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祖父の死に私は

人はたったの半日で急に終わり得るのだと示したかったのか。
それとも単に天からのお誘いを断れなかったのか。

(ノンフィクション部は日記調、その他部はTwitter調です。)


ノンフィクション部


今日は勤労感謝の日だからと、朝の4時まで2年程話していない人とネット上で会話をした。その人の話を受けて色々な心地がしたのはまた別のお話で。

寝た。結局睡眠時間は4時間程度だったのだが。

朝8時半。「入院中の祖父が朝起きたら血中酸素飽和度は50%台、心拍数も100くらいの状態でほぼ返答がない」と連絡を受けた。

家族にタクシーで置いてかれたので一人早歩きで行く。20分。

病室に入る。顎が下がりきって口呼吸をしている人が見える。「昨日はベッドから立ち上がるくらい元気だったんですけどね」と看護師。首筋を見ると速い拍動が見てとれる。「月曜日には医院長先生と話して『一週間くらい経ったら退院しましょうかね』と言ってたのに。」祖母が言う。

話を聞いた結果、結論はこうであった。

・朝起きたら上記のような血中酸素飽和度の低下、心拍数の上昇があった
・肺機能がもともと弱く、吸えた少ない酸素を心拍数を速めて全身に送るほかない状態となってしまった
・すぐに酸素吸入器の出力を全開にしたが回復する様子がみれなかった
・この調子ではいつまで続いてくれるかわからないという

こんなにも急変してしまうことには驚きを隠せなかった。
この後は毎分100近くの拍動をする心筋がどれだけ耐えてくれるか、そこが壊れれば死、そう言っていた。それが今日か明日か数週間後かわからないというから、「とりあえず今日はいったん帰って様子を見よう」となった。

コメダ珈琲店でコメダブレンドとミニコメバスケット(トースト)を食べた。他の人たちはスパゲッティを頼んでいたが、提供が遅くて麺が伸びていたようだ。
その空き時間は私の進路について父と話して、大枠の方向性について承認してもらった。悪くはない待機時間だったかもしれない。

さて、家に帰って一息吐こうと思ったところ、病状がまた悪化したと連絡があったそうだ。私は一番年少であったし「家でゆっくりしておきなさい」ということで待機して、それ以外は病院へまた向かっていった。

先週末収穫したバケツ3,4杯分相当の柿を消費する方法として、友人が作っていた柿プリンを作ろうとした。
レシピを眺めてやってみるものの、2回作って2回失敗。牛乳風味の柿ジュースが完成しただけだった。

もう成功しないとあきらめて片付けをしていた時、連絡が入った。
「じいちゃん、もう空気を吸い込めなくなりそう。『があがあ』鳴ってるから。」

私は急いで片付けを終え、飛んでいく。10分。

病床。相変わらず顎は下がっているが、呼吸は止まり首に出ていた拍動は消えた。
「身体はまだ冷えていない」と言っているが、走って来た私の手は、それと対照的なある意味で似ていた強い拍動で熱くなっていた。どの程度冷たいのか測れなかった。

葬式の話を軽くして荷物整理をした後、私はまた留守番(電話番)をすることになった。
道中、車の運転をずっと担当していた義理の伯父さんとは進路とその先の就職観について話をした。達観しているなら問題なしの判定を受けた。

家に着いてゆっくりしていた時、ある人からチャットでの相談を受けた。それはまた別のお話で。

遺骸を安置するために部屋を整理した。外が暗くなったとき、遺骸が搬入された。線香を置く台が整備されてゆく。病院にいた家族との間で話が進んでいたようであるのだが、外には搬入に関わらない、親族が多く来ていた。
線香を順々に突き立て、それが終わったあとはめいめいで話に花を咲かせていた。

An hour later

祖父の弟妹が残り、義理の伯父の実家からおにぎりと煮物の差し入れがあった。義理の伯父の実家は、我らが実家と徒歩数分の距離であるから……好意に甘えて、祖父との関わりが特に深い人たちで卓を囲んだ。

冒頭に書いたような2年ぶりの久闊を叙すようなレベルではなく、祖父の弟妹は私がガキだった時に会った以来である。
段々と”誰も酒を飲んでいないのに”酒が回ったかのような談笑を交わし、私のその輪に入って、祖父の未知のこと、それぞれの近況報告、気づけば数時間が経っていたような会話は忘れられないかもしれない。
もしかしたら、高等な駄洒落が挿入されていたから、笑えて話せて楽しく過ごせたのだろうか?

そして今、私はその記述をして、今日という日を、祖父の死というものを、書き留めている。


その他部


「冠婚葬祭」なんていうように、催しごとがあると人がたくさん集まる。人がたくさん集まれば、そこに自然と雑談が生まれる。
ずっと心のどこかで寂しさを持っていた私からすれば、この「葬」は、私にとっての光であったかもしれない。他人に心を開く「光」。
祖父の死というのは暗黒たりえるモノなはずなのに、光として受け取るとはなんと皮肉なことか。


今日、この勤労感謝の日はずっと雨が降り続いていた。悲しみの雨なのだろうか。雨が悲しみを誘発しようと思っているのならば、私は今日、それに反抗した。

祖父の死を書き綴るのもおかしいかもしれないが罰が当たることを言おう。

今日は楽しい一日だった。


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