ニッポンの三猿主義

日光東照宮に有名な左甚五郎の三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」というのがあります。この三猿思想は、江戸時代以来、日本人の心深く浸みこんで伝統となっています。核や原発なども、この「三猿」で先送りしてしまおうとするようです。

参勤交代などという大変な財政的負担を強いられた大名たちがまったく逆らわなかったこと自体、世界史上異例でしょう。そんな時代でも耐えかねた農民による一揆はありました。日本の伝統などというとき、階級の差を忘れてはならないという、ひとつの顕著な例です。

明治時代は、技術などの面では近代化する反面、この江戸幕府以来の伝統は受け継がれ強化されました。その土壌のうえにはびこったもののひとつが、支配層が戦前からたくらんで、戦後に達成された終身雇用制です。従業員の生活を生涯丸抱えして、佐高信の言う「社畜」とするものです。

そのもとで、安定した暮らしを目指して受験戦争が行われました。日本の受験戦争の異常さは国連でも問題視されたものです。

しかも、1979年、GDPでは1968年いらい世界第二位を続けてきた日本が、同年に加入した世界人権A規約13条は「大学まで含めての教育の無償化を推進すること」を義務づけたものでしたが、同条約を批准した自民党優勢の国会は「国家財政の条件が整うまで延期できる」という但し書きをつけたのでした。だから、その後も学費は上昇を続け、ようやく2012年の民主党政権でこの但し書きが撤廃されたものの、いまなお、そんな条約があることすら一般には知らされることのないまま、学費は高止まりです。まさしく三猿主義。

そんなこの国の教育では、近現代史が教えられません。そんなものは大学で選択科目として教わるのがせいぜいです。途上国では中学生でも近現代史を教わります。それらの国にとっては近現代史は屈従と闘いと勝利の重要な時代であり、今の自分たちを理解するのに不可欠だからです。だからこそ、中国や韓国では日本の侵略が教えられるので、それを何かあれらの国がたくらんだ反日教育だなどとは、とんでもない邪推、逆恨みなのです。

日本では、17条憲法から五カ条の誓文までが歴史、つまり天皇こそすべてです。ゆえに私たちは、自分たちの今の現実を理解する歴史的、および国際比較的視点を持ち得ません。

ほんとうは教師が、自分たちは子どもたちに、今日と未来を生きるうえで精神の糧、血肉になるものを教えたいのだと叫んで、ストくらいすればいいのです。しかし、1950年の地方公務員法改悪によってスト権を奪われている日本の教員にはそれは夢物語です。

子どもの権利条約もそれに伴うべき国内法制の整備が必要だったのに、政府と与党が法制の整備は不必要としたために、骨抜きできました。
そうした子どもの権利と教育の問題に長年取り組み、優れた見識をもつ平野裕二氏の記事をご紹介します。

『ウクライナ情勢について子どもと話すことと、子どものエンパワーメント』
 https://note.com/childrights/n/n7e05a0437735


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