コンプレックス解消法を私はまだ知らない
大三の春、久しぶりに体調を崩した。体調を崩したといっても発熱もウイルス感染もしておらず、めまいが激しい程度だ。めまいがするのは久しぶりだ。疲労とストレスが祟ったのだろうか。最近は新学期と留学準備と就活とゼミと卒論計画で多忙な毎日を過ごしている。
大二の春にも風邪をひいた。その風邪は同年夏のコロナよりも辛かった。咳が止まらず、呼吸が苦しくなり、眠りに落ちるのも精一杯だった。新学期とサークルの新歓が重なり、しんどかったのだろうか。
高一の秋、2ヶ月程めまいが止まらなかった時があった。寝ても起きてもめまいがしていた。その時期は英検準1級を受けて、来年度に向けた文理選択や進路について考えて、テストの科目数が多くて、他にもやることや決断しなければならないことがたくさんあった。めまいが酷い時は真っ直ぐ道が歩けず、友達に身体を支えてもらっていた。MRIまで撮ったが脳の病気などは見つからず、医師からは「原因不明だがおそらく自律神経の乱れだろう」と無難な診断をされた。もともと三半規管が弱く、乗り物酔いもしやすい体質だったので、内耳に原因があるというのはあながち間違ってはいないだろう。めまいはある日突然止んで、不気味に感じた。
高三の受験期にはめまいが頻発した。ただ長期間持続するものではなく、数時間ほど休めば楽になる回転性めまいがおよそ月1の頻度できた程度だった。これは原因の特定が容易だった。
昔から母に言われていた。お前はお昼寝も休憩もしないのね、と。確かに、私は常にタスクを0にしなければと強迫観念に囚われ、何かしていないと落ち着かない。課題やオンデマンド授業はASAPで片付けて、LINEやgmailなどの連絡も未読は0にしたいし、電車内でも居眠りせずゼミの文献を読んでいる。私は暇な時間に対して、途轍もない恐怖と焦りを感じる。無理やりにでもto doを見つけ出す(or作り出す)ことで、人生の余白を極力減らそうとする。昔、図工の先生が言っていた、「絵の余白はサボり」という概念にまだ囚われているのかもしれない。
私の長所は他人の良いところを見つけられるところだ。だが、それが故に自分のコンプレックスが刺激され、あの子に追いつきたいと憧れ努力しても叶わず、もがき苦しむ。呆れるほどの一人相撲だ。
あの子は、コミュ力が高くて友達が多い。私は友達が少ない。
あの子は、絵が上手。私は絵しりとりで相手に意味が伝わらないほど下手。
それでも他人と比較するのをやめられず、追いつけるはずもない背中を追いかけ続けて、それでも追いつけなくて、挫折する。そうやって何度、自分の才能や努力の限界を知って、落ち込んで悔しがって泣いただろうか。他人と比較し続けたら青天井で、自分が苦しむばかりだと、もうとっくにわかりきっているはずなのに、それでも頑張ってしまう。私は負けず嫌いで、プライドが高いから。だからこそ、勝負に負けた時のダメージが大きい。
私は異常なほど諦めの悪い人間だ。だから身体が悲鳴を上げるまで走り続けてしまう。ここでまた劣等感の悪循環に陥る。私は自分の限界を把握していながら見て見ぬふりをして、体調に支障をきたすまで無理をして、結局人に迷惑をかけてしまう。精神的に未熟だ、と。
自分の中途半端な能力さ加減に嫌気が差す。私はこんなに頑張っているはずなのに、平均レベルにすら追いつけない。辛く悲しく残酷な現実を認めることができず、見るも痛々しく抵抗し続けている。
私は要領が悪く、メンタルも弱い。謙遜ではなく、本心でそう思っている。そう家族や友達に話すと、結構な確率で眉を顰められる。言外に、あるいは直接的な言葉で、「お前は何を言っているのだ、十分要領もよく、メンタルも強いじゃないか」と言われる。理由を聞いてみると、その大学に入っている時点で要領はいいし、留学に挑戦できる時点でメンタルは強い、と。三年春に授業を週10コマ取りながら、ゼミで英語論文を毎週60-120ページ読んで、留学先のビザや住居の準備をして、サマーインターンのESを書いている。だが、同じゼミには留学する人が他にも多くいて、同じような状況でさらに週14コマも15コマも取りながら、4年卒業や院進を目指している人もいる。そんな人たちを目の前にすると、とてもじゃないが自分が要領よくもメンタル強者にも見えない。
比較対象が悪いという人もいるだろう。一部の超エリートと比べているからそう感じるだけで、大半の人からするとお前はすごいよと。そう言ってくれるのは多少の慰めにはなるが、私の意図とは少しずれている。私がいう要領は結果ではなく、コスパやタイパのように、費用対効果の話だ。要領というより、作業効率性の方が正確な言い方かもしれない。中高時代は定期試験は1ヶ月前から勉強を始めて平日は1日3時間、休日は1日10時間やっても学年TOP3には入れなかった。悩む時間が多すぎて決断も遅い。留学だって、最終的に決断したのは、10月末の応募締切から約2ヶ月前の8月だった。だから、私のことを要領がいいという人は、私の努力や苦悩を軽視しているように感じられて、慰めの言葉に素直に喜べない。
お前はもう十分頑張っている。だから、もう諦めろ。これ以上の悪足掻きは見苦しい。いい加減、身の丈にあった生き方をしろ。
そんな救済の言葉を心の奥底では期待しながら、私は今日もコンプレックスを軽減させるために必死に喰らいつくのだ。