夫婦から友だちになれるなんて、きれいごとは誰も信じない
ギター少年の話です。彼の生まれ育った町の話から始めます。
1947年、UFOが墜落したとされるロズウェルという町があった。
当時の人口13,000人、空軍基地があるだけのニューメキシコ州の砂漠地帯。昼も夜も、戦闘機が離着陸しても、誰も苦情を言わない過疎地。
しかし、未確認飛行物体の墜落の目撃者には、軍隊から速攻、口止めが入った。
「気象観測用の気球が落下しただけなので、余計なことは言わないよう」と電話。「私は一般市民だ。軍隊から命令される覚えはない」と抵抗した人物もいたが、基地で働く住民からその声は、かき消された。
ローカル紙には、落下物を自宅に持ち帰って「これは、気象衛星だ」と言い張る、軍人の写真が掲載。
現場の貴重な証拠を自宅に持ち帰って、「どうってことないでしょ」と、撮影。
空軍調査班は、明らかにごまかそうとしていた。
数日後、空軍基地で落下物が発見され「空軍が、ロズウェルで円盤を回収」という記事が掲載。2日後にこのトップニュースは、削除された。
そんな大人の騒ぎとは別に、UFOの町の少年は「孫は、何もなくてかわいそう」と、お婆さんからギターをプレゼントされた。
彼の祖母は、伝説的なシンガーソングライターだった。確かな目で、立派な楽器を選んでいた。木片からインスピレーションを得る彫刻家のように、男の子はギターから離れなかった。
彼の名前は、ヘンリー・ジョン・ドゥチャンドルフJr.(後に、ジョン・デンバー)。
父親は、空軍パイロットで、家に帰ってくれば、疲れをいやすために眠っていた。家は、図書館のようにいつも静かだった。
軍人家庭では、父親の言葉は命令だった。
大人の時間で流れる日常に、ジョンは、ギター練習と、祖母に教えてもらった作曲に打ち込んだ。
そして、大学卒業後、プロデビューしたが、大学祭がメインステージだった。
その公演ツアーで出会った女子大生アニーに、ジョンは一目惚れした。
”一目惚れ”は、全身を震わせた直感であり、本人にとって正しい感性と言える。
1ヶ月後にはアニーに手紙を書き、コンサートに家族も一緒に招待した。
彼女の両親にも、素直な彼は、好印象を与えた。24歳のカントリーボーイは、
1年後に婚約、結婚した。
そして、お婆さんのギターで、初恋の人に捧げる歌を作り、大ヒットさせた。
その曲が「悲しみのジェット・プレーン(Leaving on a jet plane)」。
最愛の彼女と別れ、ツアーに出かけたくない気持ちを素直に歌詞にしている:
♪朝早く 君の部屋の前に立っている
タクシーを待たせている 僕は行かなければならない
君を起こして、さよならという気になれない
寂しくて死にそう 僕が行かないよう強く抱きしめてほしい
これからジェットで ツアーに出るから♪
マネジャーを通してPPM(ピーター、ポール&マリー)にも歌ってもらい、
さらに大ヒット。
1970年代のユナイティッド・エアのテレビCMにも使われました:
女性乗務員の教習を修了して、親に祝福されて空に飛び立つ晴れの日をコマーシャルに(本来の恋歌を無視して、”ジェットで飛び立つ”ことを主題にしたもの)
この後も、ジョンは大ヒット曲「カントリーロード」を世に出し、環境保護活動にも熱を入れ、時代を代表するフォークシンガーになった。
しかし、このハッピーエンドの先があります。
ふたりは、子宝に恵まれず、2人の養子を育てることに。
日系二世の女の子と、アメリカン・ネイティブの男の子に「将来、この子たちに、親は、ジョン・デンバーだと言われるのが、最高の喜びだ」とも語っている。
しかし、ツアーには、誘惑が渦巻いていた。初恋の人しか知らないジョンは、甘い渦に身を任せていた。
悪い話は、アニーの耳にも届いた。彼女が火消しに回ると、金を要求された。
「ふたりは若くて、愚かだった」と彼女が述懐。
15年のアニーとの結婚に、終止符が打たれた。
その後、アニーは、2人の養子を育てあげ、再婚したジョンの活躍を祈っているとコメント。
ジョンは、アニーに感謝の言葉だけでなく、彼女の誕生日と母の日には欠かさず、花を贈った。
ふたりは、夫婦から、友だちになった。
娘を授けられたが、ジョンの再婚はうまくいかなかった。
彼女が、ジョンの生真面目さを馬鹿にした話を、ことあるごとに言いふらし、彼のプライドを傷つけた。
5年で離婚。
ジョンは、空軍パイロットだった父親に憧れ、飛行士免許を取得。
ツアーには、彼が操縦のプライベート機で向かった。
しかし、その飛行の楽しみもままならなくなっていた。
離婚騒動もあり、ジョンは、アルコール依存症に。車の飲酒運転を繰り返し、
パイロット免許も停止処分になっていた。
そんなとき、発注した新しい飛行機が納品された。ジョンがプラモデルを気に入り、民間の飛行機製造会社に依頼した機体だった。
ジョンは、免許停止中でも、試験飛行なら大目に見てもらえると飛び立った。
しかし、カリフォルニア、モントレー湾に墜落。
指紋でしか、ジョンと識別できないくらいの惨状だった。
ジョン没年53歳。
ジョンは、アニーに出会ったときに、このことを感じていたのだろうか
♪寂しくて死にそう 僕が行かないよう強く抱きしめてほしい
これからジェットで ツアーに出るから♪
子供が欲しいジョンのために、身を引いたアニーの手は届かなかった。
ご高覧ありがとうございます。