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自治領諸島の人々 まとめ

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とある海洋上にある島、「自治領諸島」。観光地として知られるその島は、名前が与えられるよりも遥か昔から多くの移住者を受け入れてきた。今日もまた、様々な人が、様々な場所で、何気ない一…
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2024年2月の記事一覧

【自治領諸島の人々】布の裁断を始める職人の卵の話

【自治領諸島の人々】布の裁断を始める職人の卵の話

 裁ちばさみを持って、軽く動かす。閉じる度に、よく手入れをしておいた刃から硬く涼やかな音がした。よし、始めよう。布地の端をつまんで、その下に裁ちばさみの片刃を通した。

 自治領諸島という名前がつくよりもずっと昔から、この島には世界中から多くの人が移り住んできた。その子孫である島の人々の見た目は多種多様だ。そのためか、気に入った服がなかなか見つからない、という愚痴をときどき聞く事がある。

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【自治領諸島の人々】観光地区を離れる事にした女性とその友人の話

 朝を迎えたホテルの一室。彼女は身支度を整えながら、会えるのは今日が最後だから、と俺に告げた。

 思う様にならない生活に見切りをつけ、観光地区を離れる事にしたらしい。悔しいけど、と声を震わせる彼女。俺は神妙な顔をしてそれを聞いていた。ああ、こいつもか、と内心で思いながら。

 観光地区は、誘蛾灯の様な街だ。眩いほどの華やかさで、夢見る人間を次々と惹きつける。そうして、何者かになるべく観光地区に集

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【自治領諸島の人々】新入寮生の到着を出迎える寮長の話

 寮のロビーで待つこと数分。エントランス越しにこちらへと歩いてくる人影が見えた瞬間、心臓が高鳴った。緊張が身体に広がっていく。それを息と一緒に吐き出して、出迎えのために立ち上がった。

 「ヴィレッジ」を本拠地とするクラブチーム、FCセレステ。今日、そのユースチームの寮に新入寮生がやって来た。

 それ自体は特に珍しいものではない。入団テストは定期的に行われていて、その度に入寮希望者が出ている。し

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【自治領諸島の人々】ライブハウスを満喫する住民の話

【自治領諸島の人々】ライブハウスを満喫する住民の話

「言いやがったなテメェ、ぶっ殺してやる!」

 爆音のライブ演奏に負けない罵倒。そして始まる乱闘。酒の安全を確保しながら、俺は巻き込まれない位置に移動した。

 このライブハウスは、特に客層が悪い事で知られている。喧嘩が起こるのは日常茶飯事だ。日常茶飯事過ぎて、場慣れしてない奴以外誰も気にしない。ステージ上のバンドのメンバーたちも誰一人として演奏を止めない。当然彼らにショウ・マスト・ゴー・オンなん

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【自治領諸島の人々】「拠点」のとある家の清掃をしにきた作業員の話

 玄関先で死者に捧げる言葉を唱え、扉を開けて屋内に踏み込む。途端に飛んできた虫を手で払いながら、私はその発生源へと足を進めた。

 ここ「拠点」で住居に空きが出来る理由は、大きく分けて三つある。観光地区など外部への転出、フンダドールによる懲罰としての強制転居、そして今回の様な住人の死去だ。

 死去と言っても、今回の様に特殊清掃が必要になるケースは多くない。大抵は、近隣にある診療所や支援団体が、看

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【自治領諸島の人々】新年をホテルの高層階で迎えた観光客の話

 日付が変わった瞬間、新たな年の始まりを告げる花火が、海上の大型台船から夜空に向けて一斉に打ち上げられた。

 次から次へと空中で炸裂する花火に、周辺一帯が轟音と閃光で染め上げられる。海に面するこの部屋も例外ではない。洒落た雰囲気のインテリアを売りとしているはずの室内は、窓から飛び込んでくる光によってその色彩を目まぐるしく変えていた。

 鳴り響く轟音に紛れて、バルコニーから子供達の歓声が聞こえて

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【自治領諸島の人々】レストランでディナーデートに臨む住民の話

 予約の確認を終えたフロントが、軽く会釈して予約した席がある方向を手で指し示す。ウェイターに案内されたのは、窓際の夜景が一番よく見える席――ではないけど、他の客越しとはいえ、夜景が楽しめる席だった。

 真向かいに座った彼女が、素敵なお店だねと笑ってくれた。その手応えの良さに、テーブルの下でぐっと拳を握った。

 実は、自分も彼女も本来ならこの店に入る事はできない立場だ。ただし、その理由は店の予約

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【自治領諸島の人々】店舗の修理を終えて帰路に着く住民の話

「また何かあったら連絡してくれよ。ごちそうさん」

 見送りのために台所から出て来た店主にそう言って、扉を潜る。自宅に向かって砂利道を行きながら、俺は腹を軽くさすった。

 あー、腹一杯だ。あの店主、いつもああやってたくさん飯を出してくるんだよな。きっと若え奴だったら丁度いい量なんだろうが、歳をとって弱ってきた俺の胃にはちょいとキツい。量を減らしてくれと先に断りゃいいんだろうが、店主は完全に善意で

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【自治領諸島の人々】三輪自動車を見送る運転手の話

 古びた三輪自動車が、引き取り業者のトラックの荷台に載せられ、ロープでしっかりと固定される。それを、俺はただ立ち尽くしたまま見つめた。

 あいつは、三輪タクシーの運転手だった親父から受け継いだものだ。親父の代から今に至るまで、観光地区のありとあらゆるところを駆け回り、数えきれない程の客を乗せてきた。

 親父の手でよく手入れされてきたものを、親父を真似て手入れし続けたからか、予想よりも長く走って

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【自治領諸島の人々】仕事帰りに屋台街に立ち寄った住民の話

 店の出入口から続く階段を登りながら、大きな欠伸と伸びをひとつずつ。地上に出た途端に差し込んできた朝日に一瞬目を細める。そのまま向かった先は、食い物の屋台が多く集まる屋台街だ。

 この街には、夜中から明け方まで営業しているところが少なくない。なので、そこで働いている人間が仕事帰りに立ち寄れる様にと、朝早くから開いている店があちこちにある。屋台街もそのひとつだ。今日もまた、朝飯目当ての客で賑わって

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