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恵まれた刺激に慣れてしまって【思索】
毎日を不満に生きている人は、一体何が不満なのだろう。
食べるものがあって、学校や会社に行けて、勉強ができて、給料がもらえて、人と関わって、生きることができて。
一体何が不満なのだろうか?
一生懸命生きているときは不思議とそういう不満は出なくなる。
(絶対ではないが)
不満や文句が漏れるときは大抵『恵まれて刺激に慣れてしまっている』ことがほとんどだ。
自尊心を傷つけられて駄々をこねているだけに見える。
あまり幸せの背比べをするべきではないが、自分の幸せを基準にして考えてみると必ず自分より不幸な人もいれば、自分よりも幸せな人がいるものだ。
他人と比べても意味がない事は言うまでもないだろう。
恵まれているのは、自分のおかげではない。
先人たちの努力や多くの人とのかかわりの中で、全員で恵まれた環境を創り上げている。
恵まれた刺激に酔いつぶれて、土足でその上に胡坐をかいて糞尿を垂れ流す様に不満をぶちまけているに過ぎない。
刺激に慣れてしまうと、より強い刺激を求めるものだ。
私達は気づかなければならないのかもしれない。
刺激だけでは心を満たせないということに。
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