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最初のネットワーク期

最近はずっと抽象的なものばかり言っているから、自分の過去でも話して具体的なものを言うように少し戻そうと試みる。

これは本当にリアルの誰にも言っていない話。中一のクリスマス頃。新しいゲームが欲しいと思い、小遣いでPS Vitaとマインクラフトを買った。ソロプレイに飽きて2月頃、ネットの海へ飛び込んだ。
今まで動画でしか外部と関われないという受動的なネット生活だったが、これによって、自発的にネットで過ごすことができるようになった。相手は人間だ。

PSNというネットワークがあり、その中でユーザがテキチャやボイチャ、ゲームなどをする機能があった。何月頃に何をやったかとか、記憶と状況証拠が食い違っているので確かなことは言えないが、みんながTwitterに入り浸っているように、私もPSNと4人以下でしかできないマインクラフトで楽しんでいた。それがインターネット的生活の原体験になっていたように思う。

まだその頃には夜更かしという考え方はなくて、放課後や土日、長期休みの、日中の時間をつぎ込んでいただけだから、今から考えれば非常に健康的な生活をしていたように思う。

具体的に遍歴を話すか。それぞれ別個ではなく、重なり合って存在していた。言い方を変えれば、主に過ごしていた場所一覧みたいなもの。

1.ぱーてぃー期

パーティーというボイチャ機能があった。おじさんくらいの年齢の人の話を聞きながらゲームをしていた気がする。それ以上でもそれ以下でもない。あの空き部屋清掃の会社を作ったおじさんは今も元気だろうか…?

2.PvP系期

マインクラフトでPvP(対人戦)をすることがメインのコミュニティがあった。それ以外のこともやっていたが、基本的には戦いがメイン。戦場を自分たちで作っていたものだから、建築作業などを10人程度で代わる代わるやっていた記憶がある。まあ、私はPvPが弱かったので、的役、人数の埋め合わせ役として入っていたような気がするのだけれど。
最終的に考え方の違い、意見の折り合いがつかなかったために私が自発的に抜けたというか、抜けさせられたというか、そんな感じで消えていった。
ネットの海の中に遊んでいる様子が納められた動画はあるそうだ。まあいい思い出だと信じて……

3.生活鯖期

生活鯖というマインクラフトの作業部分だけを切り取ったようなサーバがあった。正確には生活鯖と呼称するべきではないけれど、上の定義で話を進めたい。
学校終わったらすぐ入って、飯の間だけ抜けてすぐ戻ってくる。寝る時間になったら解散。みたいな生活をずっと続けていた。使用されるワールドはそれぞれの人が持ってくるために、生活鯖が複数個あった。しかもそれぞれに数十時間以上は掛けていただろうから、とんでもないような時間を過ごしていたように思う。

ともかく、私の生きがいはこの生活の中にあった。自分の居場所はここにあるんだと、認識しながら生活をすることができた。もしそれがなければもっと暗い人格の人間になっていただろうし、PCを持つことすらなかったかもしれない。

そう考えると、今を支えている時期なのかもしれない。
後知恵バイアスをかければ、もっと有意義なことをしたかったかもな。

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