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「人それぞれ」は、クソつまんない

8年前くらいの私に言いたい。


おまえ、クソつまんなかったぜ?


このnoteでは、忘年会シーズンに合わせて、「人それぞれ」と何もかもを吐き捨てる人のつまらなさについて話します。


飲み会は「ポジション」の確認作業

めっちゃつまらない考察をすると、飲み会はポジションの確認作業だと思っています。(分かりやすく飲み会としているけど、ただの談笑でもOK)

飲み会にも色々あると思うのですが、「飲み会の意義」を私なりに抽象化してまとめたのが次の3つです。

1. 自分のポジションを主張する
2. 相手のポジションに刺激を受ける
3. 今のポジションを忘れる

1. 自分のポジションを主張する

これが今回のテーマの肝ですが、飲み会は自分のポジションの主張合戦です。

「おれはこう思うんだよ」「私の家ではこう」という意見をあーだこーだ言うことが飲み会の醍醐味だと思います。

内容によっては、「2. 相手のポジションに刺激を受ける」に良い意味で派生していきます。

仕事観でも、恋愛観でも、家庭観でも、とにかく自分の主張をしまくる。

時に喜び、時に怒り、時に共感する。

これこそが飲み会なのである!

2. 相手のポジションに刺激を受ける

良い飲み会は、「1. 自分のポジションを主張する」から派生し、その会話を通じて自分自身の刺激になることがあります。

例えば、おじさんが昔の武勇伝を語り始めた時、人によっては「つまらない話」と感じてしまうかもしれませんが、人によっては「自分が体験したことない刺激的な話」と感じるかもしれません。

誰かが自分のポジションを主張している時、同時に主張していない人は聞き手に回らなければなりません。

したがって良い飲み会とは、『一人が自分のポジションを主張して気持ち良くなり、周りの人はその主張を聞いて刺激を受けている状態』といえると思います。

また、「1. 自分のポジションを主張する」という前提がなくても、「2. 相手のポジションに刺激を受ける」が成り立つこともあります。

例えば憧れの先輩や、著名人との飲み会に呼ばれた時、その人に一方的に自分自身の主張はしないですよね?

そういう時は、相手に対してこれまでどんな経験・体験をしてきたのかを質問するなどして、積極的に自分が聞き手に回るという立場を取ると思います。

それが「良い飲み会か」は話し手の気分次第だとは思いますが、少なくともそのような立ち回りをすることも、飲み会の意義の一つになりえます。

3. 今のポジションを忘れる

これは、いわゆる昔話に花を咲かせることです。

冷静に、人間的感受性を全て捨てると、昔話ってマジで意味なくないですか?

でも人は昔話をしたがる。私も好きです。昔話。

それはなぜか。

私が出した結論は、悪く言えば現実逃避です。

現在が困難であれ、華やかであれ、今を生きぬくことにはパワーが必要です。でも、昔を思い出すことには、パワーは殆ど使いません。

なので昔を思い出すことで、パワーを使って生き抜くことへの暇を作るということが、昔話の意義なのではないかと思います。

「人それぞれ」の何がつまらないのか

※ここからは8年前の私自身の自己分析も含まれています。

「ポジショントークには参加しません」というポジション

「人それぞれ」と吐き捨てるやつは、「1. 自分のポジションを主張する」ことを放棄したと勘違いしています。

そして「自分は客観的に物事を捉えることができる」と、達観して悦に入っています。

でも実際、それでら主張を放棄できていませんし、達観できてるわけでもありません。

「人それぞれ」と吐き捨てるやつは、「自分のポジションを主張することを放棄しました」と主張しているんです。

本当の意味で、「1. 自分のポジションを主張する」ことを放棄するためには、飲み会に参加しないか、飲み会で黙っているしかありません。

だから主張したくなかったら、特定の話題だけ口を紡げばいいんです。わざわざ「人それぞれ」っていう必要はありません。

人それぞれじゃねぇ。お前の意見を聞いてんだよ!

「人それぞれ」は、話題の強制終了になり得る

「私はこの話題に関する主張を放棄します!」と高らかに宣誓してくれれば、他の人達でその話題の熱を維持することができます。

でも「人それぞれ」は、「主張を放棄する」だけでなく、「あなたたちもここで終わりね」という意味も暗に含まれています。

気前の良いギャルが「え、でもさ~」と言ってくれればよいものの、それがなければ会話は終了します。

みんなでワチャワチャしながら渡っていた橋が、突然落とされることになる。マリオカートのように、落ちてもまだその先に道があればラッキーだけど、その先に道が続いていないこともある。

時に救いの言葉に、しかし飲み会ではいらない

「人それぞれ」自体は悪い言葉ではありません。

「人それぞれ」という言葉は、時に救いの言葉になります。

例えば、自分の選択に対して不安がある時、何かを決めあぐねている時、自分一人だけなんじゃないかと孤独を感じる時、「大丈夫、人それぞれですよ」と言われると、ホッとするような気持ちになりますよね。

でも、飲み会でそれはいらん!
うるせぇ、黙って飲め!自分語りしてろ!

人はみんな歪んでいる

「歪み」と見て、「ひずみ」と読むアナタは音楽をやっていましたね!

人のことを「歪んでいる」と揶揄することがあるけど、基本的にみんな歪んでいます。このnoteの趣旨に合わせていえば、「人それぞれ」は前提条件です。

「人それぞれ」な状態でお互いの意見を言い合うことが会話の面白さで、人との共通点を見つけられると嬉しく、自分に持っていない価値観や経験を羨むんです。

だから飲み会では、自分の主張をしてなんぼ。ガンガン自分の意見を主張していきましょう。

ただし一方的な主張は自分だけが楽しいだけで、周りの人が楽しめず、次から呼ばれなくなるかもしれません。

周りの人も同じように、自分の主張を聞いてもらえなかったり、相手の主張から刺激をもらえなかったり、今の自分を忘れられない飲み会は面白くありません。

でもそのような周囲への気配りは、よっぽど気が利いている人じゃないと完璧にこなすのは難しいと思います。アルコールが入れば尚更です。

だから一つだけ、

「人それぞれ」って言うの、やめにしませんか?

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