映画界に進出させた。ジェームス・ディーンになりたかったエルビスは、二つ返事で引き受けた。
2本ほどシリアスな映画を撮ったが、集客できず失敗。彼には悲しみや涙は似合わないと、歌って踊って恋する映画になった。27本のお気楽な映画では、劇場に客を呼べず、酷評され終わった。ギャンブル好きのパーカーの賭け金に、役立っただけだった。
映画熱が去ったエルビスには、まだ見ない”海外で公演したい”という夢が生まれた。しかし、パーカーには秘密があった。彼はオランダから違法入国し、アメリカを出国すると2度と戻れないことはわかっていた。
ドイツや日本からエルビスの公演への申し出があったが、パーカーは無視していた。
エルビスは”両足を失った鳥は、木にも止まれず、ただ飛び続けるだけ”と嘆いた。パーカーをクビにしようとするが、膨大な損額金を訴えられ、撤回する。
パーカーが、ラスベガスの新しいホテルの”プレスリー・ショウ”の5年契約を結んでくる。年2ヶ月の出演だが、ホテルに閉じ込められた生活が、彼の健康を奪っていった。取り巻きのメンフィス・マフィアが、心臓肥大と糖尿病の不健康な彼を薬漬けにしていった。
パーカーは、見舞いにも来なかった。
ほろ酔いの中高年夫婦が聴衆のラスベガスのホテルでは、ロックンロールは影をひそめ、プレスリーが嫌いだったフランク・シナトラの甘いだけのアメリカン・テイストでごまかしていた。
ディナーショーのフィナーレは、いつも"Unchained Melody"だった。
音楽が楽しかったメンフィスの少年時代を思い返しながら、歌ったのだろうか。
♪河はひっそり流れ
海に向かう
大きく広げた手の中に
帰っていく
孤独な河はため息をつき
待っていて
待っていて
家に帰るよ
待っていて♪
<映画好きのためのトリビア>
⭐️トム・ハンクスは、「エルビスはみんな知っているから、エルビスにどれだけ似ているかの演技をしなければならないので、難しかっただろう。でも、マネージャー役のトム・パーカーは誰も知らないから、とても自由にできた」と言った
⭐️「トム・パーカーをまったく知らなかったので、研究した。エルビスの元妻のプリシラ・プレスリーに直接話すことができた。当然、悪人の悪口をたくさん聞けると思っていたら、『彼は、私たちにとても尽くしてくれた。もっと、生きていてくれたらいいのにと思う』と意外な答えが返ってきた」。この発言は先入観を捨てるいいヒントになった
⭐️「悪人トム・パーカーを演じるのではなく、シェークスピア劇の人物のように、”悪人らしくない悪人”を演じるべきだと思った」と、トム・ハンクスが言っている
⭐️トム・パーカーの逸話に、エルビスが42才、1977年に死去したその日その瞬間、RCAビクターに「エルビスのCDをたくさんつくった方がいい。きっと売れるから」と電話したということから、どんなことがあっても、マネジャーとしての役割を果たしていたのがわかる
⭐️トム・パーカーは、87才、1997年、理解する友人もなく独り寂しく亡くなった
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