土星アスタリスク前編
『速報です。本日開通した土星、木星間を走る銀河鉄道が何者かによってジャックされました。詳細については調査中。星府は至急、“羊飼い”を向かわせるとのことです』
客車に設置されたラジオの中で、アナウンサーは冷静すぎるほど単調に報道内容を伝えていた。客車5両、貨物1両の6両編成。乗客は他人事のように振舞っている。
「ジャックってなあに?」
「心配ないからね。羊飼いさんが助けてくれるから」
見上げる子供の頭を撫で、母親は抱きしめる。しかしその顔は、先ほどのアナウンサーの声のように表情がない。
「ここは空賊が乗っ取った。今から俺たちの指示に従ってもらう」
タカハシは車内を見渡して宣告すると、乗客の監視を仲間に任せ、運転車両に向かった。
星府は銀河鉄道のテロ対策として各コロニーに入場規制を設けていた。さらに土星付近のコロニー居住者にのみ銀河鉄道の乗車チケットを抽選で配布。一見空賊が入る余地がないように思われていた。しかしミュージックをもって交渉し、愛好家たちも空賊を支援したため、鉄道ジャックが実現したのだった。
「ナカムラ、各車両の様子はどうだ」
運転台には様々な機械が複雑に設置されていた。左右と後ろを見るためのモニター、飛来物を確認するためのレーダー、アナウンス用のマイク、色とりどりのボタンとパネル。手にアタッシュケースを持っている男——ナカムラと呼ばれた男——は目を細めてモニターを見ながら答える。
「今のところ問題ない。羊飼いらしき機体も、見当たらないな」
土星に駐屯する治安維持機関“羊飼い”。治安維持とは言うものの、普段は小型飛行機が2機程度、空賊を見つけるや否や拡声器でわめくだけだった。武装しているものもあるが、大したものではない。
「途中のコロニーにも立ち寄るな。このまま進め」
「はい」
複数の武装した男が囲っているにもかかわらず、淡々と答えながら運転を続ける。機関士がマイクを取り出し、車内にアナウンスする。
「この先、雷のへそに入るため、車装をシェルモードにいたします。一度暗くなりますが、すぐに明かりがつきますのでご安心ください」
機関士が操作すると左右を映すモニターに変化が起きた。装甲が屋根から現れ、両側を覆う。列車は走りながら変形していた。
「まもなく、雷のへそに入ります。ご注意ください」
アナウンスが終えるのと同時に、光が閃いた。そして空を切り裂くような轟音が響いた。
二人は驚きに思わずしゃがみ込んだ。しっかりつむった目を開けて立ち上がり、男たちは互いの顔を見る。数秒の沈黙。ナカムラはアタッシュケースを抱きかかえている。タカハシは首の後ろをさすりながら立ち上がり、出入り口に体を向けた。
「俺、ちょっと行ってくるわ」
口ごもりながらそう言うと、客車へ向かった。
客車には異様な光景が広がっていた。引きつった顔で直立する仲間、雷に悲鳴を上げ、大人の腕につかまる子ども。そしてそれを気にも留めない大人たち。5号車までずっとそのような調子だった。
「ママ、こわい」
「ただの雷じゃない」
母親は娘の頭を撫でているが、やはり表情がない。雷は雄叫びを上げるたび、子供たちは震えあがり、無表情を決め込んでいる親にすがった。タカハシは一通り巡回すると運転台に戻り、機関士に声をかけた。
「おい、マイクを貸せ」
そう言うと返事を待たずにアナウンス用のマイクを引っ張り、ナカムラを見た。
「ミュージックを用意してくれ」
「……ああ、なるほどね」
ナカムラはアタッシュケースからコードや布を張った箱、それからおんぼろのプレーヤーを取り出し、それらを組み合わせ始めた。
何か音が出ているのに気付いた乗客が、スピーカーの方へ視線を向ける。ブツ、ブツとノイズがいくつか聞こえ、それが静まると流れ星のようなメロディが響いた。
見上げた夜空の星たちの光
「うわー、言葉が鳴ってる!」
様子を見にタカハシが客車を回ると、先ほどとは全く違っていた。ミュージックにはしゃぐ子供たちと、それを必死に止めようとする大人。黄色い声と怒鳴り声がミュージックと混ざり合っていた。
「おい!! なんてものを流すんだ!! 止めろ、今すぐに!!」
「止めて!! 今すぐ止めて!!」
叫び続ける親たちをよそに、子供たちはとんだりはねたりしている。
光り続けよう、あの星のように
タカハシは踊っている女の子に声をかけた。さっき母親の腕にしがみついていた子だ。
「オレンジレンジを知ってるか?」
「しらなーい」
「このミュージックを作った人だ」
「へー、すごーい」
突然ミュージックが止まり、灯りが消えた。
『ご乗車のお客様にご案内します。間もなく雷のへそを抜けますので、シェルモードを解除いたします』
雷鳴と怒号が止み、列車は鈍い音を立てて装甲を外す。すると窓から、淡い光が射し込んできた。
「うわあ」
乗客たちは窓に広がる光景に息を飲んだ。黒く広がる宇宙に、星屑がきらきらとちりばめられている。その一粒一粒が孤立し、あるいは重なり、幻惑の色彩を放っていた。
「なあ、なんだよこれ」
先ほど怒声を上げていた男が両腕をさすりながら呟いた。
「なんでこんなにも鼓動が早くなったり、鳥肌が立ったりするんだ? 病気になっちまったのか俺は。でも、具合が悪い感じはしない。むしろ気分がいいんだ」
「それを、感動っていうのさ」
タカハシは男の肩に手を置き、同じく星を眺めた。
「美しいものを見たとき、俺たちは胸を躍らせるんだ。こんなふうにな」
カタン、カタンと、列車は一定のリズムを刻んで走る。
先ほどの男が、タカハシを見て言った。
「おカミは、アート法で俺たちの感情を支配してたってのか? 俺たちが嬉しくなるのも、楽しくなるのも、悲しくなるのも、全部支配していたのかよ!」
「そうだ。俺たちは今までずっと感情を支配され続けてきた」
タカハシは乗客を見渡し、静かに言った。
「俺たちはアートを取り上げられ、感情を束縛され、自由を失った。このままでいいのか? この星々のきらめきを見て心が動いたことを、忘れてしまってもいいのか?」
乗客たちはじっとタカハシを見ていた。列車が走る音以外、聞こえない。やがて一人の男が叫んだ。
「俺たちの感情を取り戻せ!」
それに呼応するように、大人も子供も叫んだ。拳を突き上げるもの、肩を組むもの、空賊と握手を交わすもの。様々だったがこの列車の中に一体感が生まれていた。その時だった。何かが爆発したような、大きな音が響いた。
『タカハシ、すぐに来てくれ』
ナカムラの声に、タカハシは弾かれたように運転台に戻った。
作中に出てきた楽曲
ORANGE RANGE「*〜アスタリスク〜」
お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!