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山上徹也さんがしてくれたこと その2

山上さんのしたことは、よくないか?と、ぼくは自問自答を続けている。そして、なんとかなるべく堂々と彼を擁護したいというのが、いつわらざる感情である。もちろん、アベ殺害には、現場の物的証拠から見て、山上さんがしたことではないと考えるのが自然なのだが、一応、山上さんのへっぽこ散弾銃がアベを倒してくれたのだという前提で考えてみよう。

山上さんのしたことは、テロの続発の発端になると危惧するむきがある。
戦前に日本で4番目の大財閥の主だった安田善次郎が朝日平吾という右翼のテロリストに殺害された事件のあと、515事件や226事件といった軍将校のテロ事件が相次いだ。山上さんに対して、というより山上さんを支持するひとたちに対して否定的なひとは、山上さんを朝日平吾になぞらえる。これが一連のテロ事件が起こる発端になるのではないかと危惧するのである。
そういう危惧は正しいのだろうか?


いまの国民は、憲法によって曲がりなりにも主権者だ。そして、山上さんも主権者のひとりである。それが、悪質な宗教団体の被害者となったので、その宗教団体を利用している政治的有力者を倒すことで、復讐したのだ。
いまの時代は、主権者が自覚をもてば、暴力を用いなくても悪政を途絶えさせることが戦前よりは容易なはずだ。そのなかで、司法も官僚もメディアも牛耳る悪質かつ強大な政権が生まれ、通常の民主的非暴力的手段によってはそれをやめさせる術がなかったから、山上さんによるアベへの復讐が行われた。

心ある有権者はアベなど消えてなくなれと呪っていた。
ぼくはここで、元「爆笑問題」をやっていた太田光を想い浮かべる。かれは、第二次アベ政権までは、民主的な有権者を代弁する存在だった。イラク戦争の三人の人質のひとり、今井さんという高校生の両親がメディアに出たとき、国民たちに謝罪しているのを、太田は、自分があの親なら、アメリカとの外交関係なんかより、自分の子どもを助けてくれと絶叫しただろうに、日本人というのはなんと聞き分けのいい、権力者に都合のいい国民なのだ、と慨嘆していた。
その太田が、第二次アベ政権時代に見せた転向は、彼自身が狂ったのでなければ、裏にとんでもない利害関係があったと見るほかない。アベ政権とは、そこまでやる政権なのだ。
そんな政権をつくり、首相の座を退いてからも復帰の野心をもち、党内を牛耳っていた男にたいして、単に理性的なだけの日本の民主勢力があまりに無力であるとき、ほんとうにとことんヒドい面にあっている当事者が、窮鼠となって猫を食むのである。それがいけないと言えるだろうか。

私たちは、アベが倒れたとき、なにはさておいて、いいことだと思った。
山上さんが逮捕された直後から減刑嘆願運動が起こった。裁判以前、刑そのものが決まっていないのに減刑要求もあるものか、とあざ笑うものがいるが、ぼくはそういうさも賢しげな意見などどうでもいいと思う。いまから山上さんを支持する広汎な強い世論が起こることは、きわめて好ましい。裁判が始まれば、判事はこの有権者の声を意識せずにはいられまい。司法の独立を妨げ、無力化した当の人間が暗殺されたのだ。司法は、独立性を回復する意味からも、あの独裁者を倒した人物を支持する広汎な有権者の声に耳を傾けるべきだ。ひとの噂も七十五日とは、歴代自民党政権の何より頼りにするもので、だからこそ、山上さんを4ヶ月も精神鑑定にかけたりして時を稼いでいるのだが、そんなにたやすく我々は忘れるだろうか? 統一教会の問題は火の手が大きくなるばかりではないか。
(2023年も終わろうとするいまなお、山上さんの公判は行われていない。検察が、たんなる殺人では20年くらいの刑になってしまうから、もっと長期の刑を求刑するため、余罪をでっち上げようとしているからではないか、と、山上さんの叔父で元弁護士の人物は述べている。その説が当たっているかどうかはわからないが、とにかくきわめて不明朗な状況である。
なお、この記事は、2023年12月の時点で読み直して、まちがったり、混乱している部分があったので、後半をかなり加筆修正した)

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