「笑いで健康条例」の馬鹿馬鹿しさ
山形県で「笑いで健康条例」なるものが可決されたということが話題となっている。「一日一回は笑う」ことなどを努力義務とする内容であるが馬鹿馬鹿しい限りである。当然、反対意見もあったようで、笑う・笑わないということを「誰からも矯正-指示されたり、義務付けられたりしてはならない」という反対意見はまさにその通りだが、「笑うことが困難な方々の人権」云々はやはり同レベルで馬鹿馬鹿しい。こんなことを条例問題としてやりとりしている現象自体が根本的にずれている。
議会や行政が考えるべきことは、県民が今以上に笑いやすい、笑いが増える状態にすること、すなわち生活環境が改善されることである。日常生活で苦痛やストレスが多いと笑うことが減るのは自明の理である。経済的困窮や育児・介護の困難な問題、医療や交通における体制の不便さ等々、改善すべき事柄は数多くあるだろうから、それらをちょっとずつでも良くしていくことが本来の仕事であり、そのための具体的施策こそを検討するべきであろう。それによって「笑うな」と言っても笑う場面は増えるはずである。
もうひとつの重大な問題は、「山形大学医学部の研究結果」なるもののあきれた内容である。各種研究データに基づく結論で、よくある間違いの「因果関係と相関関係の混同」という非常に初歩的だが重大な問題である。今回の調査で「1週間に1回以上笑う」人と「1か月に笑うことが1回未満」の人を比べて、後者のほうの死亡リスクがおよそ2倍高いことが分かった、というものである。それによって「よく笑う人は死亡リスクが低い」という事実が判明したとしてもどうして「よく笑うことで死亡リスクを低くできる」という結論になるのか。前者は単なる相関関係であり後者は因果関係である。つまり、よく笑うから死亡リスクが低くなった、とどうして言えるのかということである。それを言うためには、よく笑う人とあまり笑わない人の「笑い」以外の生活状況を全く同等にした上でなければ言えないはずである。よく笑う人とあまり笑わない人の生活状況はそれ以外の点でも色々と異なっているだろうと考えるのが普通であろう。したがってそれらのうちの何かが死亡リスクの高低と関係している、つまり因果関係となっているとしても、今回の調査からは全く分からないはずである。
ちょっと想像してみても、よく笑う人のほうが笑わない人より、活動的であったり趣味を多く持っていたり健康面で抱えている問題も少なかったりするのではないか、というふうに考えられるのではないか。当然それらは死亡リスクの低下に寄与するであろう。
笑う人笑わない人のその他の条件を同等にすることはまず無理と思えるので、どうしても調査したければ考えられるやり方は次の方法であろう。まず無作為に選んだ対象を二つのグループに分けたうえで、片方には今回の条例のように笑うことを強く推奨し(もちろん一回だけでなくその後も繰り返し推奨する)、もう一方には何もしないのである。その上で3年なり5年なりの期間、追跡調査して死亡率を確認し、二つのグループに有意差があるかどうかを見るのである。もっとも、これによって分かるのは、笑いと死亡率の関係ではなく、あくまで「笑うことを推奨すること」と死亡率の関係なのだが、今回の件に関して言えばそれで良いであろう。まあ、笑いだけのためにそこまでやろうとは山形大学医学部も考えないであろうが。
このように、大学や研究室、そしてしばしば厚生労働省の各種調査研究の成果として、何か相関関係を見出しては、それをそのままに因果関係と見なしてしまい、安直に「新しい発見」として発表してしまう事例があまりに多すぎるのには、本当にうんざりさせられる。それにしても、上記のような調査方法は医学上の様々な治験でも必要とされており、調査結果の有意差を認めるかどうかのために、どこまでそれが必要かを、医学会が一番考えていること思うが。山形大学医学部は、頼まれ仕事でいい加減に対応したか、あるいは研究員の単なる思い付きを遊びて研究したのかであろう。
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