息子とアレッポの石鹸(優しさのミームについて)
湯船でくつろいでるところに母親がレンガのような塊を手に風呂場に入ってきたらそりゃ驚くだろう。息子は目を丸くして
「それなに!?」と言った。
「石鹸。シリアって国のアレッポっていう街で作ってるんやって。この前イオンで買ってんシリアは10年ぐらいずっと国の中で戦争をしてんねん。アレッポっていうところもね、街が破壊されちゃって復興してるところやから、石鹸買って応援してみようかなって思ったんだよ。」
「ふーん」
私は濡れたタオルに大きな石鹸をゴシゴシ擦り付けてみた。あんまり泡はたたない。草のような土のような匂いが立ちのぼる。
「オリーブオイルでできてるから変わった匂いするね。苦手やったら牛乳石鹸つかったらいいよ」
息子の小さな掌に大きな石鹸を乗せてやる。息子は神妙な顔をして石鹸に鼻を近づけたり、こすってみて石鹸だってことを確かめている。
「ぼくこのニオイきらいじゃないよ。みて!ネバ〜って糸みたい!」
「良かった。じゃあ久しぶりに背中洗ったろか?」
「うん!」
次の朝いっしょにYouTubeの動画を見た。 「内戦10年 シリアと日本の“架け橋”せっけん」
「あっ!おんなじやつ!」とか「切ったら中は緑なのか!」とか言いながら見ている。見終わって息子は聞いた。
「何で?誰と誰が戦ったの?」
「うーん、ややこしいんねんな…。私もよくわかってない。わかりやすい動画あるかな??」そして見たのが「敵の敵は“敵”? シリアでは誰が誰と戦っているのか」
「だいぶややこしい…」
「だいぶややこしいよね…。でもとりあえず石鹸作ってる人は悪くない。悪くないのに工場が壊れちゃった」
「うん。それはわかる」
「石鹸がいっぱい売れたら工場で働く人もお金が稼げて、その家族も助かる。もっと石鹸が売れたら、お金が必要で兵隊をしてる人も、石鹸を作ろうと思うかもしれない」
「そうか。石鹸、また売ってたら買おう」
記憶は先月に遡る。
アレッポの石鹸は先日友人とノマドランド観る前にイオンをウロウロしているとき見つけた。友人は最近ずっとこの石鹸を使い続けていると言った。
「使用感はどう??」
「泡立ちがいいワケじゃないし、匂いもちょっと変わってるんやけどね。洗い上がり?うーん普通」
「なんで買ってるの?」
「シリアの復興支援になるかなと思って。石鹸一個の利益なんてほんのちょっとやろうけどね」彼女は照れたように笑った。
私は牛乳石鹸を愛用していたが、物珍しさに買ってみることにした。
「買ってくれるの!?嬉しい!」
あのときアレッポの人かのように喜んだ友人の顔。
いま私がみているのは、彼女の優しさが私という管を通して息子に伝わった瞬間。これがミームというやつかな。
ミーム(meme)とは、
脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報である。例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である。
文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である(ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある)。ミームを研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。
ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それはミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報であり、進化する。
さらに遺伝子の進化とミームの進化は無関係ではなく、相互に影響しあいながら進化する。
ミームの日本語での訳語は模倣子、模伝子、意伝子がある。(Wikipediaより引用)
彼女に子供はいない。この先、彼女の遺伝子が引き継がれることはないかもしれない。だけど彼女の優しい意伝子は21世紀生まれの息子に転写された。
もはや石鹸一個の売り上げとかじゃないのだ。いやーすごい体験をしてしまった。
アレッポの石鹸、また見かけたら買ってこようと思う。
ネット販売もしてるみたいです。
私が買ったのは「ノーマル」だけど「エキストラ」はよりしっとりしてるらしいので次はそれを使ってみようと思っています。